複雑・ファジー小説
- 豚と真珠 ( No.25 )
- 日時: 2016/10/23 16:16
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 2Ib.wHIE)
「今日は秀明さん(豚)のお誕生日なの。だから、食材(餌)を買ってきてちょうだい」
雫さんは、16時に帰ってきた私に確かにそう言ったけれど、冷蔵庫の中にはもうステーキの材料が揃っていることを知っている。
かといって、何も買ってこなければお仕置き、魚なんてもってのほか、どちらにせよBad Endしか見えてこない。無難にケーキでも買ってこよう。確か、冷蔵庫にはそれが無かった。きっと豚野郎も喜ぶはずだ。
そういえば、前世の父親も、ケーキが好きだったらしい。前世の記憶を少ししか受け継いでいない私は、あいつの顔としでかした行為のみしか思い出せない。それだけでも、あいつの情報としては十分すぎるほどだと思う。これ以上、あいつの情報で脳の許容量を消費したくないのだ。
「綺麗だねぇ」
雫さんのいないところで、豚は私に近づいて、髪に触れる。そうしてすん、とその大きな鼻で匂いを嗅いで、うっとりと呟くのだ。
それをもしアルがしたとすればときめくのだけど、なにしろ見た目が豚の豚にやられたら、不快感が込み上げてくる。思わずその場に嘔吐して、逆に「汚いねぇ」と呟かせてみたいと思った。
ただ、ガラスの靴にくちづけをした私は、もうそんなことでは動じない。いくらそんな気持ちの悪いことをされても、少し不快に感じるくらい。私は、私のこころがどんどん冷たく固まってゆくのがどこか虚しかった。
昔はこんな風に、こころを失ってゆくことに戸惑いや悩みを感じることは無かった。あの頃はただただ生きてゆくのに必死で、痛みや絶望やそういうものに耐えてゆくには、そうするしか方法が無かったのだ。
でも今は、あたたかさに触れて。今度こそ幸せになれるのだろうか。大人になる前に血を流してしまった私でも、幸せになっていいのだろうか。
まあそんな希望は、アルへの恋心を自覚したときと、あの優しい父親が死んでしまったことで崩れ去ってしまったけれど。
そんなつまらないことを考えながら、私は駅から少し離れた小さなケーキ屋さんにたどり着く。優しい父親とよく訪れた、優しい味のケーキ屋。ドアを開けると、しゃららん、とベルが鳴って、ふんわりと甘いココナッツの香りがした。
「いらっしゃいませ」
大学生だろうか。小綺麗に整えられた髪が可愛らしい若い女性が出迎えてくれた。おや、と思う。確か前は、40代くらいのおばさんが接客していたのに。
「ご注文は?」
にこりと愛想笑いを浮かべて、女性が私に呼びかける。まだケーキも見ていないというのに、その言葉は早すぎるんじゃあないだろうか。不満に思いつつも、私はとりあえず口を開いた。
「父への誕生日ケーキをこちらで買いたいと思っているのですが、おすすめはありますか?」
豚には甘いものが丁度良いだろう。餌付けだ餌付け。
「誕生日ケーキですね。でしたら、こちらは如何でしょう」
私の裏の声に幸いにも気づくことのなかった店員はガラスのケース越しに、一番下の隅っこの方にある、まあるいケーキを指差した。フルーツがふんだんにあしらわれた、おしゃれなケーキだった。これなら豚にも気に入ってもらえることだろう。
「じゃあ、それで」
「かしこまりました。ロウソクとメッセージカードはお付けしますか?」
「あ……」
そこで口篭る。あいつの年齢を、私は知らない。それに、あいつに何かもらった覚えは無いし、まあいいか。
「いりません」
「かしこまりました。お会計は……」
「ああ、それと」
ケースからフルーツケーキを出した店員が話を進めようとしている脇で、私はお目当てのケーキを探す。優しい父親と来たときよりも、随分とケーキの種類が変わったな、と思う。そういえば、内装も変わっている。あんなところにテーブルは無かった。
しかし、ショートケーキだけは変わらずそこにあった。苺の乗った、白いケーキ。あの人が大好きだったケーキだ。
「このショートケーキを1つ。これだけはここで食べて帰ります」
家に持って帰ったら、怒られてしまうからね。
今までできる限り貯めてきたお小遣いの中から、2000円を取り出す。痛い出費だったけれど、仕方ない。それほどまでに、ここのケーキは美味しかったのだ。大好きだった。
「ありがとうございました」
そう言って、店員が誕生日ケーキを渡し、しばらくお待ちください、と言って、私をテーブルに座らせる。相変わらず2階は無いんだな、と安心して腰を下ろし、ケーキを待った。
「お待たせしました。ショートケーキです」
運ばれてきたショートケーキは、あの頃と変わらない輝きで、私を見つめる。私はそれを、変わってしまった瞳で見つめ返した。
こんにちは、ショートケーキさん。父はもう死んでしまいました。そうして、私もきっともうすぐ死にます。
そんな戯言を吐きながら手を合わせてから、ケーキに切り込みを入れる。小さく切ったショートケーキを口に運ぶと、ふわりとした食感が心地よかった。
でもそれだけだった。
あの頃の優しい甘さはどこかへ身を潜め、このショートケーキはひたすらに甘い。食感ももっとしっとりとしていて、そのケーキは外見だけが一緒の、違うケーキだった。まるっきり違う、別物。
私がフォークを口に含んだまま呆然としていると、
「どうかしましたか?」
と、店員が慌てて近づいてきた。私の他に客はいない。当然のことだった。
「いや、このケーキ、前となんだか味が違うな、と思ったので」
「……!」
偽ることが嫌いな私は、正直にそう答えてしまう。案の定、店員さんは怪訝な表情になったけれど、すぐにはっ、とした表情になり、申し訳なさそうに口を開き始めた。
「実は昨年、ここのケーキを作っていた方が亡くなってしまわれて」
「……え」
「その奥様がここの接客を担当されていたんですが、心労が祟って、奥様も体調を崩されてしまって。今は、奥様の息子……私の夫なんですが、その人と私で経営しているんてす。夫はレシピ通りに作ったはずだと思うのですが……やっぱり、そうはいかないみたいですね」
女性は静かに、そう言い切った。
衝撃だった。わずか数年の間に、そんなことがあったとは。
夕日の差し込む窓を見ながら、私はケーキに手を伸ばす。店員さんは、次の客が来たようで、慌てて接客に戻り始めた。
「……甘い」
優しく無い甘みが、私のこころを締め付ける。
変わらないものなど無い。そう、ショートケーキに言われた気がした。
**
「私は食材(餌)を買ってきてって言ったわよね?」
ええ、ですから買ってきたじゃないですか、ケーキ(家畜の好物)を。なんてことは、言わないでおく。
「まったくもう。これじゃあ秀明さんの誕生日を祝えないじゃない!」
私の誕生日は祝わないくせに。それに、冷蔵庫にはもう食材が揃っているんでしょう? 白々しい、と私は思った。
「まあいいわ。ケーキは買ってきてくれたんだから、良しとしましょう」
ふい、と雫さんが顔を背け、冷蔵庫にケーキを仕舞う。今日はやけに優しい。普通ならいつも殴られているというのに。
「お疲れ様」
そう言って、雫さんは私を労った。そしてそのまま冷蔵庫からやはり肉を取り出し、調理し始める。
なんだろう。胸騒ぎがする。もしかしたら機嫌がよかったとか? なんて都合の良いことを考えてみる。
優しさを好意だと受け取れないほどに、私は優しくは無いのだ。
「秀明さん、お誕生日おめでとう!」
ぱーん、と雫さんがクラッカーを鳴らす。それを見て、アルもリンも、渋々テープを引っ張る。私はなぜか豚の隣に座らされていて、肩を抱かれていた。脂ぎった手がジャージ越しに熱を伝えてきて気持ち悪い。それでも、雫さんの視線が怖いので、そのまま動けずにいた。
「さあさあ、今夜はステーキよー」
「まじか」
「やったぁ」
ただ、ステーキの誘惑には勝てなかったようで、アルもリンも私には目もくれず、ステーキにがっつき始めた。まあ、アルは少しは私の方を気にしてくれていたけども。
「はい、これが秀明さんの分。そしてこれが……あなたの分よ、える」
些か冷たい声で私の目の前に運ばれてきたのは、特大のステーキだった。今までに食べたことのない程の大きさに、私はくらくらとした。
「……母さん?」
「えるはいつもいつも頑張っているから、今日はご褒美よ。それに、力を付けないと」
ふふふふっ、と雫さんは秀明と目線を合わせて微笑む。アルが怪訝そうな表情でそれを見つめるも、何か思うところがあったのか、結局何も言わなかった。
「えるちゃん、食べよう」
秀明が私の肩をぎゅっ、と掴んだ。痛い。気持ち悪い。
「やめろよ」
アルが掴みかかろうとすると、豚はぱっ、と手を離し、ひらひらと手を振る。まるで、自分は何もしていない、と言わんばかりに。
「今は楽しい食事の時間だよ。楽しもうよ」
どくんどくん、と心臓が動いている。なんだ、この動悸は。いいじゃないか、これで平和じゃない。
どうして今日に限って、雫さんは私に優しかったのか。その理由がよくわかった。
私は今、押し倒されている。足をさすられている。耳を舐められている。胸を触られている。お風呂上がりの火照った私の身体を、ベッドに押し付けている。その豚のような身体は、このためにあるのだとようやくわかった。私を、犯させるために。
「どうして?」
「君のお母さんと約束したんだぁ。私と結婚すれば、娘を好きにしていいってぇ」
気色の悪い声が、耳元で囁く。加齢臭が私の鼻をついた。
「初めて君を見たときはびっくりしたよお。こんな綺麗な女の子を犯せるなんて、僕はなんて幸せものなんだろうって!」
獣のような声をあげて、秀明が私の唇にむしゃぶりつく。息ができない。私の体重の2倍はあるであろう身体は、どうしても押し返せない。私は吠えた。
「ハァハァはァはぁ。どうしたの? 君が犯してほしいって言ったって聞いたんだけどなァ。髪とかを触ってああいう風に突き放されるのは一種のプレイだったんだよね???? ねぇ、そうなんでしょお?」
狂気に満ちた瞳で私の首を締め付け、笑う。豚の唾液が私の首に垂れて、肌がぞわぞわと拒否反応を起こした。
「や、め、て……」
「イイねぇ、その表情。ゾクゾクするよおう」
「離し、て!」
「離さないよォ、今日はずっと、2人で愛し合おうねエ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
やっとのことで掴んだ目覚まし時計を、豚の後頭部にクリーンヒットさせ、痛っ、と気を抜かせたところで、私は部屋を飛び出す。
「エルフ、なんかすごい音がしたけどどうした……!?」
途中でアルに出会ったけれど、無視して裸足のまま家を飛び出す。
『嫌いだ』
『人間なんて大っ嫌いだ』
かつて私であったはずのシンデレラが叫んでいる。
昔々、私は痛みと悲しみで真っ二つに裂けた。だとすれば、もう1度同じ苦しみを与えられたとしたら、今度はどうなってしまうのだろう。
必死に走って走って、やっとのことで辿り着いた公園の隅で、私はうずくまって息を整える。
「……っ、アル」
助けて。
- 豚と真珠 ( No.26 )
- 日時: 2016/10/24 21:43
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
幸せだった日々はもう戻ってこないのだと、確信した。公園の月に誓って、もう私は死のうと思った。
幸せに生きようと努力したつもりだったけれど、どうやらダメだったようだ。私の頬に、涙が伝っていく。
豚の涎で濡れていたパジャマが夜の風で冷えて、冷たい。それはやっぱり豚の体液なんだと思うとすごくぞわりとしたけど、今はもうどうでもよかった。
公園にはもちろん誰もいなくて、ただただ私の咽び泣く声が醜く響いて、少し恥ずかしく思う。まるで子どもみたいだ。今までにも、こんなに泣いたことは無かったのに。
「……どうして、私ばかり」
『それはあなたがエルフだからよ』
「だからこそ、幸せにならなければいけないのに!」
『……そうね』
それっきり、なぜかシンデレラは黙り込む。そういえば、私が襲われていたとき、なぜか彼女はガラスの靴を持ち出さなかった。
『強く、生きて』
ぽつり、とシンデレラが呟いた。その意味はよくわからない。私は強くなるために、こころを捨てた。ガラスの靴にくちづけした。それなのに、どんどんこころが脆くなって言っている気がするのは、何故だろう。ねえ、シンデレラ。私はまだ幸せになれないの?
その後の返答は一切なく、私は諦めて砂場の近くにしゃがみこみ、1人泣いた。いつもの私なら出てもすぐに止まるはずの涙が止まらなかったのだ。仕方ない。
あのクソ親父はどうなったのだろう。アルが多分気づいて、半殺しにしてるんじゃあないだろうか。そう思うと少し気分が明るくなって、涙が引いた。アルは太陽だ。私とは真逆の存在。
そして、雫さんがあんなに酷いことをするだなんて、思わなかった。あんな豚と愛を交わすほど、私のことが嫌いだったんだろうか。考えれば考えるほど意味がわからなくて、私は混乱する。なら死ねば? なんて思考が無限ループして、死にたくなった。今度こそ幸せになるために生まれてきたはずの私は、どんどん不幸になっていっている。滑稽だった。
前世の記憶はほとんど無いけれど、幸せになれなかったことはよくわかる。私がこうやってここにいるのが、何よりの証拠だ。輪廻転生。人も動物も、回っている。私はそれに自我を持って人間に戻ってくるだけの存在なのだから。
「エルフ!」
遠くの方から私を呼ぶ声が聴こえた。思わず振り返ろうとするよりも前に、その主が私の身体を背後から抱きしめる。
「いやっ、離してっっ」
先刻のことを思い出して、思わず全力で振り払おうとしてしまう。しかし、男の力は強く、また、それは私の知らない男ではなかった。
「……いや、離さない」
「アル……?」
ぎゅ、とあたたかくアルが私を包む。それがまた恐怖を煽って私はガタガタと震えたけど、彼は決して私を離そうとしなかった。
「ごめんな。気づいてやれなくて」
「う、ん。大丈夫」
震えが止まらない私は、上手く回らない舌で返す。アルは私の肩を掴んでこちらへ振り向かせた。
「ひどい顔して……辛かっただろう?」
「……うるさ、い」
ぷい、と顔を背ける。なんだかアルの顔を見ると安心して、震えが治まってきた。いつもと変わらない端正な顔立ちだ。
「……エロ秀明なら、一発殴って家に強制送還させてやった」
「そう。……ありがとう」
真剣な表情でアルは私を見つめると、何もかもを呑み込むように、静かに頷いた。
「母さんもきちんと締めといたから、とりあえず家に帰ろう」
「待って」
私を立たせようとするアルに静止をかけ、今度は私からアルにしがみついた。
「もう少し、このままで」
ぐっ、とアルの背中に手を回し、こちらから強く抱きつく。びく、とアルは身を縮こませたけど、またすぐに私をひし、と抱きしめていた。
彼の胸にふと柔らかいものが当たって、そういえば、今私はブラをつけていなかったことを思い出した。今更だった。もういい。アルは私の弟なのだ。血は繋がっていなくても、幼い頃から側にいれば、それは家族になる。姉を好きになるはずなんて無い。
「……好きよ」
あなたが好き。今も昔も、私はあなたに恋をしている。そんな言葉は、この綺麗な嘘みたいな月にさえも、聴こえやしない。
けれど。幸せになるためにはもうあなたを愛してはならないと、シンデレラは言っていた。
だったら。これでもう、終わりにしようか。
『あなたは幸せになるために生まれてきたのよ』
シンデレラは、あの日と同じように、それだけ呟いた。
**
家に着くと、雫さんがソファにもたれ、項垂れていた。
「謝れよ」
「……」
不機嫌そうに眉を顰め、アルの言葉を無視し続ける。
「母さん」
「……」
「母さんは最低なことをしたんだぞ!」
「……うるさい」
歯をむきだしにしてまるで狼のように唸るアルを逆に睨みつけ、雫さんは捲し立てた。
「女手一つであなたたち3人を養うことが、どれだけ大変かわかる!? 子供なんて、ただお金を浪費していくだけの役立たずじゃない! だったら、生かしてやる代わりに好きなようにしたっていいでしょ?」
「父さんは優秀な警察官だった! 入院こそしていたけど、貯金もかなりの額だったって、葬式のときにきいたぞ!?」
「そんなものっ、すぐに無くなってしまいました!」
歯軋りをして、雫さんはアルに反論する。だけど私は知っている。優しい優しい父親が私たちの未来のために残してくれたお金は、全てホストクラブに消えていったことを。
「えるもねぇ、拾ってやったんだから少しは……」
「もういい」
その後に続くであろう罵倒の言葉を聴きたくなくて、私は2人の間に割って入る。いつの間にかリンが、私の隣で心配そうにぬいぐるみを抱いて立っていた。
沈黙の中、私は口を開く。
「もういいです。私が出ていきますから」
「っ、エルフ!」
「要するに、私が邪魔なのでしょう? それなら出ていきます。本当は高3になるまでは、と思っていたのですが、そこまで言うのならば出ていきましょう。ただし、時間をください」
手短にそう言って、頭を下げる。アルは呆然と私のそんな姿を見つめていた。
「……わかったわ」
「ありがとうございます」
「ちょ、ちょっと待てよ」
慌ててアルが私の肩を掴もうとするも、私はその手を振り払い、彼の方へ向き直ってこう呟いた。
「いいんだよ、これで」
そうしてくるりと背を向け、リビングを出てゆく。憂鬱だ。豚の臭いのする部屋を早く片付けなきゃ。アルは私を呼び止めようと叫んでいるけど、私はもう振り返らない。
あなたのお陰で私はあたたかさを知りました。愛を知りました。でもそれはもう終わり。あの抱擁は、月だけが見ていたのだから。
「幸せになろう」
**
「ああぁあ、許してくれ僕は悪くないっっ、あいつが誘惑してきたんだァっ。君だってそう思うんだろう?? なあ、そうだろお??? なら同じ男としてここは許してくれないか??? ほらかかかかかかかか金ならあるぞいくらでもやるからな? な? だからだから、だからぁっっ、殺さないでくれえええええええええええええええええええええええぅ? お
・
かはっ」
「お前がいくら豚のように、芋虫のように汚く這いずり回っても、それはお前を殺さない理由にはならない。
まあ、いいじゃないか。おやすみ。
また、会えるんだから」