複雑・ファジー小説
- さようなら希望 おかえりなさい絶望 ( No.27 )
- 日時: 2016/10/25 20:57
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
- 参照: 過ぎ去る幸せに、ご挨拶をしましょう。
朝目が覚めて、普通に学校へと向かう。涼し気な顔で朝食を食べるエルフを尻目に、俺はリュックを背負った。リンはゆっくりご飯を食べ、母さんはもう彼女に嫌味も言わないで、ただただ洗い物をしたり、メイクをしたりしている。きっと、エロ秀明との結婚も無しになるのではないだろうか、と勝手に邪推した。
学校へ着いたら自主練習をして、自分よりも早く学校で準備していたマネージャーにタオルをもらう。真っ白な体操服には、『木村』とあった。どこか笑顔が空虚な、平凡な女の子だと思った。
授業中はぐーすかと寝つつも、ある程度は真面目に過ごし、友人と語らい、怒られない程度に馬鹿騒ぎを起こす。そうしてお昼ご飯を食べていたら女子に呼び出され、告白された。返事はもちろんNOだ。俺には好きな人がいるから。
授業が終わるとまた部活で、汗を流し、ボールに目線を集中させる。運動をすると悩みも吹っ飛んで、少し気分が晴れた気がした。このまま恋心も吹き飛ばしてくれたらよかったんだけどな。そんな単純なものではないから。
日が傾いて暗くなったところで練習を終え、校門を出た。コンクリートの道で季節外れのたんぽぽを見つけて少し微笑んでしまったのは、俺だけの秘密だ。
近所のおばさんが小さな犬を連れて散歩をしていたが、糞の始末をしていかなかったのでげんなりした。どうしてこんなに無責任な大人がいるのだろう。母さん。
父さんは、とても優しい人だった。この世の全ての人が、父さんのように穏やかであれと、どれほど願ったことだろう。世界は優しくないのだ。
いつもより少し平和な生活。それが何より幸せで、守るべきものだった。昨日はそれを拒絶されたような心地がして、不快だった。エルフがこの家を出ていく必要なんて、まったくない。それどころか、いつまでも居続けてほしい。本気でそう思っていた。
戸籍上は姉であるエルフとは、恐らく母さんが死なない限り、結婚できないだろう。母さんは必死で反抗し、またエルフを傷つけるに違いない。昨日のようなことは、もう絶対にあってはならないのだ。
かといって母さんにはまだ逆らえない。養ってもらっている身で、そう強く言い出せないのが事実。俺がもっと強かったら、大人だったら、エルフを守れたのに。そんなことばかり考えた。
「『強くなりたい』」
とある少女漫画の主人公のように、呟いてみる。エルフが好きだった漫画だ。よく覚えている。
父ならその漫画を見たことが無くても、こう言って笑ったことだろう。
「『”なりたい”じゃなくて”なる”んだろ。自分で』」
**
「は?」
母さんの言った意味がわからず、思わず間抜けな声が飛び出す。
「だから、秀明さんのアパートまで行ってきて」
「なんで?」
「昨日から連絡がつかないの。もうとっくに仕事は終わってる筈なのに……」
「残業じゃないの?」
「……とにかく、心配なのよ」
まだスーツから着替えもせず、母さんは青白い顔でテーブルに手を付いている。その姿から、昨日のことをまだ心配しているのだとわかった。
エルフを凌辱したやつだ。俺は正直どうでもいい。
「お願い」
弱々しい瞳で、懇願される。それはどこかエルフに似ていて。
女なんてみんな一緒なんだな、と思ったが、なんとなくあれからエロ秀明がどうなったのかは気になってきたので、結局頷いてしまった。
「私も行くわ」
「っ、駄目だ」
ソファでテレビを見ていたエルフが、こちらを振り返り、不満げな顔をする。
「お前はここで休んどけ。またあいつに何かされるかもしれないだろ?」
「……わかった」
その言葉に、ほっとした。あいつの力は案外強い。また襲われたら、たまったもんじゃないからな。
それにしても、昨夜襲われたばかりの男の場所へ行きたいと思うものだろうか。エルフはやっぱり強いな、と俺は思った。
エロ豚が住んでいたのは、小さなアパートだった。豚小屋にしては小綺麗で、意外と広い。嗚呼、ここに住んでいる全ての人が家畜に見えてくる。悪いのは、アイツだけなのに。
母から聞いた番号の部屋を見つけ、インターホンを鳴らす。表札には「栄三」とあり、なんだか珍しい豚のような苗字だな、と思った。
しかし、秀明は出ない。やっぱり残業だろうか。そういえば、何の仕事をしているんだろう。あのデブ加減からして、デスクワークだろうか。似合わない。
反応が無いということは、寝ている可能性もあるな。そんなことも考えて、俺はガンガンとドアを叩いた。
「エロ秀明さーーん。いたいけな少女を辱めようとした秀明さーんおらぁ」
近所にきこえるように、わざと大きな声で叫ぶ。我ながら子供っぽいと思ったが、その後も何の反応も返ってこない。
きっとまだ職場なのだろう。一応鍵がかかっているか確認しようと、俺はノブに手をかけた。
きい。
開いた。見事に鍵はかかっていなかったのだ。
「なんだよ……不用心だな」
これ以上は犯罪行為になると思ったのでその扉を閉めようとすると、ふいに鉄の錆びたような匂いが運ばれてきた。
もしかしたら、家の中で怪我でもしたのだろうか。だとしたら、この状況でどこかへ行けば、絶対に俺が怪しまれるだろう。先ほどの大声で、俺がここを訪れていることは、近所にバレているだろうから。俺の馬鹿。
「……お邪魔しますよ」
ため息をつきながら、俺は静かに部屋に入る。意外と片付けられていて、小綺麗な廊下だった。豚にしては。
それにしても、奥に行くにつれ、匂いが酷くなってゆく。なんだ、この匂い。このドアの向こうからか……?
異臭の立ち込める部屋の正体を知りたくて、俺は恐らくリビングに繋がるのであろう扉を開いた。
「……っ」
なんだよこれ。なんだ、これ。
人がいた。内蔵が飛び出てまるで魚のような人間がいた。真っ赤でまるで林檎のようで、気持ち悪い。細胞が破壊されてゆく匂いがする。そうか、夏だから腐りやすいのか。死体は。あれ、死体? 一体誰の……
俺は、その場に嘔吐した。続いて、なぜか後ろから悲鳴が上がる。
「っ、エルフ!? なんで」
そこにはエルフがいたのだ。目の前の惨状に腰を抜かして廊下に倒れ込んでいる。白い髪と肌が、まるで死体のように見えて、俺はまたしても胃から何かがせり上がってくるのを感じた。エルフが生きた人間だとは思えなかった。
「と、とりあえず、、、、警察に……」
「だめ!」
ポケットからスマホを取り出そうとすると、エルフが素早く近寄って、吐瀉物で汚れた俺の手を握る。
「だめ……おこられちゃう!」
「事情を説明すれば、きっと大丈夫だ! それより、今ここで逃げれば、逆に怪しまれる!」
「だめなの、ぜったいだーめ!」
「エルフ……?」
まるで子供のように、エルフは喘ぐ。
そんなエルフの豹変に、俺は逆に冷静さを取り戻した。エルフはうー、あー、と喘ぎ声を漏らすだけで、がくがく震えている。まるであのときみたいだ。俺は戸惑いつつも、汚れた手で、エルフを抱きしめた。なんなんだ。エルフはどうしてしまったんだ。
それでも必死で気持ちを落ち着けて、警察に通報する。
「もしもし……」
俺が震える声で説明している間、エルフはずっと俺の胸の中で震えていた。それは泣いているようにも、笑っているようにも思えて、どこかむず痒かった。
後から考えてみると、その日は不思議な夜だった。幸せがどこかへ旅に出てしまったのは、カーテンの開いた窓からも、どこからも月の見えない、満月の夜のことだった。
・・・
*引用
酒井まゆ著「シュガー*ソルジャー4」より、chapter18