複雑・ファジー小説
- 溶けぬ赤 ( No.34 )
- 日時: 2016/11/18 18:42
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: qbtrVkiA)
黒の中に赤。醜いソレはカッパにどんどんと染み込み、私のこころにまで侵入してきた。雨はただひたすらに希望を見失った私たちを冷たく痛めつけ、体温を奪ってゆく。苦しげに息を吐くと、彼女もまたうめき声をあげた。その口から赤い血が飛び出し、思わずひ、と仰け反る。
「やだ、汚いっっっ」
声が漏れた。尻餅をついた衝撃で、手からナイフが滑り落ちる。赤が地面に落ちて、水たまりの中に消えた。影山は苦しげに、
「な、ん……で……」
「なんでって、、」
かあ、と頭に血が上る。
「お前が私の幸せを奪ったからだよ! 留衣くんだって、友達だって、全部全部全部全部全部!」
お腹から大量の血を流して青白い顔で言う彼女に、私はそう捲し立てた。
苦しみに耐えながらも美しいその顔に、私はキックをお見舞いする。その綺麗な顔が許せなかった。
「私が雨の日にに設置した盗聴器を通して、全部きこえてた。留衣くんをそのお綺麗なお顔で誑かして、いやらしいこと、したのよね???ね?? 死ねばいい」
ナイフを拾って、握り直す。水たまりに落ちたナイフは酷く冷たくって、死にたくなった。昨夜の声を思い出して、怒りを通り越して、憎しみがふつふつと湧いてくる。
私は、留衣くんに選ばれなかった。話したこともほとんどなくて、関わりなんてマネージャーとしてぐらいしかなくて。それでも、彼の姿をずっと見守っていたのに。
だから殺してやろうと思った。冷たいあなたにお似合いの、とびっきりの銀ナイフで。
「お前は人の幸せを喰うことしかできないの?」
影山は虚ろな目でその言葉を聴いて、項垂れた。力が抜けたのか、もしくは失血しすぎたのだろうか。水たまりがもう真っ赤になっていた。汚い。でも、これは留衣くんの色だ。綺麗な綺麗な、赤い髪。決して、影山のような醜いプラチナブロンドじゃない。
「お前が一生不幸でいればよかったのにっ。そうしたら、みんな幸せに過ごせたのにっっっ」
私のその叫び声は、まるで泣いているかのようにもきこえた。そうしてぐったりと血塗れのアスファルトの上に横たわる彼女の白い顔に向けて、ナイフを振り上げる。冷たい雨が。雨が。ただひたすらに、赤を塗りつぶしていった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。ふと、ひたすら上下にあげていた腕が誰かに掴まれて、我に返る。
「これ以上はやめてよ。君まで殺しそうになる」
「……千代田ぁ」
ふらふらと私の手からナイフを奪い取り、無表情のまま千代田はもう動かない影山さんの顔を見つめた。はっ、として、私も彼女を見る。そして次の瞬間悲鳴をあげた。彼女のお美しい顔が完全に壊れ、ただの部品になっている。
どうしよう。なんてことをしまったんだろう。私は人を……殺してしまった。だから彼女の顔はただの部品になった。殺すつもりなんてなかったんだ。ただ、刺そうと思っただけで……だから彼女はしたいになった。留衣くんを奪われたことでかっとして思わず……だから彼女はものになった。私は……殺人者だ。だからもう、美しい彼女は2度と戻ってこない。
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
ざあああ、と耳障りな雨の音を突っ切って、私の笑い声が響く。
もう取り繕うのはやめよう。彼女は死んだんだ。私の幸せを邪魔する怪物はもう消えた。これで私も幸せになれるんだから。
「ねぇ千代田あ、このこと言ったらぁ、ぶっ殺すよぉぅ?」
千代田の細い手からナイフを奪い返して、今度は千代田に向ける。真っ黒な闇の目がこちらを見つめ返す。ちっとも怖くなんかなかった。だって私も今、同じ表情、してるから。
「言わないよ」
は、なにを、と嘲笑おうとした瞬間、関節を掴まれ、力が抜けた。かん、とナイフが地面に落ちて、あ、と声を出す。ナイフは今や千代田の手の中にあった。
「返しなさいっ」
「どうして? これは僕のものだもの」
薄く笑って千代田が……いや、チェシャ猫が私を優しく蹴り飛ばす。ふわり、と意志を失った私の身体がひとりでに宙を舞った。
「僕が殺したんだ。影山さんのことが好きで好きで仕方なくって、僕が殺した。だから君は関係ない」
尻餅をついた私は、呆然とチェシャ猫の背中を見つめる。意味がわからなかった。私が殺したのに。どうして、あなたは。まさか、庇ってくれるの?
散々迷ってねえ、と話しかけようとするとちょっと後ろを振り返って、
「あれ、君……だれ?」
その言葉で何もかもがわかった。私は黒いカッパを脱ぎ捨てて、逆方向へ走り出した。
服が、髪が、下着が、こころが、全部雨に洗い流されてゆく。そして残ったのは、愛だった。きっと彼もそうなのだろう。どうしても笑いが止まらなかった。
後ろを少し振り返ってみると、もはや原型を留めていない影山さんの顔に自らのそれを近づけ、何事か呟いていた。美しい、と思った。きっと、チェシャ猫は愛する人と死ぬつもりなのだ。
髪を犬のように振り乱して、私は笑う。
「ははははははははははははっ、チェシャ猫に、幸あれ!!!」