複雑・ファジー小説
- Re: 七夜、八夜【SS】 3/78 ( No.4 )
- 日時: 2016/12/26 07:50
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: cYeSCNTQ)
僕がよく見かけるあの子は、いつも、夕方にブランコで遊んでいた。
■公園のあの子
そこで僕は彼女に倣って、遊びはしないけれど、彼女が帰るまで公園のベンチに座ることにした。春が終わり夏に差し掛かろうとする頃の出来事だった。
日が暮れると、まだ外は薄ら寒い風が吹くが、彼女は気にせずブランコをこぐ。高く高く。だんだんと輝く星空に、いつか届いてしまうんじゃないかと思うほど、彼女は高く高く、上がっていった。
ついに星を掴むことはなかったけれど、僕が彼女を観察していた間中、彼女はいつも星をとろうとしていた。
僕らはいつからか「赤の他人」から「同じ公園にいる顔見知り」になった。彼女が僕をしっかりと見ながら、控えめに会釈をする。僕は少し遠慮がちに、同じく会釈をし返した。
春の香りなんてなくなって、木々が青く変わる頃にもなれば、僕らは「知り合い以上友達未満」に変わっていた。僕が公園に来てから読んだ本は、もう三十冊にさしかかろうとするところだ。
彼女は僕の読む本に、過剰とも取れるほど反応を示した。例えるなら、太陽と共に生活する人に、いつでも明るい白熱灯見せたような感じだ。
僕らはそれからよく話すようになって、彼女に倣って星をとることもあった。けれど、やはり星は取れずに終わる。それでも悪い気はしない。
地面に立つことで安心や安寧を感じる人類の、とても主体的な、現在からの脱却行為だったからだ。ほとんど経験のない浮遊体験。僕と彼女は、少し関係が更新された。
彼女はよく笑う子だった。星をとろうとする間も、僕と話している時も、常に笑顔を浮かべていた。ただ学校の話をする時だけ、表情がぱっと変わる。何度か意図的に聴くことで、彼女の事を少し知ることが出来た。
名前は安東 祐奈といって、中学二年生らしい。部活動に所属しているらしいが、もう半年近く顔を出していないらしかった。家族関係は良好だが、学校の教員や友人と上手くいかないことが多いと、彼女は笑った。
僕の中で彼女は彼女であるけれど、その実、中身なんて一つもないように感じられる。彼女はそれくらい儚くて、きっと、あの日僕が観察を始めなければもういなくなってた様な気がした。
少しずつ学校の不満や、家族との思い出を語る姿に、僕は本を閉じた。安東祐奈という人間にとって、こうした体のいい話し相手がいふことは、何よりも嬉しいことだろうと思う。
僕らはこうして、夏の一番暑い頃、秘密を共有した。安東祐奈が、安東祐奈の中に抑えきれない気持ちを、僕らは共有したのだ。
次の日からは、また何も変わらず、僕は本を読み、彼女は星をとろうとしていた。じっとりと出る汗のせいで、指を置いている部分がふやける。
「これだから、夏は」
僕は夏が嫌いだった。暑い日差し、元気な子どもたちの声、脱水で運ばれる年寄り、プールサイドでインタビューを受ける若者、エトセトラエトセトラ。誰も家にこもって本を読まない。
暑い暑いと言って薄着をする女も、僕は好まなかった。汚い肌を晒して、ばかみたいに大声をあげて笑い合う姿が、ひどく醜く映る。
その日以来僕は公園で本を読むことはやめた。この日も変わらず彼女は空へ飛び上がる。僕はぼんやりとそれを見つめていた。もし、彼女が星を掴む日があるなら、僕はその場に立ち会いたい。そう思っている。
彼女はきっと僕のことを、誰にも話していないんだろう。僕も彼女のことを、誰にも話していない。彼女はいつも学校の制服で、空を飛んでいた。僕は私服で、彼女を見る。
名前も知らない他人だった頃と比べて、彼女は笑顔が増えた。会釈はいつしか挨拶に変わっていて、僕らは違和感なく交流をしている。
白っぽかった彼女の肌は、気付けばほどよく焼けて健康的な色に変わっていた。僕も彼女と同じように焼けて、皮が剥けつつある。
「もうすぐ七夕だよ、お兄さん」
うとうとしていた僕を腰を曲げて見つめながら、彼女が言った。暑さと眠さで働かない頭で、彼女の言葉を反芻する。七夕なんて、しばらく触れていなかった。
昔は願い事を書いて、地域で用意した笹竹にくくりつけた記憶がある。けれどそれも随分昔のことのように思えた。僕の両親は元気に過ごしているけれど、三人で出掛けた覚えはあまりない。
「七夕って……。もう本州だったら終わってるじゃないか」
「ここは内地じゃないじゃん」
「そうだけど……」
私、七夕になったらもう来ないからね。普段星をとるときと変わらない笑顔で、彼女はそう告げた。告げたというよりも、もっとあっけらかんとしていて、親しい友人に今日の天気を告げるようなものだ。
あまりにも突飛なことで、僕は呆然として口を開けっ放しにしてしまっていたらしい。長い髪を揺らしながら、僕を指さして笑っていたから、そう考えた。
この曖昧な関係が終わる日が、だんだんと近付いている。永遠に続くなんて考えていた訳では無いけど、終わりが見えてしまうと、何故だか頭を殴られたように衝撃がはしって、つらくなる。
僕はこんなに女々しかったのかと、ふふっと笑いをこぼした。怪訝そうな表情を彼女は向けてきたが、すぐに表情が変わる。
「だから、お兄さんと七夕の日は過ごそうと思うんだよね!」
最期の七夕だし、とVサインを向けてくる。
「最後、か。うん、いいよ。君がそれでいいなら、付き合う」
「ありがとう!」
僕が承諾すると、目の前には今まで見たことがない、年相応の彼女がいた。星をとろうとしている時も、僕と話している時も、大人っぽさを貼り付けていた彼女が、だ。
それくらい、彼女にとって僕がほかとは違ったのだろう。彼女にしてやれることなんて何も無かったけれど、最後に感謝の気持ちを伝えられるチャンスかもしれない。
今日はそのまま解散した。彼女はずっと僕の隣で話をして、僕はそれを聞くだけだった。初めて空を飛ばなかった彼女は、いつもより清々しい表情で笑う。僕も、その自然な笑顔を見せる彼女が好きだった。
彼女と別れたのは、まだ太陽が沈みかけている時間。公園で遊んでいたほかの子供たちが、揃って帰っていく頃だった。
いつもより早く帰ってきた僕を見て、母さんは何か感づいたらしい。いやらしい笑顔を貼り付け、いい日だったみたいね、とだけ僕に言った。女の勘が怖いと思ったのは、これで二度目だ。
帰宅の遅かった父を待って、三人で食卓を囲む。スプーンで浅い皿に盛られたスープを飲む。食事の後、部屋から見た星空は、少しもの悲しく見えた。
彼女は夏休みだったらしい。
午前中、おつかいを済ませるために自転車に乗っていたら、ベンチに座る彼女を見つけた。話しかけようかと思ったけれど、優先順位を考えて自転車をこいだ。可能な限り早く帰って、彼女に会わなくてはいけない。今日は七夕だった。
「お兄さん遅いよー」
「いや……うん、ごめんね。でもこんなに早くいるとは思ってなかった」
「最期にする七夕なんだから、急ぐよ」
楽しみにする心にせっつかれたの、と彼女は笑顔を見せる。数日前の約束では、いつ集まるかなんて話していなかったから、仕方が無い気もする。
肝心の笹は昨日の内に町内会の人たちが、公園の中心に一本、植えていた。小さい子を連れた親たちが、笑顔で短冊をかけていく。
「今日で私、この街からいなくなるんだよね」
彼女の唐突な言葉に、そう、とだけ返した。自分でも驚くほど、冷たい言葉に聞こえた。
「だから、せっかく仲良くなれたお兄さんと、最期に七夕したいなって思って。部活も辞めて、なんていうか、合わなかったのかなって思う」
「楽しかったんだよ、中学校。私と同じ学年に、たしか、えーっと……飯田 春馬って人がいてね? その子がずっといじめられてて、私、やめなよって言ったんだよね」
「知らない子なのに助けようとしちゃって……。いやー、我ながら偽善者だなって思うし、多分それが原因でいじめられちゃったのかなー」
まるで彼女は、遠い昔のことを思い出しながら話しているかのようだった。もう触れられない思い出の扉を、少しずつ閉めながら、消しながら話しているような印象があった。
飯田春馬は、駿栄中学校を中退した生徒だった。素行はよく、真面目。勉強もできる優等生で、教師からの信頼が厚かった。それが自分の首を絞めていたことに、彼は中退するまで気付かない。
「君は、自分のした事が正しいと思う?」
僕の問いかけに、彼女は腕を組んで目を瞑る。うーん、と唸る姿を、静かに見つめた。
「でも、みんながしてたのは良くないことだよね……」
そうだね、と僕は頷く。彼女は悩み抜いて、分からないと答えを出した。僕はそれが正しいと思う。彼女と飯田春馬、いじめグループを取り巻く問題なんて過去のことなのだから。
僕らはしばらく黙ったまま、何をするでもなく座っていた。きっとお互いに、願い事を書いてお別れするのが嫌だったんだろう。僕は少なからず、後ろ髪を引かれる思いかあった。
「まあ、とりあえず、願い事書きに行く?」
少し不安そうな顔をする彼女を見て、僕の口から自然とこぼれ落ちる。少し前までの僕は、こんな風に彼女の気持ちを考えることもなかったのに。
「お兄さんはなんて書くか決めた?」
「いいや、まだ何も考えてないよ」
だけど、書きたい言葉はある。それを彼女に知られてしまうのが、少し嫌だった。彼女はもう書きたいことが決まっていたようで、ペンを持つとさらさらと先を滑らしていく。
僕は少し手で隠しながら、ここ数日で膨らんだ思いをぎこちなく書いていく。名前は書かなかった。書いてしまったら、彼女と二度と会えないんじゃないかと思ってしまったからだ。
僕の方が先に書き終わって、彼女が届かない上の方に括りつける。彼女は書き直しているようで、先に取ったピンクの紙をくしゃくしゃにしていた。
他の人の願い事を見ながら暇を潰す。世界征服、お母さんの病気が良くなりますように、好きな子と両想いになりたい、エトセトラエトセトラ。
「終わったよー、お兄さん! 今日はこれでお開きにしよ!」
手に持ったままの願い事。僕は素直に頷いて、ひと足早く帰路についた。きっと彼女には彼女の大切な思いがあって、僕はそれを見たらいけないのかもしれない。
前より早く帰ってきた僕を見て、母さんは驚いていた。七夕祭に参加したと言ったら、なお驚いて、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
母さんのそんな顔は見たことがなくて、僕は驚いてしまった。この日はご飯を食べず、部屋から外を眺めていた。彼女が取ろうとしていた星は、誰の手に触れられることなく、ひたすら輝いている。
「あ」
次の日公園に行くと、願い事ばかりの笹竹はまだ飾られていた。僕はその前に立ち、彼女が書いた短冊を探す。一枚だけくしゃくしゃになった短冊と、僕の短冊と同じところにくくられた一枚が目に止まった。
それを静かにとって、見る。
思わず笑みがこぼれた。彼女は、安東祐奈は、僕が飯田春馬だと分かっていたらしい。意図せず涙が溢れた。彼女はもうこの街から飛び出して、もう手に触れることはできない。
変な関係だった。不登校といじめられっ子、星をとる少女と現実に浸かる少年、妹と兄のような雰囲気の差。けれどそれだけが僕にとっての全てで、僕は昨日彼女に伝える言葉があった。
きっと彼女は、僕の短冊を見たのだろう。短冊の隅に「こちらこそ!」と走り書きされていた。涙を流しきると、少しすっきりした気がする。僕はそっと、彼女の定位置に移動した。
まだ明るくて分からないけれど、僕は、彼女を真似て星をとる。
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あの子に届かなかった手を、今、僕は彼女に伸ばした。
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To はるたさん