複雑・ファジー小説

Re: 最強の救急隊  ( No.21 )
日時: 2018/12/30 16:39
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「おら新入りの神原! もたもたしてんなさっさと行くぞ!!」
「……っ。わかってる!!」

 事件から1週間が経った。
 第7隊の屯所へ帰ると、燠は深々と頭を下げて「此処に残りたい」と言ったのだ。
 まさかそんな申し出を受けるとは思っていなくて、いやむしろ、どこかへ行ってしまうのではないかと思っていたのだ。
 あの雪丸ですら開いた口が塞がらなかった。
 繋は、燠に、

『……仕事の前にやるべきことは分かってるな?』

 とだけ言った。
 頭のいい燠は言葉なく頷くとその場から去っていった。
 それからは燠と一般隊員にしかわからないことだが、事件の翌日には喧嘩はするものの、以前の様ないがみ合うような関係ではなくなった。
 燠はガハハと笑う隊員の背中を「体力底なしかくそっ」と愚痴っていた。
 そんな様子を見て、屯所の事務室で書類の整理をしていた成葉は、隣に座っている繋に声をかけた。

「燠君、申し出断るなんてね」
「ああ。一からこの場所のことを知る必要があるから最初から管理職じみたことをするなんて御免だね、なんてな」

 2人は顔を見合わせて生暖かく笑い合った。
 雪丸は意地悪そうに、成葉に笑いかけると、

「クソガキ。寧ろよかったんじゃねぇのか。燠(あいつ)、もし申し出を受けてたらお前の0.5部下みてぇなもんだぞ。テメェの雑な書類を1ミリ単位まで注意されるぜ」
「それに官僚長の推薦だからな。地位的にはお嬢の少し下か同格だぜ」

 便乗するかのように繋も悪戯っ子のように笑う。
 追い詰めるかのような2人の表情にみるみる成葉の顔が曇っていく。

「そそそそそそそそんなこといってビビらせようとしても無駄だし! そんなこと言ってる暇があったら仕事したら? 職務怠慢すぎるんだけど」
「おい手が震えてるぞ」

 強気な言葉と裏腹に、ペンを持つ手が上下に小刻みに揺れる。
 そんな成葉などお構いなしに、雪丸は、頬杖をつく。

「そろそろだっけか。アイツ、帰ってくるの」
「ああ、もうそんな時期か。1〜7部隊合同のスカウトの旅が終わるのは。夏に行ったから3か月ぐらいか」

 繋も茶を啜りながらしみじみと言う。

「え。花緒(はなお)さん帰ってくるの!?」

 先程まで成葉はしょんぼりしていたのに関わらず、今は満面の笑みで繋に話しかける。

「早くて明日には帰ってくるんじゃないか?」
「確か花緒さんが向かったの関西の方だよね。お土産はお好み焼きかたこ焼きか……くいだおれ人形!」
「あれは土産物じゃねぇ」

 雪丸の一喝で3人は仕事に戻った。
 しかし、次の日に事件が起こるだなんて思いにもよらなかったのである。

Re: 最強の救急隊  ( No.22 )
日時: 2019/01/05 19:42
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「はぁ……」

 小豆洗の少年、和人は浅草橋の下にいた。しかし、その顔はどんよりとした浮かない表情だった。
 手元にあった平たい石を乱暴に掴むと川に向かって放り投げた。
 しかし、石は飛び上がることなく川底へ沈んでいった。
 再び、和人はため息をつく。すると、隣に座り込む少年がいた。

「瑛太……?」
「……やっぱり、此処にいたんだね」

 寂しそうな表情で笑う「瑛太」と呼ばれる少年。
 真っ白な肌に、簡易な着物を着た一つ目の少年である。瑛太は「豆腐小僧」の末裔でもあった。
 和人も、瑛太につられて苦笑する。

「和人、どうしたの? いつもこの時間ってお店のお手伝いだよね」
「……サボっちゃったでやんすよ。母ちゃん、今秋だからって栗餡だの、焼き芋味だのかぼちゃだのって慌ただしくて……他の菓子チェーンに負けてたまるかって毎日うるさくて、おいらをパシリにするでやんすよ! 毎日酷いのにこれ以上だなんて! ……そんで、今この状態でやんす」
「……僕も。父ちゃんが豆腐を作った必殺料理とスイーツを作るって五月蠅くて……。今日の朝も和人のお母さんと大喧嘩してたんだ。僕、少し疲れちゃって……」

 お互いの話を聞いて、2人は再びため息をついた。
 和人は頬を膨らませながら、吐き捨てるように言う。

「おいら秋なんて嫌いでやんす。商売敵だの、売り上げだの、売れ行きだなんてどうでもいいし。おいらたちを巻き込まないで欲しいでやんす!」
「全くその通り! ご先祖様の名誉だか誇りだか知らないけどこっちはたまったもんじゃないよ!!」

 そう大きな声を上げると、2人は立ち上がる。
 
「菓子なんてこの世から消えてしまえー—っ!!」
「なーにがご先祖様の誇りじゃあああああ!! おいらしってんぞ!! 仏壇の写真にすげー埃溜まってるってことを!!」
「くたばれぇぇぇぇぇ!!」
「おらぁぁぁぁぁぁ!!」

 そう叫んで2人は勢いよく走りだす。
 走り方も滅茶苦茶で、今あるのはこの怒りやむしゃくしゃを発散したいということだけだろう。

「気に食わないでやんす!!」
「あ! 和人、ストップ……」

 ハッと我に返った瑛太は未だ興奮が止まらず猪の様に走り続けている和人を呼び止める。
 瑛太の生死の声も聞こえず、和人は目の前の人物とぶつかってしまった。

「うぷっ」
「うわっ!」

 和人は、相手との体格の差もあり、思わず尻餅をつく。それは開いても同じようだったようで、和人と同じ体制を取っていた。

「いったた……。何なんですかもう……」
「あ、あ。すみません!! すみませんでやんす!!」
「気を付けてくださいな! ……ん? 和人さん?」
「え」

 和人の体温が一気に下がる。
 自分はとんでもないことをしてしまった。反射的に何回も何回も土下座する。
 相手は文句を言いかけたが、和人の顔を見るなり、驚いた表情を浮かべた。
 後ろから追いついた瑛太は目の前の人物に驚き、大きく目を見開いた。

「は、花緒さん!?」
「ええ。私(わたくし)ですとも。元気なのはいいことですが些かやんちゃが過ぎますね」

 呆れたようにそう言う美人。
 綺麗に揃えられた白銀の髪に水晶が輝く壮麗な髪飾り。
 素足を出した鮮やかな着物を身に纏った美人——花緒。




 花緒は第7隊「唯一の事務員」である。

Re: 最強の救急隊  ( No.23 )
日時: 2019/01/13 20:17
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「花緒?」
「そ。唯一の事務員。今日遠征から帰ってくるの。会ったら挨拶しときなよ」
「ああ」
「どう? 仕事内容は?」
「……今までのとは比べ物にならないぐらい運動量が多い……!」

 時刻は真昼。
 ガヤガヤと隊員たちが賑わう食堂は屯所の一部である。
 偶然遭遇した成葉と燠はともにカレーライスを頼み、話しつつも食べる手を止めない。
 成葉の問いに、燠は心底悔しそうに顔を歪めた。

「……お偉いさん方がどれほど楽をしてきたか理解した気がするよ」
「でしょでしょ」

 なぜか成葉が胸を自慢げに張った。
 燠はどうでもよさそうに口にカレーを運び続ける。すると、次の瞬間、成葉の隣のテーブルにドサドサと大量のお土産が置かれていた。
 成葉は上を見上げると、そこには花緒の姿が。

「あ、おかえり!」
「お久しぶりですわん。花緒、約3か月の遠征を終えて帰還しました!」
「花緒ちゃーん!!」
「何だよ、報告しとけよー!!」

 花緒はビシッと敬礼をする。
 お土産を早速物色しながら、成葉は満面の笑みを浮かべた。
 只でさえ、騒がしい食堂が1人の美人の登場によってさらに騒がしくなった。

(此奴が、花緒か……)
「あら。そこのお方は初めましてですね、神原燠さん。話は繋様から伺っておりますわ。優秀な問題児と聞いてます。私は花緒。綺麗で若く見えても結構長生きの猫又ですのよ? 以後お見知りおきを!」
「ああ……。よろしく」
「では、皆様! 私慶司さんや繋様に報告しなくてはいけないので。また改めて!」

 嵐の様に来て、嵐のように去る。
 まさしく、花緒はその通りに食堂を後にした。
 ようやく燠は食べる手を止めると成葉に、

「……ようやくオレが異形混じりだって知っても大して反応しなかった理由が分かったよ。ハーフどころか異形そのものがいるんだもんな」
「まあね。わたしは物心ついたころからそれが当たり前だったし! 今は少なくなってしまったけど、前は水妖精(ウンディーネ)とか蛇神とかもいたんだ。小豆洗とか豆腐小僧とかろくろ首は結構いるけどね」
「上の奴らは人間以外嫌うからな。いたとしても大抵は厄介者の扱いしかされてないしな。ほんっと、糞だった」

 吐き捨てるように、燠は立ち上がり、おぼんを返却しようとした。
 少しだけ、成葉の顔を見ると、

「……ま、第七隊(ここ)は少しマシかもな」

 其れだけ言うと、口角を少し上げながらそのまま去っていった。
 成葉もへらっと笑う。

「そりゃ、第一補佐官冥利に尽きますわ!」





02
「……結論から言いますと。勧誘した人材はほとんど他の隊に行ってしまいましたわ」
「何でだ」
「ちょっと。自覚してないんですか? あなたが。特にあなたが恐怖の権現であり、第七隊のイメージダウンに繋がってるんですよ? 女子が成葉ちゃんと私しかいないのがいい証拠です!」
「まぁまぁ、花緒落ち着いてくれ。隊員はとりあえず今のところ規定以内にはあるから問題ないが……。それだけじゃないんだろう?」

 首を傾げる雪丸に、花緒は激高した。2本のしっぽの毛が逆立つほどに。
 繋の言葉に花緒は落ち着きを取り戻すと、書類をバッグから取り出した。先程の怒り顔が嘘のように花の様な満面の笑みに変わる。

「うふふ。流石繋様、わかっていらっしゃる! 実はさっそく、やりたいことがありまして……」
「おい、花緒何仕出かそうとしてやがる……」
「面白いこと考えるな、相変わらず」
「でしょう?」

 げんなりとする雪丸とは裏腹に楽しそうに笑う繋。
 キャピキャピと、楽しそうに彼女は笑うのであった。

Re: 最強の救急隊  ( No.24 )
日時: 2019/01/16 21:34
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「いい加減にしてくれないかね! アンタ、こっから先はあたしの領域だ! ビラなんか貼るんじゃないよ!」
「やーかましい! 領域だのなんだのってほざいてるから売れ行きが俺の2分の1ぐらいしかないんだ!」
「あんだって!?」

 次の日の朝。時刻は10時ぐらいだろうか。
 商店街のど真ん中で2人の争い声が聞こえる。
 1人は薄い紫色の肌をした女性ながら威勢のいい小豆洗——つまり、和人の母、明菓(めいか)。そしてもう1人は豆腐の様な真っ白な肌を持つ強面で、一つ目の豆腐小僧——つまり瑛太の父、富岳(ふがく)。
 どこからどう見ても剣呑な雰囲気で睨み合っている。

「もー!! 母ちゃん、恥ずかしいからこんな喧嘩止めるでやんす!」
「お父さん……。規則で決まってるじゃないか。広告目的のビラは領域ごとに決まってるから自分の領域以外は張るなって……」

 母、父の隣で恥ずかしそうに眉を顰める和人、瑛太。
 どうやら彼らも彼らで店の為に強制お手伝いされているようだ。
「アンタは!」
「黙ってろ!!」

 明菓と富岳の息の合った一喝で息子らはしゅんと黙り込んでしまった。
 周りにいた人間も不安そうに見ている。しかし、止めようとは思わなかった。
 何故ならこの浅草で数ある菓子店はだいたいこんな感じだからだ。一見おとなしそうに見えても手を翳せば、いつ燃やされるかはわからない。
 ただ、この2人が分かりやすいだけだ。

「母ちゃん……」
「…………」

 悲しそうに和人は明菓を見る。しかし、当の本人はビラの事で頭がいっぱいだ。
 瑛太は拳を強く握って全身を震わせていた。
 それは、いつも気弱で大人しい彼からはあまり想像できないことでもあった。

「騒ぎ声がするから雪ちゃんに止めて来いって言われたんだけど——……」

 そこに、タイミングがいいのか悪いのかわからないところに成葉が困り顔でやってくる。
 場の空気に相応しくない表情だ。住民がこぞって彼女に何とかしてほしいという目線を送る。
 その瞬間。

「——瑛太!?」

 素早い動作で瑛太が成葉の元へ飛び出した。
 そしてそのまま腕を掴むと、どこかへ走り去っていった。消極的な瑛太がこんなに動くなんて。
 ただ事ではないと悟った富岳、そして和人がその後を追いかける。

「止まるでやんす! 瑛太! お嬢を連れても身代金は出ないでやんす!! 出るのは若の拳骨と繋副長の手料理でやんすよ!」
「わたし自体に価値無い的な言い方止めてくんない!?」

 そのまま100Mほど走って、瑛太は息を切らせながら、足を止めた。
 場所は、瑛太の家——つまり、専門豆腐店でもあった。
 瑛太は素早い動作で、成葉とともに自宅に入り、至る所に鍵をかけ、シャッターを閉めた。
 そして少しの隙間と、メガホンを取り出すと、大声を上げた。

『お父さんなんか大っ嫌い!! ……ううん、浅草の菓子店なんか大っ嫌い!! 朝から晩まで豆腐豆腐菓子菓子! 人の迷惑考えないで売り上げばっかり! もううんざりだ! これ以上こうなるんなら、主役の豆腐を全部味噌汁と鍋の具材にしてやる!!』
「ふ、ふざけんな!! 瑛太!! 出て来い!! 豆腐小僧(おれら)がそんな意味の無いことに豆腐を使うだなんて——一族の面汚しにもほどがあるってもんだ!!」
『ご先祖なんか知らない!! そんなもの絹ごし豆腐のように潰れちゃえ!!』

 瑛太は富岳の叫びを拒絶する。
 そしてピシャンと扉を閉めた。

「もう知らない。お父さん何て」
(……和人の影響かどうかわかんないけど瑛太口悪くなったな……)

 玄関で体育座りをする成葉と瑛太。
 目尻に涙を浮かべる瑛太を横目で見ながら成葉はそんなことを思っていた。
 瑛太は力強く立ち上がり、

「やりましょう、お嬢。この家にあるすべての豆腐を味噌汁の食材に変えてしまいましょう。360キロを」
「嘘でしょ。豆腐だけバブル時代なの?」

 豆腐360キロ。成葉は思わず慄いた。

Re: 最強の救急隊  ( No.25 )
日時: 2019/01/22 20:06
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「絹ごし木綿に木綿豆腐に高野豆腐……。ほんっとうに豆腐オンリー」
「そうなんです。豆腐なんかうんざりです」
「ええ……。瑛太も豆腐小僧だろ?」

 成葉は愚痴を吐きながら瑛太とともに厨房に立つ。
 豆腐は嫌い、と言いながらも厨房に立つことや豆腐を着る手捌きは素人を超えている。
 その証拠に現在成葉は豆腐10個ぐらいしか切っていないのに対し、瑛太はその倍の20個を切っていた。
 それをどんどん大きな鍋に無表情で入れていく。

「全部味噌汁にするの? わたしたちだけで食べきれないでしょこれ」
「大丈夫です。助っ人がいますから」
「助っ人?」

 瑛太は少し表情を和らげ、後ろを振り向き、指を差す。
 指を差した場所には、冷蔵の角。そこには、小さな犬がいた。しかし、不思議なことにその犬の体はトマトの様に赤い。
 成葉は思わず眉を顰める。

「んん? あれどう見ても犬の色じゃないけど……。どこで拾ったの?」
「河原です。一昨日、学校から帰ってきたときに見つけました。……お父さんは衛生がなんとかで動物は駄目って言うからこっそり僕の部屋で飼ってたんです」
(……あれ、どこかで)

 ふと、成葉の頭の中にあることが過った。
 それは、昨日の夜。繋と雪丸と話していた時だった。

——さっき入った情報だ。聞いてくれ、若、お嬢。
——何だ、また喧嘩か?
——違う。この浅草(まち)に魔獣が紛れ込んでるらしいんだ。
——魔獣? でもあれって西洋の異形だし、そんな目立つのだったらすぐ気づきそうだけど……。
——いや、そうなんだが……。情報の魔獣は小型のタイプだそうだ。それに、最近は国際化やら何やらで外国の異形問題も多発してるしな。今回のは、犬みたいな形だそうだ。見つけにくいとは思うが魔獣の特徴は真っ赤な肌の色。小型は特にな。見つけ次第捕獲あるいは退治してくれ。一般人に被害が出たら元も子もないしな。
——了解〜。

 昨日の会話を思い出して思わず顔を真っ青にする成葉。
 確かに普通の犬の肌は赤くない。強いて言うならそれは血塗れの犬だ。だがこの犬は怪我なんてしてないし、むしろ元気に感じた。
 その犬(仮)は「ぺうっ」と吠えた。

「この犬……。エヴァンスって言うんですけど、よく食べるんです。だから頼りがいのある助っ人になりますよ」
「へ、へぇ。そ、そう……」

 成葉は自分のよさすぎる直感をこれほどいやと思ったことはない。
 犬は赤くないし「ぺうっ」なんて吠えない。この犬——いや、エヴァンスは魔獣だ。
 魔獣は、いくら小型犬といえど、凶暴化したら一般人には手に負えないし、最低でも3メートルぐらいは大きくなる。

(まずは豆腐云々より、エヴァンスを引きはがさないと……)
「うわっ。止めてよエヴァンス! まだご飯はできないよ!」
「ぺうっ!」

 成葉が何だかんだ考えている間に、瑛太とエヴァンスは程度の低いホーム映画のような信頼関係を築いていた。
 その様子に思わず、成葉は、

(引きはがしにくい〜っ!!)

Re: 最強の救急隊  ( No.26 )
日時: 2019/01/26 19:08
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「誘拐ぃ? クソガキがか。誰にだ……」

 事務室にて、雪丸、繋、花緒は似合わない事務作業に追われていた。
雪丸は顔を歪ませた。しかも、誰かを殺しそうなオーラを放っていた。
 そんな雪丸を見て花緒は諫めるように眉を顰める。

「落ち着いてくださいまし。情報によると誘拐したのは豆腐専門店の息子の瑛太さん。見ていた人の証言と隊員さんによれば豆腐ばっかりの父親に嫌気がさしてクーデターと言うところです」
「珍しいな。あのおとなしい瑛太が……」
「そうでもないですよ繋様。この時期はどの菓子店料理店も売り上げがはっきりする季節。店主はこぞって殺気立ってるわ、どんな手段も使うわでそりゃあ巻き込まれた子供たちは嫌気がさしますわ。親が何をしているのかいまいち理解できないんですもの」

 ふう、と花緒は疲れたようにため息をついた。
 少し慶司の顔つきがいつも通りになる。

「差し詰め、巻き込まれたってことか。何やってんだクソガキ……」
「まぁ、成葉さんなら大丈夫でしょう。何とか棒も持って行ったし。それもそうですがぁ……、ふふ、時期は速まってしまいましたが行きましょう、繋様!」
「俺達はともかく……花緒もか?」

 繋の手を取り、強引に立ち上がらせる花緒。
 思わず首を傾げる繋に、花緒はばっちりとウインクを決める。

「ええ、勿論ですとも! これは第7にとっても私にとっても絶好の稼ぎ場所! さぁさぁ行きましょう、輝ける未来へ!」
「やっぱコイツ銭ゲバだな」

 雪丸は横目で花緒を冷たく見た。
 そんな雪丸などどうでもいいように、花緒は繋の手を引っ張って外へ向かった。


(どうしよ、とりあえず繋にメールしないと……)

 そっと成葉はポケットからスマホを取り出す。
 すると、魔獣、いや、エヴァンスが「くぅ〜ん」と鳴きながら此方を見上げていた。
 思わず成葉は所持していた己の黒い武器——何とか棒で叩きたくなったが、瑛太がいる手前抑えずにはいられなかった。

「……お嬢、もしかして犬嫌い……?」
「そういう問題じゃない!!」

 瑛太ってこんなに馬鹿だったっけ。
 そう言いたくなったが、此れも我慢した。どうやらエヴァンス、見る限り犬並みの知能しかなさそうだ。
 スマホが何だかも理解していない様子。

(仕方ない、隙を見計らって魔獣を連れ出すしかない)
「瑛太——っ!!」

 運が悪いことに、外から大きな声で富岳の声が響いた。
 弾けた様に瑛太は鬼の形相で窓を少し開ける。

「何を言ったって無駄! 僕は豆腐を破壊し続ける」
「話そう!! 俺もきっと悪いところもあるが豆腐は捨てきれねぇ!! お互いいい方向に向かう様に話し合おうや!!」
「それを何百回言ったの!? そんなんだから母さんは愛想をつかして出ていったんじゃないか!!」
「それは反省してる!! それを踏まえて……」
「暫く話しかけないで!!」

 そう叫ぶと、ぴしゃり、と窓が閉められた。
 最早そんな展開は分かり切っていたため、成葉は鍋に入れられた味噌汁の具合に熱を入れていた。

「瑛太。できてるよ。今食べる?」
「いいえ、エヴァンスが食べます」
「味噌汁を!?」

 成葉は繋に聞いたことがあった。犬に関わらず猫もだが、人間の食べ物は塩分が強いためたくさん与えていると、病気になってしまうと。

「……エヴァンス……!」

 しかしこの成葉非情になれない性格が災いして犬っぽい魔獣にちょっぴり心を砕いていた。

Re: 最強の救急隊  ( No.27 )
日時: 2019/01/30 21:00
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「お嬢——っ!! いるか!? 返事してくれ——!!」
「ちっ。アイツ、何してやがるんだ……」

 成葉たちが味噌汁を飲もうとしていた同時刻。
 豆腐専門店——つまり、瑛太の自宅の外には、雪丸、慶司、花緒に第7隊、そして野次馬の町民たち。
 その様子は本当に強盗が人質を取って立て籠もっている現場のようだ。
 富岳から借りたメガホンで繋は必死に呼びかけるが返事が返ってくる様子はない。雪丸は眉根を寄せて舌打ちをする。

「あれま。成葉ちゃんからですわ」
「なんて書いてんだ」

 ピロンと軽快な電子音が鳴る。
 花緒は胸元からスマホを取り出す。雪丸は花緒のスマホにある成葉と思わしき文面を覗き込む。

『豆腐処分、赤い犬、この空間怖い』
「何だこりゃ」

 簡潔に送られてきたメール。
 雪丸はさらに怪訝な顔つきになる。流石の花緒も困ったように首を傾げていた。
 後から繋がそのスマホを受け取ると、

「なるほどな」
「何か分かったのですか? 繋様」
「ああ。恐らくだが……豆腐処分ってのは、この店にある在庫の豆腐を何かしらの形で処分してるんだろ。味噌汁とかにしてさ。それにさっき瑛太も叫んでたし。次の赤い犬……いやなことを言うがこれは多分魔獣だ」
「……!! おい、それは……」

 繋の言葉に雪丸は瑛太の家を睨む。
 続けて繋は言う。

「小型の魔獣の体毛は基本的に赤いし……瑛太は異形についての知識はあまりないからな。大方犬と勘違いしたんだろう。間違える気にはなれないが」
「子供って案外センスが独特ですからねぇ」

 花緒は思い当たる節があるのか鼻で笑う。
 つられて繋も苦笑するが、その言葉に富岳は慌てたように叫んだ。

「お、おい! 魔獣って……。そんなもん家にいるんだったら瑛太はどうなるかわかんねぇってことじゃねぇか!!」
「落ち着いてくれ富岳の親父。中にはお嬢もいる。いざとなったら戦うさ」
「……で、だ。繋、最後の空間なんたらってのは?」

 腕を組みながら雪丸は繋を見る。

「……多分、途切れることのない豆腐、魔獣の犬、気性が荒くなった瑛太。どれもこれも恐ろしいんだろ」
「あのヘタレが……!」

 ドスの利いた声で雪丸は呟く。
 深く、深呼吸した後に瑛太の家に一歩踏み出した。

「魔獣がいるってんならやることは1つだ。クソガキが魔獣を追い出したところを第7(オレら)がひっとらえる。しくじんなよ、おめぇら!!」

 雪丸の指示に隊員は「おう!!」と気合の入った返事を返す。
 そんな彼らの傍ら、花緒は女神の様なニコニコ笑顔で富岳と明菓のところへ駆け寄った。

「あのぉ……。御二方、すこぉしばかり相談が……」

Re: 最強の救急隊  ( No.28 )
日時: 2019/02/05 21:06
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「美味し……くない! いつまでこの不味い豆腐を食べなきゃいけないんですかね」
「あの……瑛太さん。エヴァンスデカくなってるんですけど」
「そんなわけないじゃないですか。犬ですよ」

 丸いテーブルに置かれているのは、大鍋。その大鍋に入っているのは豆腐の味噌汁。
 成葉と瑛太が正座をして味噌汁をじっと見る。
 それよりも成葉は気になることがあった。それは、隣で味噌汁をかき込んでいるエヴァンスである。
 2人より前に食べているこの犬(仮)、傍から見てもデカくなっているのだ。

(さっきまで炊飯器サイズだったのに……、今はグランドピアノサイズだと!?)

 思わずエヴァンスを凝視する成葉。
 そんな彼女のことなど露知らず、瑛太は器に味噌汁を盛り続ける。
 成葉は、エヴァンスを凝視しながら味噌汁を口に運ぶ。味は美味しい。血筋を嫌ってはいるがやはり瑛太も豆腐小僧の末裔なのだ。豆腐の扱い方も慣れている。
 実際、成葉も豆腐は崩れても仕方ないスタンスで生まれてこの方生きてきたのだが、数分前まで瑛太の「そんな戯言は甘えです!!」と怒鳴られていた。

(急に大きく成り過ぎでしょ……! 絶対犬じゃないこの犬もどき魔獣!!)

 隙を見て魔獣をどうにかしようと考えていたが、このままではいつ瑛太が危険な目に合うかわからない。
 急だが、こっそりと成葉は瑛太にエヴァンスの正体を言うことにした。
 多分信じてはくれないだろうが、警告だ。

「瑛太、このエヴァンス……、いや、こいつは犬じゃない。魔獣なんだよ! てか犬って赤くないし短時間でグランドピアノサイズにならないじゃん!!」
「ちょっと何言ってんのかわかんないですね」
「芸人のネタを出すんじゃない! 信じらないかもしれないけど本当なんだよ!!」
「そんなわけないじゃないですか!!」

 興奮した瑛太と口論になりそうになってしまったこの瞬間。

「グ……グルルルルルル……」
「え?」
「瑛太!!」
「グルァァワァァァァァァァ!!」

 エヴァンス——いや、魔獣が本性を現した。
 体を先程の大きさから天井を突き破るぐらい大きくなり、涎を豪快に垂らしながら2人に襲い掛かってきた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」




Re: 最強の救急隊  ( No.29 )
日時: 2019/02/12 20:13
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

——身の丈は最低でも3Mはあるだろう。先程の人懐っこい表情から打って変わり、エヴァンスは飢えた猛獣のように成葉と、瑛太、2人に襲い掛かる。
 この巨体かつ、鋭い牙に仕留められたらひき肉になるのは目に見えている。
 成葉は動揺しているものの、狼狽えてはおらず、後ろに立ててあった身の丈ほどの真っ赤な金棒、いや、何とか棒を掴み、

「あーもう!! いっつも計画通りにいかない、いっつもぐだぐだだ!!」
「ギャンッ」

 力任せに、プロ野球選手の様に、何とか棒を魔獣めがけてフルスイングした。
 成葉の攻撃が直撃した魔獣は、出入り口とともに外へ吹っ飛んだ。
 流石の瑛太もようやく我を取り戻したのか、怒りで真っ赤にしていた顔を今度は恐怖で真っ青にしていた。

「な、成葉さん……。エヴァンス、何で……?」
「混乱を招くから黙ってたけどエヴァンス(あいつ)、魔獣って言う危険な異形なの。超言いたかったけど瑛太犬だって思い込んでたし、それに急に暴走したら危険だし……!」
「クソガキ——っ!!」

 外から、雪丸の叫び声が聞こえてくる。
 瑛太の家に穴が開いた分、余計大きく聞こえる。慌てて成葉は外に出ると、荒っぽくはあるが、雪丸率いる第7隊が魔獣を鎖で縛りあげていた。
 瑛太を連れて、外に出る。

「遅ぇ」
「御免ってば!」
「瑛太!」

 瑛太の姿が見えた瞬間、富岳が駆け寄ってくる。
 その形相は何時もの仏頂面ではなく、酷く焦っているような表情であった。
 しかし、瑛太は反射的に顔を逸らす。

「来ないで。家、壊れて清々した。これでもう豆腐屋なんてできないでしょ。嫌いになったでしょ、僕の事。お父さん嫌いだもんね、豆腐を大事にしなかったり物事をはっきり言わない人。でも言えるわけないじゃん。言おうとしたらお父さんいっつも怒鳴るんだし」
「お前……」
(家が壊れたのってわたしのせいじゃん!! ますますこの親子の仲を悪くしてしまった……!?)

 成葉は瑛太の氷のような言葉に思わず飛び上がった。
 その言葉は富岳に向けられているのだが、家の破壊は100%成葉のせいだ。
 前後左右から射止めるような視線を受けながら成葉は冷や汗を流す。
 しかし、富岳は人目も憚らず瑛太を力強く抱きしめた。

「お前が無事でよかったに決まってんだろうが馬鹿たれが!! 副隊長に魔獣がいるって聞いて俺はもう生きた心地がしなかった……。お嬢が壊した家は後で請求するから気にしてんじゃねえ。それに……悪かった。お前の気持ち、今までわかってたつもりでいた」
「やっぱり第7隊(こっち)持ちか〜」
「……そんなの」
「わかってる。だからこれからは行動で示すさ」

 最初は富岳に抵抗していた瑛太だったが、次第に抵抗は弱くなり、最終的には動こうともしなくなった。
 成葉は雪丸と花緒の凍てつくような目線に冷や汗をかきながら2人を見守っている。
 その様子を後方で真剣に見ていた明菓は和人の顔をじっと見ながら、

「……和人、アンタも言いたいことがあったらいいなね」
「たっくさんあるでやんす。毎日口うるさいし、母ちゃんはぐうたらするなって言うけど自分はしてるし興味もない店毎日奴隷の様にこき使われるし、テストの点数悪かったらすっごい怒鳴るし、通販グッズは買うだけ買って使わないし屁は臭いし弁当は最悪な日には冷凍食品ばっかりだし、煮物はしょっぱいし都合もよさすぎるしそれから……」
「コラ! 調子に乗るんじゃないよ!!」

 満面の笑みで愚痴を吐き出した和人に思わず明菓は拳骨を一発落とした。
 和人は「いって〜」と呻きながらその場にしゃがみ込む。

「……あたしも、悪かったよ和人」
「え? 母ちゃん今なんて言ったでやんすか?」
「何でもない、さ! 帰るよ」

 事態が収束したため、野次馬たちが少しずつ帰っていく。
 明菓は目で瑛太と富岳を見ると、不器用ながらも親子の仲が治っていることが一目でわかった。
 和人は決まり悪そうに半泣きの瑛太に微笑みを向けると、先に歩き出していた母の元へ向かい、手をギュッと握る。

「母ちゃん。おいら、今日の晩飯ハンバーグがいいでやんす!」
「何言ってるんだい。……仕方ないねぇ」

 明菓は苦笑すると、息子の手をそっと握り返した。

Re: 最強の救急隊  ( No.30 )
日時: 2019/02/17 19:15
名前: ルビー (ID: YGRA.TgA)

「いらっしゃい、いらっしゃい! 甘味ならなんでもござれ。新作甘栗ふんだんパフェ出たよ〜!!」
「そこの兄ちゃん騙されたと思って寄ってけ寄ってけ! 当店人気メニュー、『絹ごしコロッケ』食っていきな!!」

 瑛太と魔獣の騒動からおよそ2日後。
 浅草はいつも通り、人間と、異形とついでに観光客で賑わっていた。
 強いて違うとすれば明菓と富岳が隣り合わせで商売をしているということであった。
 その顔は、生き生きとして、明るいもの……だけではなかった。

「ああ……。流石第7隊の銭ゲバ事務員だよ……。うまい話だと思って乗ったあたしも運が尽きたさね……。敵わないよ」
「暗ぇ顔してんじゃねぇ! 泣きたいのは俺もだってんだ! 豆腐は360キロ全部廃棄だわ、花緒に唆されるわで踏んだり蹴ったりだ」
「あらやだお二人とも。そんなに猫又(ひと)の悪口言うお暇があったらもっと、もぉ〜っと稼げますわよね?」

 客がいなくなると、やつれた表情を見せる明菓と富岳。
 そんな疲れ切った2人の元へ、しゃらん、と鈴の音を鳴らしながら花緒が笑みを浮かべてやってきた。
 傍から見れば美女の笑顔、2人にとっては悪魔の嘲笑。
 災厄猫、花緒。明菓と富岳はそう呼んでいる。

「あ、あああああああああ……っ」

 今や、この瞬間で花緒に逆らえる商人など誰1人としていない。
 馬車馬の如く、2人は稼ぎを再開した。




「よかったぁ……。瑛太の家のお金、払わなくて済んだ! 危うくわたしのボーナスが飛んでいくとこだった〜」
「次からは気を付けるんだぞお嬢」
「つーか、今朝から花緒の奴、妙にご機嫌だったじゃねぇか。誰か騙したのか?」

 第7隊の屯所、事務室にて、成葉は自分の通帳と書類を交互に見ながら安堵のため息をついた。
 お客様用ソファーに図々しく寝転ぶ雪丸は事務作業に勤しんでいる繋を見て怪訝そうに呟いた。
 彼の言葉に思い当たる節があるのか繋は苦笑する。

「騙したというか……唆したって言うのかな」
「アイツいつか詐欺罪で捕まんぞ」
「でもさ雪ちゃん、邪魔すると後で怖いよ。昨日花緒さん、嫌がらせの呪術で『微妙な腹痛を長引かせる呪い』を開発したらしい!」
「あんの化け猫……」

 成葉の地味に嫌な花緒の性根に雪丸は思わず苦い顔をした。
 繋は今まで必死に動かしていたペンを止めると、

「まあそう言ってやるな若。花緒もあれでも第7隊(うち)のために動いてるんだ。どっかの誰かさんたちが事件のたびに物を壊すからその代金を補うために頭を働かせてな」
「そういえば最近明菓さんと富岳さん一緒に商売してるよね。花緒さんの差し金?」

 成葉の問いに繋が頷いた。

「ああ。彼女曰く『潤わない第7隊のビッグチャンス』だそうだ。浅草の商売を管理してるのは第7隊だからな。浅草は土地柄商売してる店も少なくない。店が多い分、管理費も馬鹿にならない。だから花緒は食品なら売り上げの高い秋(いま)を狙ったんだ。富岳さんのところだけじゃないぞ。浅草にある『全て』の食品関連の店を期間限定で合同にして管理費を抑えるとともに、今まであてにならなかった売り上げの10%を頂こうってわけだ」
「ひぇ〜。確かにそうだよな、その店によって売上何てまちまちだし。大体店側に偏るから下手したらお金ちょっぴりしか入らないしな……!」
「それだけじゃないぞ。来週からは電化製品も本屋も家具も、不動産屋も。バラになってる店や会社はまとめられて商売することになる。まぁ、あっちにとってもメリットも大きいけどな。まとめられることで他の店の商品が売れても自分の店にも数%お金が入るからな」

 感心したように成葉は花緒のデスクを見る。
 何時もは綺麗なデスクが今は書類で少し、乱れている。

「でも普通合同商売なんてやらないじゃん? それをみーんな説得させた花緒ってどんな手段使ったんだろうな!」
「そこまでは俺もわからないが……まぁ多分相手の弱みを見つけた、ってのもあるんじゃないか?」




「……いまさら言うのもあれだけどさ。富岳(アンタ)、合同商業なんてする性格じゃないだろう? どういう風の吹き回しさ」
「あん? そんなつまらねぇこといちいち喋ってんじゃねぇ」
「……正直じゃないね、アンタも」

 仏頂面で品を包装していた富岳に明菓は呆れたように言う。
 そんな彼女に富岳はぶっきらぼうに言い放つと、明菓は苦笑しながらため息をついた。
 ふと、富岳は目の前に視線を送った。少し前に一つ目の繊細な少年——瑛太がこちらを何とも言えない複雑な面差しで見つめていた。
 例の事件から少し経ったが瑛太との距離はちょっぴりぎくしゃくしている。

「瑛太—っ! 野球するでやんすよーっ!」
「——……うん!」

 後ろから走ってくる和人に反応して、瑛太もすぐさまその場から走り去る。
 富岳は瑛太がいなくなった場所を暫く見つめると大きなため息をついた。

「はぁ——っ……。前途多難だなこりゃ……」

——正直じゃないね、アンタも。

「うるせぇ」

 富岳は苛々しながら頭をワシワシと掻く。
 前に、雌猫から言われたことを思い出した。あの弱みに付け込んで利益と打算まみれのあの女に。

——……それに、もう子供たちを巻き込むのは終わりましょう? 彼らは自由に、精いっぱい遊びた盛り。明治昭和時代じゃあるまいし、無理強いはご法度だと思いませんか? これはある意味彼らの為でもある合同商法ですわ! 遠すぎても近すぎても見えないこともある。それ故少し距離を置いて親(あなたたち)の背中を見せましょう。何、魅力に気が付けば子供と言うのは勝手にやってくるというものです。危険かどうかもわからずでも。彼らが来るかどうかはあなたたち次第ですので! さあ、明るい未来に向かって頑張りましょう、ファイ!

「……うるせぇ」

 再びつぶやいて、どこかへと向かっていった。
 きっと豆腐を取りに行くのだろう。
 他人に諭される日が来るとは、と悪態をつきながら、富岳は歩いていく。