複雑・ファジー小説
- 「女王陛下に知らせますか?」第一章⑤更新 ( No.10 )
- 日時: 2016/11/09 22:23
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: dPcov1U5)
「でも、あなたがた演劇人が気にすべきなのは、ここからよ、アリス。バンクロフトが、どうして出遅れたか、わかる?」
アリスは首を振った。演劇人が気にしなければならない理由も、出遅れた理由もさっぱり理解できない。
トゥルーディはアリスに顔を寄せるように手招く。身を乗り出し、テーブルを挟んだ彼女に耳をむけると、耳元にこっそり囁かれた。
「諜報部よ」
(諜報部?)
椅子に体を戻しながら、アリスは目線でその言葉の意味を問う。諜報部の名前はなんとなく聞いたことがあったが、実際にどんなことをしているのか、彼女は知らなかったのだ。
トゥルーディは、今度は声をひそめることなく話し出した。
「バンクロフトには昔から、他国の中枢部に入り込んで、重要な情報を本国へ流してくる諜報部員が多くいるの。それはもちろんライトホールド内にも潜んでいて、彼らはずっと昔からハリエット女王の存在の噂を掴んでいたの——彼女こそ、若くして亡くなった第一王子のたった一人の子どもだと」
トゥルーディの語る昔話は、まるでお伽噺の世界だった。
王子様が十歳を少し超えたばかりの頃、避暑に訪れた別荘で出逢った村娘に恋をした。
王子様の身分を知らなかった村娘もまた、優しくて美しい少年に生まれてはじめての恋をした。
ふたりの幼い恋は、毎年、たった数週間の逢瀬を積み重ねるうちに本物の恋となり、やがて周囲に知られるところとなった。
その頃には幼いふたりも、若さと情熱だけでは乗り越えようのない障害がふたりの仲を阻んでいることに気づいていたけれど、想いをとめることはできなかったのだ。
しかし、別れはどんなときも突然訪れる。
みずから育てた競走馬に乗ってレースに参戦していた王子様は、不運にもレース中に落馬し、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。
身分違いの恋人の死に泣き暮らす娘を見て、彼女の親は、これでようやく娘も夢から覚めるだろう、現実を生きるだろうと憐れに思いながらもほっと息をついた。——娘の妊娠が発覚するその日まで。
娘は、最愛の男性の子どもが自分のおなかに宿っていることに気づいた日から、巧妙にそのことを隠し続けた。見つかって、堕胎を強要されるのを恐れたからだ。
ゆえに、発覚したときにはすでに、堕胎できないほど子どもは大きく育っていた。
やがて月は満ち、周囲に死産を願われたおなかの中の子どもは、娘の——母親の願い通り、五体満足に生まれてきた。王子様の子どもであることが隠しようもないほど、王家の血筋である特徴をしっかりと受け継いで。
娘は手元で育てたがったが、田舎で育てるには、その王家の特徴は目立ちすぎた。このままこの田舎で育てるときっとよくないことが起きる。そう判断した村人たちは、娘が我が子から目を離したすきに子どもをさらい、娘には死んだといい聞かせた。
我が子の死を信じられない娘は、どこにいるかもわからない子を探して回り、やがて気が触れたようにして亡くなった。
その頃娘が死の寸前までその存在を探し続けていた子は、村から遠く離れた竜狩山脈にある修道院で、修道女たちによって大切に育てられていた。
それが、ハリエット女王の生い立ちであった。