複雑・ファジー小説

「女王陛下に知らせますか?」 ( No.3 )
日時: 2016/11/01 21:23
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: OBp0MA9U)

   序章

 十三歳で、彼女は女王になった。


「——まだ起きていたのか」

 聴き慣れた大好きな声がかけられ、ハリエットは、月を見上げていた視線をその背後に向けた。
 数日前に結婚したばかりの夫・ウォルターが、ハリエットが見ていたものを確認するようにしながら、バルコニーに出てくるところだった。

 結婚するまで軍服姿しか見たことがなかった夫のくだけた服装に、新鮮さとときめきを覚えながら、彼に両手を伸ばす。力強い腕に引き寄せられて、甘やかすようなキスを額に受けて、ハリエットは自分が幸せなのだと自覚する。

「あなたこそ、まだおやすみになっていなかったの?」
「貴女が突然新婚旅行にわたしの母国を訪問するなどというから、あちらの知人や親族から問い合わせが絶えない」
 十四歳年上の異国人の夫は咎めるような口調でそういったが、その目や口元が柔らかく微笑んでいるのをハリエットは知っている。

 異国の、王族に近い貴族の子息だった彼は、長いあいだ軍属していたと聞く。そして、そのときの功績から、即位したばかりのハリエットの警護の任に着いたのが四年前。
 シンプルな軍服に身を包み、表情一つ変えず就任の挨拶にきたウォルターに、最初に抱いた感情は恐怖だった。ハリエット自身が即位するまでを尼僧院ですごしていたため、少年と老人以外の男性を見たことがなかったせいもある。

 だが、
(いつのことだったかしら?)
 自分を見守る視線の優しさに気づいたのは。厳しい言葉を発しているその口元に、ほんの少し笑みが浮かんでいるのに気づいたのは。
 そしてそれらが、自分を年の離れた妹のように見ていたからだと気づいたのは。

 恋愛の対象として見られるにはハリエット自身の歳が足りないのは重々承知していた。それでも、背伸びしてでも彼を独り占めしたいと願う気持ちはその頃から芽生えたものだと思う。

 四年をかけてゆっくり気持ちを育て、結婚を命令したのは春のこと。即座に命令を反故にされ、大泣きしたのも記憶に新しい。
 それでも懲りずに想い続けた。

 それが世間の知るところとなり、国民が応援してくれた。異国人を王配と迎えることに反対する声も少なくはなかったけれど、四年間、ウォルターの働きぶりや人柄を見続けていた彼らだ。賛成に回るのも、そんなに未来のことではなかった。

 そのことは、ウォルターにとってたまったものではなかっただろう。家の事情で帰国しなければならなかったときなど、彼が帰れないように、国境警備の者たちによって国境が封鎖されていたほどなのだから。

(貴女に負けたというより、貴女を愛する国民に負けたというべきか)
 諦めたようにため息をつきながら結婚の命令を受諾したウォルターの目が、口元が、いまとおなじように柔らかく微笑んでいたのは、そのときにはもうハリエットを愛するようになっていたからかもしれない。

 ハリエットは夫の顔を覗き込む。彼の瞳の中の自分は、幸せそうな笑顔だった。
「でも、今回は国境を封鎖されたりしないわ」
「そう願おう」
 苦笑した彼の腕が、ハリエットの背中に回った。軽く押され、室内に戻るよう促される。
「眠れないのなら、ホットミルクでも淹れよう。おはいり。外はもう冷える」
「そうね、ウォルト」

 無骨な護衛のときから、ハリエットが眠れない夜に、彼は温めたミルクを用意してくれた。太るから嫌だというのに、砂糖がいっぱい入った甘くて贅沢なミルク。

「……」
 部屋に入る間際、ハリエットはふと、さきほどまで見上げていた月に目を向けた。明るく大きな月が、青白い光を地上に投げかけている。
(どうかこの幸せがいつまでも続きますように)

 十七歳の夜、女王は月に祈った。