複雑・ファジー小説

「女王陛下に知らせますか?」第1章①更新 ( No.6 )
日時: 2016/11/04 21:20
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: OBp0MA9U)

 夕星座の公演は、その名の通り、夕方のみに限られている。これはなにも出し惜しみしてのことではなく、劇団員のほとんどが、昼に別の仕事を持っているせいである。

 独自の劇場を持ち、そこを拠点に公演する大きな劇団であれば、それこそ専業の俳優や裏方を持ち、一日に二回公演することも可能だろう。
 だが、夕星座は、もともとが大学生が主体となって旗揚げした貧乏劇団。他の劇場持ちの劇団が休演の際に劇場を借りて、格安のチケット代をすべて場所代として支払っているようなありさまなのだ。

 だからこそ、アリスのような演劇経験のない田舎者でも雇ってくれたし、主演女優を務められるのだろうと、別の劇団に移った元主演女優が吐き捨てていったことがある。

「……まったくだわ」
 昼下がりの喫茶店。オープンテラスのテーブルについて、冷めきった紅茶にためいきを落としながらひとり呟くと、
「なにが、まったくだわ、なの? アリス」
 ひとりごとを誰かに拾われた。

 アリスは顔をあげた。まるで夜会にでも赴くかのようなあでやかなドレスに身を包んだ、黒髪の美しい、おとなびた顔立ちの女が立っていた。
「トゥルーディ!」
「待たせたかしら、アリス。久しぶりね」
 そういってにっこりと微笑んだのは、アリスの待ち人、親友のトゥルーディだった。

 すかさずあらわれた給仕係が、トゥルーディの椅子を引く。礼を口にし、優雅に腰かけるその姿は、あでやかすぎるその衣装と相まって人の視線を惹きつける。アリスはうっとりと見惚れた。

「トゥルーディは、いつも綺麗ね」
「いやだわ、なによ、突然」

 困ったように笑う顔は同じ十七歳の少女そのものであったけれど、彼女は娼婦だ。髪型も、化粧も、服装も、そして雰囲気すら、昼の世界に生きるもののそれではない。周囲から無遠慮に投げかけられる視線がいとわしげであるのは、敏感にそれを察したからだろう。

 それでも、彼女は昼の世界に出てきてくれる。月に一度、アリスとおしゃべりをするために。

 ふたりがこうやって会うようになったのは、一年ほど前に、彼女がアリスの出演した劇を見に来てくれたことがきっかけだった。
 たまたま大きな劇場を借りられたため、演目も派手めなものを用意した。それが運よく大衆紙に取り上げられ、一時的に話題作となったのだ。
 トゥルーディは、客のひとりから観劇に誘われてやってきたそうだ。そこで、端役であったアリスの演技を気に入ったらしく、手紙を送ってくれたのだ。

 はじめてもらったファンレター。しかし、送り手は娼婦。

 その事実は、少なからずアリスを動揺させた。けれど、高級娼婦の存在は、喜劇でも欠かせないものである。いつか自分が高級娼婦を演じるときの参考になれば。下心からお茶に誘ってみたら、いつのまにか親友といえるほどの仲になっていたのである。

 最初はもちろん、女優と娼婦という、似ても似つかぬ立場ゆえに話がかみ合わなかったり、お互いの住んでいる世界の違いに戸惑うことも多かったが、そこは同年代の娘たちである。

「今日は顔色がいいわね、あのお客さまだったの?」
「ええ、おかげで朝までぐっすり。ね、聞いてくれる? あの人、やっと名前を教えてくれたの」
「ほんと!? やったわね、トゥルーディ!」

『恋』という共通の話題が、いっきにふたりを近づけた。
 とはいえ、初恋もまだなアリスにとっては、もっぱら親友の密やかな恋心を、いっしょになって泣いたり笑ったりするだけなのだけれど。

「それで? なんて名前だったの? どこのひとだかわかった?」
 質問を畳みかけるアリスに、運ばれてきたお茶に口をつけながら、トゥルーディは苦笑した。

「それが、サイという名前だけなの」
「サイ?」