複雑・ファジー小説

Re: 開幕 [1] ( No.1 )
日時: 2016/11/24 16:38
名前: 水海月 (ID: sWaVmrWQ)

 生まれた時から、既に俺達には『物語』が用意されていたんだ。

 そのストーリーが大きく、大きくねじ曲がったのは____



____そう、あの日、あの時。















01.開幕


「これでこの家ともサヨナラ、だなぁ」
「……そうだな」

 凪紗が穏やかな笑顔で、残念そうに言う。頭の後ろで組んだ腕をぐっと青空に突き上げ、気持ち良さそうに伸びをした。まったく呑気な奴だ、住む家が無くなったというのに。

「マジでそれだよなー、これからどうしよっか……またこんなボロアパートは御免だけどな」
「言っとくけど、金は貸さないぞ?」
「うわー、このドケチ! 貸してくれよ、家が一件建つくらい!」

 頭を軽くはたかれ、思わず凪紗を睨み付ける。こんな金銭感覚がガバガバな奴とはもう、金輪際同居なんてしたくない。こいつの無駄遣いで、いくら損したかはもう数えるのをやめた程だ。凪紗の脳内は、何時だって今日みたいな暖かい春先の快晴なんだろう。

 安っぽい古びたドアの隣の壁に貼られた紙の上、表札代わりに、と印刷された『七海 凪紗』の文字と、その下の明らかに手書きで下手くそな『桃瀬 晴』の文字。なんだか変な気持ちがこみ上げてきて、俺は、つっ立ってそれを眺めた。これを見ていると、俺が凪紗と初めて会った日の事を思い出す。

 確か、土砂降りの日だった気がする。

「……ついに、『脅威』がハチオウジを完全侵略するとはな」
「いや……二十年でここまで食い止められたのは、凄い方だと思う」

 そう。ここももうすぐ、『脅威』達のさまよう危険地帯になるわけだ。
 都から避難命令があった範囲内の住民は、全員安全な地域へ移動しなければならない。ここもつい一週間前に指定され、引っ越さなければならなくなり。結果、俺達の行くあてがなくなった。
 そもそも親がいないし、頼れる親戚もなし、どうやって生きていけばいいのだろう?

「……うーん、こうなりゃ……奥の手か……」

 凪紗が何か妙な顔で呟き、下を向く。

「……なに?」
「あ、何でもない」

 そうはぐらかされたので、たいして深く考えずに「ふーん」とだけ返した。




「……あー、君たち!」

 突然大声が聞こえ、思わずびくっと背筋が伸びた。凪紗と一緒に、アパートの手前の道路をばっと振り返って見下ろす。一台の白いワゴン車が停まっており、運転席から、アラフォーくらいの年齢のおっさんが顔を出していた。なんだかどうにもパッとしない。

「避難命令から一週間だ。早く他の地域へ避難しなさい! 行き先があるなら、乗せて行ってやってもいいぞ」
「……けっこーです」

 凪紗がそう言うと、おっさんは鼻を鳴らし、何も言わずに走り去って行った。申し訳程度の見回りのようだ。『脅威』に遭遇したら、どうするつもりなんだろう。

「……行こうぜ」

 凪紗が、俺にちらっと視線を寄越してから、アパートのボロボロの階段をゆっくり降りていく。なんだかんだで名残惜しいのだろう。何故か少しだけ寂しくなって、俺はドアを見つめた後、壁の紙を破ってポケットに入れた。

「今行く」

 そう言い、俺はアパートを後にした。



 人の気配が全くしない。街自体が死んだように静かだ。
 気味が悪い、水を打ったような静寂の中、俺と凪紗はただ歩いた。行き先はない。本当に「ただ」歩いているだけだ。始めは他愛ない会話も弾んだが、十分と経たないうちに、二人とも無言になった。なんだか胸の辺りがどんよりする。足も砂が詰まったみたいに重い。心情に調和しないのんびりとした暖かい空模様が憎い。なんだかこのままではいけない気がして、俺は、とにかく話し出してみた。

「……あのさ、どこ行くの」
「さあ、どこだろうな」

 投げやりな口調にちょっとイラつき、「あっそ」となるべく冷たく返す。が、直ぐに後悔した。
 駄目だ、こんなやり取りでは気分なんて晴れるわけがない。これからの事を話し合わなければいけないのに、雰囲気を悪くしてどうする。小学生のガキか俺は。
 隣を見ると、眉根を寄せ、険しい顔をした凪紗がいる。今にも舌打ちが聞こえてきそうだ。思わず俺も顔をしかめる。最悪の循環だ。

 ……何にせよ、この状況は打破しなくてはならない。どうすればいいだろう。
 こういう時は、何か驚かせるようなものがいいかもしれないと思い立ち、俺は小さく息を吸った。

「あのさ」
「……何だよ」
「この世界から『脅威』が消えるボタンがあります。それを押すと、苗字が『も』から始まる人が全員死にます。あなたはボタンを押しますか?」
「……は?」

 今度は横をしっかり向く。すると、凪紗の大きく開かれた綺麗な茶色の目と目が合った。少し気まずくなって直ぐ顔を逸らす。なんだか気恥ずかしい。訊かなきゃよかったかも。と、心の中で呟き、がしがし頭をかく。

「……冗談、ごめん」

 俺が発言を取り消しても、凪紗は真面目な顔をして下を向いた。

「オレは……」



……突然、大きな地鳴りが聞こえ、地面が激しく揺れた。間髪入れない咆吼。

「グオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ!」

 俺達は咄嗟に後ろを振り返り、そして絶句した。
 地面から完全に姿を現したそれは、完全に異形だった。気持ち悪い緑色の巨体は見上げるほど大きく、額に角が生えている。とてつもなく臭い。そして、何より特徴的な大きな一つ目は、紫色に輝いていた。

「……『脅威』だ」

 思わず呟く。小学生の時、「紫の目を持つモノは悪いやつだから、会ったら逃げろ」みたいなことを教わったのを覚えている。今、それを間近で確認しているのだ。実際、五メートルも距離は無い。しかし、教わった事を実行できなかった。脚がすくんで、動けない。辛うじて、凪紗に向かって声を絞り出す。

「逃げっ……」

 腹に衝撃が走った。凪紗の驚いた顔がちらつく。体が宙に浮いたと思った直後に背中にも衝撃が来た。頭がぐらぐら揺れているみたいに、何が何だか分からない。痛い。すごく痛い。
 薄く開けた目の隙間から、『脅威』と凪紗の姿がぼんやり見えた。どうやら俺は吹っ飛ばされたみたいだ。スローモーションの世界で、凪紗が俺に駆け寄ってくる。おい、待て。敵に背中を見せたら殺られるぞ……

 案の定、『脅威』は凪紗に向かって拳を振り上げた。ゆっくりと、そいつが一歩踏み出す。凪紗は気付いていないのか、いかにも一心不乱といった形相でこちらに駆けてくる。

「……なぎ……さ……」

 気付けよ、バカ。

 ……そんな心の声も虚しく、『脅威』は、凪紗に拳を振り下ろした。

 凪紗は潰れた。と、思った。

 急に凪紗の背後に、「何か」が現れた。青い、何か。水流のような感じだ。よく見るとそれには爬虫類の顔があり、『脅威』の拳に向かって大口を開け、牙を突き出している。爛々と輝く瞳。その「何か」は、『脅威』の拳に噛みつき、攻撃を受け止めた。

(なんだ……あれ……)

 凪紗は攻撃に気が付いた様で、ばっと振り返った。その姿がだんだん霞んでいく。瞼が重い。真っ暗になった世界に、凪紗のよく通る声が響いた。







「【セブンス・シー】!!」