複雑・ファジー小説
- Re:開幕 [8] ( No.12 )
- 日時: 2017/04/15 22:09
- 名前: 水海月 (ID: sWaVmrWQ)
目の前にどーん、と立ちはだかるのは、重厚な木の扉。そして、その隙間から立ち込めてくる匂い。今俺達は、屋上から一階へ下って『台所』へとやって来た。有栖川がドアノブに手を掛けながら言う。
「ここはキッチン兼食堂。飲み食いは基本ここでするわ」
ドアノブが下げられ、勢いよく扉が開かれた。
扉を開けると、何とも言えない美味しそうな匂いが濃く広がった。右側には丸テーブルが二つあり、左側には厨房らしき部分がある。そして、その中に人が立っていた。恐らくこの匂いの元だと思われる、茶色く細長い物体に白い粉末をまぶしている。その人物は振り返り、ああ、と言って手を止めた。
「有栖川さんでねえか……あっ、もしかしてその方は新入りさんだべか?」
独特な訛り。意識がまだはっきりとしないうちに聞こえた、あの声と一致した。
「そうよ。仮だけどね」
その返答に大きく頷き、少年は切り出した。
「初めましてだな。俺は伊豆木恭助。よろしくな!」
差し出される手。自分も軽く自己紹介をしながら手を握る。しかし、そこで少し驚いた。まだ俺と同じかそれより下くらいの少年なのに、その手は軽く荒れ、豆だらけだ。農作業でもしているのだろうか。浅黒い肌に、焦げ茶色の髪。方言とそれに、散らされたそばかすも相まって、いかにも田舎生まれです、みたいな感じの少年だ。しかし、屈託の無い純粋そうな笑顔がとても印象的で、好感が持てる。
その爽やかな笑顔で、俺の握り返した手をぶんぶん振られて、思わずたじろぐ。明るい緑の大きな瞳は、きらきらと輝いていた。どうかしたのだろうか?
「いやあ、兄貴の親友はやっぱり違うべ! 垢抜けてるし、尊敬するなあ」
「……兄貴?」
「七海さんのことだべ!」
「……兄貴ぃぃぃ!?」
目をひん剥いた俺に向かって、実際のじゃなくて、と慌てて伊豆木が補足する。慕っている先輩のようなものだと。分からない。どうしてあんな奴が尊敬されるのだろうか? アバウトで適当だし、無鉄砲だし……
それを言うと、何故か暖かい眼差しで微笑まれた。
「そんなに仲が良いんだなぁ。うらやましいべ」
「別に仲良くねぇ」
割と冷ややかに即答しても、微笑みを崩さない。純朴なのか、底知れないのか……凪紗を兄貴と慕ってる時点で、底知れない気がする。
「まぁそれも仕方ないわ。恭助は凪紗に命を救われたんだもの」
唐突に、会話に混ざってこなかった有栖川が声を出す。しかも何か食べているようだ。よく見るとそれは、さっきまで伊豆木が作っていたモノだった。細い指で上品にそれをつまみ、さくさくと小気味良い音を立てて食している。有栖川はそれをごくんと飲み込み、美味しい、と頷いた。
「それは良かったべ! ほら、桃瀬さんもどうだべか?」
伊豆木はにっこり笑って、有栖川のいるテーブルの一つの椅子を引いた。お礼を言い、遠慮なく座らせてもらうと、同じテーブルの椅子に彼も座る。そして、テーブルの真ん中に置いてある、問題の物体をよく見てみた。茶色にこんがり揚がっており、どこかで見たような形をしている。ひょいとつまんで口に運ぶと、さくっという感触と共に、じゅわっと口の中に甘みが広がった。
「……! うまっ……」
「へへ、ありがとうな。ところで、この食材は何か分かるべか?」
何処かで見たような気もしたが、分からないので正直に首を横に振る。しかし物体をつまむ手は止まらない。そのまま無言で続きを促す。
「実はこれ、食パンの耳なんだべさ!」
物体をつまむ手が止まった。一口かじったその食パンの耳をまじまじと見つめる。思わず本音が口から出てしまう。
「その……優秀……なんだな……」