複雑・ファジー小説

Re:開幕 [9] ( No.13 )
日時: 2017/05/12 21:34
名前: 水海月 (ID: sWaVmrWQ)

「そうだべ、食パンの耳って実は万能なんだべさ」

 自分が褒められたかのように、眉を下げて嬉しそうに笑う姿は、まるで太陽のように明るい。その健康そうな外見もあり、見ているだけでほっこりしてしまう。意図せず俺も頬を緩めて微笑んでしまった。思えば、ここに来てから笑顔をつくるのは初めてかもしれない。ついていけないような展開に翻弄され、忙しく頭が回転する中で、久しぶりのように感じた笑みだった。しかし何故だろうか、笑った瞬間有栖川の視線が鋭く突き刺さった気がする。眉間のシワも少し増えた。いや俺何もしてないぞ?

「……そういやさ、凪紗が命を救った……とかってのは」

 目線の追跡から気を紛らすため、食パンの耳揚げ(勝手に名付けた)を噛み砕きながら訊く。うん、うまい。伊豆木はああ、と頷いた後、いきなり浅葱色の目を輝かせた。興奮で顔が若干上気している。

「七海さんは本当に命の恩人だ。初めて会ったのは五年位前だべか……」

 そう言い、伊豆木はこれまでのエピソードを熱く語ってくれた。
 凪紗への憧れやら自分の目標やらを聞かされ、結構時間がかかった。こいつ、燃えると一直線なタイプか。それはともかくかなり長いので簡単にまとめるとこうだ。

 伊豆木は東京とはまた違う県の、山奥の農村で生まれてそこで育ったが、過疎化して村は消滅したらしい。なので一家で親戚を頼り、上京しようとしたところ、事件に遭ったらしい。

「皆で乗ってた車の前に、突然男達が立ちはだかって……そっからおら達の車を撃って破壊しただ。そしたらおらだけ男達に連れて行かれて……」
「……それ、まさか」
「んだ。『研究所』の人間だべ」

 伊豆木は沈痛な面持ちで、家族とは未だに連絡が取れねえ、と呟いた。さっきの笑顔からは一転し浮かんだ陰を見て、何だか分からないがふつふつと腹辺りが疼いてきた。なるべく小さな動作で腹部を押さえる。

 それから研究員達に『種』を埋め込まれ、実験の対象になり、牢に閉じ込められながら生活したという。伊豆木の語りだけで、陰鬱で凄惨な研究所の牢のイメージが思い描けた。笛吹が暗くて灰色の所、と言っていたがそうなのだろう。しかし、そこで新たな出来事が起きる。

 その時研究所にいた凪紗や有栖川が中心となり、クーデターが起こされたのだ。

 伊豆木の話に、有栖川も頷く。

「あたしと凪紗は、牢が向かいだったのよ。監視の目を盗んでお互いに話してたら意気投合して。こんなとこもう嫌だ、ってなった訳。当時は能力もだんだん使え始めてたし。Do you understand?」

 当初の目的は研究所の破壊及び研究組織の転覆だったらしいが、流石にそこまでは甘くなかった。研究所の隠された武力を見せつけられ、逃げ出すのがやっとの状況。そこで、伊豆木は出会ったのだという。

「いやー、大きな音がしたもんだから、牢の鉄格子にかじりついて周りを必死に見てたんだべ。そしたら七海さんが逃げる途中で……」

 牢の中に気付いた凪紗は、伊豆木に声を掛け、手を伸べた。

 お前も来るか、と。

 状況を受けきれず、半ば放心状態の伊豆木は、しかし無意識のうちにこくんと首を縦に振った。凪紗は躊躇なく鉄格子を破壊し……そこからはまあ、各々の能力を駆使しての脱走劇である。

「そこから凪紗を凄く慕ってるのよね、伊豆木ってば」
「当たり前だべ! あそこで救われてなかったら、実験に耐えられなくておら、死んでたかもしんねえ。だから、七海さんは恩人だべ!」

 身振り手振りもつけて、力説する伊豆木。微笑ましいのには変わりないが、凪紗がこんなに尊敬されているのかと思うと、何だか複雑だ。自分でも分かるくらいに難しい顔をしていると、伊豆木が説明をやめ、こちらに向き直った。場に少しの緊張が漂う。

「……七海さん、ちょっと前に言ってたんだべ。今、ほっとけない親友が居るって」
「……?」
「そいつは常に一緒で、お節介で煩くて、じいちゃんっぽくて時々つまんねぇ。けど、こいつじゃないと駄目だ、って位に最高に親友なんだって」
「…………」

 伊豆木は全てを受け入れるような、おおらかな笑顔で言った。

「羨ましいべ、桃瀬さん」
「……っ」

 最高に親友。やっぱりあいつはどこかおかしい。いつも大雑把だししつこいし、金の扱いも雑だし、はっきり言って馬鹿だし。
 この御伽隊の事だって秘密にしてた。少しは信頼してくれても良いものを。それにここに来てから、凪紗とは一言も喋っていない。そばに来て説明ぐらいしろよ、とも思う。けど……

「桃瀬さんも、七海さんが好きなんだべ?」

 その答えの代わりに、俺は立ち上がった。凪紗の居場所を訊く。有栖川がぶっきらぼうな口調だが、しっかりと場所を教えてくれた。やはりこう見えてしっかりしている。

「伊豆木。おやつありがと」
「どういたしまして、だべ」

 俺は地面を蹴った。小走りで食堂を出、廊下を指示された方へと進んでいく。急ぐあまり、途中で転びそうになったが気にしてられない。とにかく焦って、走った。
 凪紗がそんなことを言うなんて、思ってもみなかった。


















「流石、話の繋ぎが上手いじゃない。恭助?」
「へへ、作戦通りだべな」

 食堂に残された二人は、目を合わせて笑いながら、食パンの耳の残りをかじった。