複雑・ファジー小説

Re: 開幕 [2] ( No.3 )
日時: 2016/12/05 01:06
名前: 水海月 (ID: sWaVmrWQ)





















『凪紗! どうしてこいつ男の癖にヘアピンなんかつけてるわけ?』
『えっと……色々あったんだとよ……』

 ……やかましい。

『はぁ〜、いかにも都会、って顔してんなぁ。綺麗な顔だっぺなぁ』
『えぇ? 普通よ、どう見ても!』
『んー……一応色は白いけど、判断し難いかな』

 ……うるさい。

『ちょっとお前ら……晴が起きちまうだろうが……』

 唯一知っている声。あぁ、凪紗だ。何故だかなんとなく懐かしい。
 凪紗の制止も効かず、まだ知らない声は何か話していた。

「……あのさ、起きてるんだけど」

 騒がしさに我慢できず、目を開けて、勢いよく上体を起こしながら言ってみる。今俺は多分、物凄い仏頂面をしていることだろう。俺が横たわっていた黒いソファの隣に居た知らない少年がビクッと肩をすくめた。そしてソファの側にもう一人立っている。目をやると凪紗で、少しほっとした。しかし、俺のそんな気持ちとは逆に、凪紗は目を見開いた後、どことなく気まずそうな顔をした。

「……あ……」
「おい、凪紗お前! ここは一体……」

凪紗が何か言おうとしていたのを、わざとではないが遮ってしまう。いつもなら元気に、直ぐ反応するのがこいつなのだが、「……おう」と呟いたきり、下を向いて黙ってしまった。変だ、おかしい。何かあったのだろうか。俺は首をかしげて、凪紗から目を離し、辺りをぐるりと眺めた。
 照明はあるみたいだが、少し暗い。見渡してまず目に飛び込んできたのは、一面コンクリートの壁。窓は高めの所にいくつかあり、天井は尋常じゃない位高い。普通の家ではないことは確かだ。灰色の殺風景さを隠そうともせず、壁の表面を剥き出しにしている。半世紀以上前に、こんなのが流行ったと聞いたことはあるが、実物を見るのは初めてだ。
 視線を動かすと、白と黒を基調とした品のいい家具、そして見知らぬ人が数人いて、こちらをじっと見ている。ますます混乱してしまう。凪紗の浮かない顔と関係あるのだろうか。何かの組織に捕まったとか? もしかして死後の世界とか?
 不安が心を支配し、俺は思わずソファから立ち上がった。そう言えば、いつの間にか傷が完治している。その事に若干驚きを感じながら、凪紗に詰め寄った。

「……ここは一体何なんだって、訊いてるだろ、なぎ……」
「……それは、俺から説明しようかな?」

 右から、心地よい低さの声が聞こえてきた。ふっ、と空気が静まり返る。俺は、そちらに首を向けた。
 部屋の奥の方に木机があり、その机に寄りかかっていた男が、声の主らしかった。ぼさぼさの黒髪を無造作に後ろで束ねている。やたら光を湛えた金色の目が、緩く微笑んだ。

「やぁ、初めまして……ちょっと、皆は席を外してくれるかい。あぁ、凪紗も」
「……隊長、」

 凪紗がまた何かを言いかけた。しかし、その肩をぽん、と叩いて「早く行くべ」と急かす方言男子。金髪の少女も、ぐいぐい凪紗を引っ張っていく。あっという間に、他の人間は数個あるドアにそれぞれ消えた。部屋に残ったのは、俺と、「隊長」と呼ばれた男だけだ。緊張から、体が少し硬直する。「隊長」は手招きし、俺を机の側に呼ぶ。何か仕掛けてあるかもしれない。ゆっくり、慎重に近づいていったら、「どうぞ」と近くの椅子に座らせられた。拍子抜けだ。

「……さぁ、それじゃあ話そうか」
「……はい」
「まずは自己紹介から、かな。俺は笛吹 凛。皆からは隊長、って呼ばれてる」

 優しくも、どこか妖しい笑みを浮かべた男が言う。なんとなくだが、胡散臭い。飴色の、使い込まれているらしい木机にもたせかけたままの体は線が細く、身長も高かった。彼の薄い唇が開く。

「えっと、桃瀬 晴、だったっけ?」
「……はい」
「じゃあ、晴くん。君は……御伽噺は、好きかい?」






「……え?」

 全く予想していなかった問いが飛んでくる。あまりにいきなりだから、何て答えようかちょっと迷った。キョロキョロと目を泳がせながらどもる。きっと俺は、格好悪い挙動不審な姿を晒しているのだろう。笛吹と名乗った男が喉の奥で笑う。よいしょ、と腰を浮かせ、おもむろに歩き始めた。

「知っているだろ? 大昔の文学の生んだ宝だ。例えば桃太郎とか、本当に千年以上前のものだったり、五百年ぐらい前の最近のものもある」
「はあ……」

 五百年前がそんなに最近だろうかと、俺は首を捻った。五百年前というと……第一次世界大戦の頃か? だいぶ昔だな。
 そんな事を考えているうちに、笛吹は一冊の本を、壁の本棚から取り出してきた。薄い、朱色の表紙の本だ。今時紙の本なんて珍しい。彼は頁をぱらぱらと捲りながら、俺の向かい側の椅子に座る。座り方もなんとなく品があるというか、ばっさり言ってしまうと色っぽい。大人の色香というヤツだろうか。決して惚れてはいないけど。ますます変な人だ。

「ほら、これ」

 そう言い、笛吹は本の中の挿絵を指差し、俺に分かるように見せた。それは人物で、旅人のような雰囲気を出し、角笛を吹いている。驚いたのは、その後だ。その男の後ろに、生気のない目の子供たちが何人も、ぞろぞろと付いて行進している。不気味な行列に、思わず息を飲んだ。そんな俺を面白そうな目で見た笛吹は、ゆったりとした声で語る。

「『ハーメルンの笛吹き』。ヨーロッパのハーメルンという街で起きた、幼い子供達の大量失踪事件を元にした、と言われている童話だ。……とある旅人が、ハーメルンの街から黒死病……ペストかな。それの原因になるネズミを、不思議な音色の笛で、一匹残らず追い出した。しかし旅人は気味悪がられ、感謝もされずに街を追い出された。旅人は報復に、その街の子供達を笛の音で一人残らず連れ去って行ってしまった……という話だよ」

 首の付け根辺りに鳥肌が立った。そんな話、聞いたこともない。

「はは、童話にしては怖いかな?」
「……えっと……大丈夫です」
「なら良いんだけどね。そしてこの、『ハーメルンの笛吹き』が、俺の中に埋まっている……種だ」
「たね……?」

 全く意味が分からない。何も言えずにポカンとしていると、笛吹がまた語り出した。表情がいくらか真剣になっている。俺を騙しているというわけでは、多分ないのだろう。そう信じたい。

「……『脅威』は二十年前に、オクタマで初めて確認され、周囲に深刻な被害を与えたのは知っているね?」
「はい。学校で教わりました」
「うん。そうだと思う。これから話す事は教科書にも載っていないし、教師が教えることでもない。むしろ事実を知らない人の方が大勢いるだろう……だけど、真実だ。信じて欲しい」

 ゆっくり、頷く。

「ありがとう……君は、『脅威』の特徴を幾つ知ってる?」
「んっと……紫の目と、後は……現代の兵器では倒せない、だったっけ……?」
「正解だ。でも、それに加えてもう一つある。分かるかな? 晴くんが知っている『脅威』の種類を思い出してごらん」

 種類? ニュースとかで見たもので良いのだろうか。例えば……

 ……鬼。オオカミ。でっかい鳥? 金閣と……銀閣……後は……ジャバ何とか……

「そうそう。よく覚えてるね。そいつらの共通点、分かる?」
「……えっと……わかんない、かも」
「ホントに?」

 金色の瞳でジッと見つめられ、どきまぎしながらも頷く。笛吹はため息をつき、苦笑いした。

「そっか、まあしょうがないね。じゃあ大ヒントだ」
「…………」

 ごくりと、唾を飲み込む。

「鬼は、日本の話全般」
「……は?」
「金閣と銀閣は『西遊記』。でっかい鳥……ロックバードは『シンドバッドの冒険』。オオカミはヨーロッパ全般かな」
「あ」
「……ジャバウォックは、『不思議の国のアリス』だ。ここまで言えば、もう分かったよね」

 笛吹が静かに煽る。ようやく、何故さっきから御伽噺が話題なのかが分かった。俺も頭は良くはないが、この問題も難しい。御伽噺なんて、ほとんどそれぞれのタイトルでしか聞いたことがない。小さい頃、膝の上に俺を乗せ、絵本を読んでくれる人など、居なかった。本を手に取ったのなんて、だいぶ大きくなってからだ。その時は、もう子供っぽいお話になんて興味が無かった。読む機会はゼロだったが、ここまで言われたら答えられる。
 息を吸い込んで、ゆっくり吐き出し、俺は答えを出した。

「『脅威』の正体は、それぞれの御伽噺に登場する悪者……ですか」

 笛吹は、あはは、と笑った。

「あたり」