複雑・ファジー小説
- Re:開幕 [4] ( No.5 )
- 日時: 2016/12/20 23:44
- 名前: 水海月 (ID: sWaVmrWQ)
深紅。
深……紅。
しんく。
……赤。
赤……?
「っつ……!」
「あれ、どうかした? 大丈夫?」
「あ……いや、なんでも……っ」
頭の奥を突き刺されるような痛み。何かをねじこまれてるみたいに、違和感が凄い。ああ、また来たか。と、考える間もなく、痛みは襲ってきた。こめかみを押さえ、顔を歪ませる。痛さはちっとも鎮まらない。
笛吹が心配そうな顔をして身を乗り出し、俺の背中をさすってくれた。ため息をついて、呟く。
「……深紅の、目……何か、思い出したのかい? 辛いことでもあった?」
「…………」
辛いこと。あった……かもしれない。でも……
「あの、俺」
「やっほ〜、ただいまぁー! 凛、卵一割引だったよ……ってあれ、お取り込み中だったかな?」
威勢よく向こうのドアを開けて、外から男が入ってきた。朱のブーツとマフラーがやたらと目立っている、黄色い髪の猫目の男だ。なんかもう見た目から騒がしい。一瞬頭痛が酷くなったのは気のせいだろうか。一人おろおろするその男を苦笑してたしなめ、笛吹は言う。
「お帰り、猫宮。ちょっとさ、水を持ってきてくれるかな?」
猫宮と呼ばれた男は、俺と笛吹の間に視線を行き来させ、そして慌てた表情で駆けていった。
「あいあいさー!」
……変な叫び声を上げながら。
「……あの、今の人は……」
「ああ、うちの隊員だよ。買い物を頼んでてね。あれでも結構古参なんだ」
「えぇ……?」
騒がしい人だ。お陰で頭痛も一瞬強くなりかけたがいつの間にか消えた。何なんだ一体。なんだか、凪紗と同じように手がかかる人なのかもしれない。穏やかな笛吹とは正反対のような性格だ。古参というのは本当だろうか。そんな風にぐたぐた考えていると、どたばた音がして、猫宮が走ってきた。手にはコップを持っている。
「はい、水お待ちどお!」
「あ、ありがとう……ござい、ます」
そばに来た猫宮から水を受け取り、一気に飲み干す。水道水だろう、しかしうまい。冷たい物が体を通っているのが分かる。ぷは、と、コップを置いた。意外と派手な音がしたから少し焦る。
「お、いい飲みっぷりだねぇ」
「……猫宮、肩に体重かけないで」
「おっと失礼お爺様!」
ぱっと猫宮が腕を離した。ただでさえ肩凝ってるのに、と、笛吹が猫宮を睨む。何だろう、猫宮が現れてから、笛吹の表情が豊かになった気がする。不思議に思って見ていると、笛吹が気付き、ごめんごめん、と笑った。
「ほら、猫宮。自己紹介は?」
「ああそうだね、忘れてたよ」
すると猫宮はいきなり俺の椅子のそばに来て、ひざまずいた。思わず「え?」と声を漏らしてしまう。なんだこいつ、胡散臭さマックスだぞ。という俺の胸中なんて知らない、というふうに猫宮は大袈裟に片手を胸に当て、芝居がかったよく通る声で朗らかに話し始めた。
「ようこそおいで下さいました、我々の根城へ! 我が名は猫宮 弥生。この肩凝り男と同じ、『駆逐隊』の一員でございます。どうか、お忘れなきよう」
「う、ウゼぇ……」
あぁ、こういうの苦手なタイプだ……
思わず思ったことを正直に呟くと、にこにこ微笑んでいた笛吹が声を上げて笑い出した。俺はそれを見て少し驚く。どことなく冷たい印象があったが、こんな笑い方するんだ。
猫宮は俺と笛吹の顔を見ると、頬を膨らませて立ち上がり、腰に手を当てた。なんだいなんだい、と口を尖らせる。さっきの二流芝居のような声とは打って変わった、親しみやすい声だ。
「ちょっと、笑いすぎだよ凛! 失礼じゃないか。それにいきなりウザいはないだろ、少年!」
「あっ、悪い。あと、俺少年って名前じゃないから……桃瀬 晴だ。よろしく」
ウザいと思ったのは本当だが、ストレートに言い過ぎたかもしれない。素直に謝って、片手を差し出す。すると、猫宮はふふん、と言って手を差し出してきた。俺はその手を握り、握手を交わす。
「すぐ謝るとはよい心がけだ、少年……じゃないや、晴。よろしく頼むよ!」
「ああ……ところで、お前もその……『種』とやらを持ってるのか?」
「うん? 勿論そうさ! 凛、晴に披露してあげてもいいかい?」
猫宮が言うと、笑っていた笛吹はさっと真顔になり、「駄目だ」と即答した。
「えぇー! 何でだい!?」
「駄目だ。基地を破壊しかねないからなぁ……ごめんよ、晴くん」
「そうか……まぁいいか、晴! 僕っちの種は『長靴を履いた猫』。覚えておくようにね!」
「へぇ……ってか、一人称それで恥ずかしくないのか?」
「全くもう! 晴は一々嫌な所を突っ込んでくるなぁ……個性だよ、こ・せ・い!」
あ、やっぱりちょっとウザいかもしれない。
「ほらまた冷たい顔した〜……ところで凛、もちろん晴も『種』を持っているんだろう?」
「あー、それについては微妙だなぁ。晴くん、君は小さい頃に、研究所のような施設で暮らしていなかったかい? 灰色で、暗くて、ひたすら気の滅入る所なんだけど」
「研究所……?」
研究所は、研究をする施設。つまりそこで、『種』が埋め込まれるのだろう。どんな場所なのか。少なくとも、俺は知らない。暮らした記憶はない。知らないという事は、俺は『種』を埋め込まれてもいないという訳だ。しかし……
「……さっき……猫宮が来る前……言いかけてたんだけど、俺は」
「俺、昔の記憶が無いんだ」
たどたどしいながらも、ゆっくり話す。また、頭の奥が疼き出してきた。痛い。さっきより明らかに話す速さは遅いけど、笛吹も猫宮もさっきとは全然違う、じっと真剣な顔をして聞いてくれた。
「俺は今まで、凪紗とずっと暮らしてて……でも、その前の事は、全く覚えてなくて。大雨の日に、倒れてたって凪紗は言ってた。自分の名前は思い出せる。覚えてるのはそれだけで、それより前の事は全然。だから、研究所にいたかもしれないし、いなかったかも……あと、関係あるのか分からないけど、凪紗と出会った頃、赤系統の色が何故かすごく苦手だった。特に、その……目の色、の話は今も苦手」
猫宮は人が変わったような神妙な顔で頷き、腕を組んだ。笛吹も目を伏せて何か考えている。ちょっと居心地が悪い。でも、話したことは本当だ。嘘は吐いていない。二人の重い雰囲気に引きずられるようにしてうつ向くと、笛吹の固い声が聞こえてきた。
「研究所では、実験対象者の記憶は残したままにしている。余程の事がない限り、消されないはずなんだよ。その『余程の事』が晴くんにあったのか、はたまた本当に研究所に関係ない人生を送ってきて、ある日何かの弾みで記憶を喪失したか、のどちらかだとは思うんだけどね……あと、目の件に関してはごめんね、謝るよ」
「ああ、いや、だって初対面でそんなの分からないし……大丈夫」
「あ、ねぇ、君が赤いピンをしているのは、もしかして?」
猫宮が首をかしげる。流石猫、察しがいい。
「……そ、克服するために。嫌い嫌い言ってたら、凪紗にも迷惑かかるし。今は大丈夫だけど、外すのもなんか名残惜しいから……」
実は、このピンをくれたのは凪紗だ。謎の赤嫌いを克服するため、何かしようと悩んでいたら、凪紗がこれを渡してきた。「いっそ、体の一部にしたらいいんじゃね?」と。恥ずかしいから公言しないが。でも、それから毎日自分の手で付けるようになってから、自然と赤が気にならなくなった。しかし、目の色の話を持ち出されるたびに、酷い頭痛がするのには参る。治そうとはしたのだが、そもそも解決法が全く浮かばなかったのだ。だから、これだけは今も続いている。とても迷惑だが、過去に何かあったのなら、それはそれで知りたい。研究所、というのも何か関連しているのだろうか。
「まあ、そうかもしれないしそうじゃないかもしれない……けどね」
「でも凛、晴は凪紗の友達なんだろう? 僕っちもさっきまで出掛けてたけど、凪紗が晴を担いでここに来たのは見たよ」
「あぁ、そうだ」
「だったら、入隊してもらうしかないんじゃないかい? 住む場所追われたみたいだし……」
猫宮はそう言い、椅子の背もたれに寄りかかり、両腕で体を支える。ぐらつく朱色のブーツ。整った唇から飛び出した「入隊」という言葉に、俺は少々驚いた。素質があるかなんて分からない、下手したらただの一般人。自分で言うのも気恥ずかしいが、凪紗の親友、ってだけなのに。というか凪紗が俺を担いできた、と言っていたが本当だろうか。意外と体力あるんだ、あいつ。
笛吹はその言葉に「うーん」と唸り、腕を組む。
「原則、この隊への入隊は『駆逐者』じゃないと出来ないんだよね。あ、『駆逐者』ってのは『種』を埋め込まれた人の事だよ。……でもまあ、仮入隊って名目ならいいんじゃないかな? どう? 入隊してくれるかな?」
「あの、凪紗は……もう?」
「うん。数年前に入隊してる」
「そっか……」
あの野郎。隠してたな。
でも正直、こんな凄い力を持っている人達と仲良くやっていけるかどうか不安だ。自分には十中八九特別な力は無いだろうし、ついていけないかもしれない。でも凪紗がいるなら、多少は心強い。もう住むところも無くなったし、どちらかと言うと入隊したいのだが……
「大丈夫大丈夫! 食事も三食しっかり当番が用意するし、水回りも完備してるし、部屋も二人で一部屋だけどベッドあるし!」
「他の皆はまぁバリバリ戦うけど、晴くんにはそんなに難しい仕事は頼まないよ。安心して」
三食部屋付きなのは大変有難いが、それより興味のあるのは、他の人達だ。どんな力を持っていて、どんな戦い方をするのだろう。どんな『種』を持っているんだろうか。とても気になる。
それに、本当にもしかしたらだけど……俺にも何かが、眠っているかもしれないんだ。
入るっきゃない。
「俺、ここに入りたいです。入隊させて下さい」