複雑・ファジー小説

Re: 『ノーセンス』——ここは空。【短編集】 ( No.6 )
日時: 2020/03/03 22:05
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 ※これはヨモツカミさんと黒崎加奈さんとわたしの3人で三題噺という企画をやろうということになり、書いた作品です。
 3人がそれぞれ選んだキーワードをもとに作成しています。
  
 
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 あの子が昼休みのあいだに飲み残したいちごオレが机の上にあった。
 ストローの先からはとても危険な匂いがしていて、ぼくは理性と本能とをいったんはかりにかけたものの、結局ストローを指でつまんだ。
 吸いあげたピンク色の液体は甘くも苦くもなく、ただ罪の味がした。



 ぼくはいま、教室の真ん中で椅子に座っている。ただふつうに座っているわけじゃない。大縄跳び用の縄で体と椅子とをぐるぐる巻きにされているのだ。思ったよりきつめに固定されていて動けない。
 ほかの机や椅子は掃除をするときみたいに教室の後ろのほうに集まっていて、空いたスペースにぽつりとぼくだけが座っているという状態だ。

 教卓の上に堂々と腰をかけ、あの子はすらりとした長い脚を組み変えた。にやにやとぼくを見るその大きな瞳は、思春期のぼくらには刺激が強い。とにかく男子に人気があって、全男子生徒の憧れの的といっても過言ではない。ぼくも、似たようなものだった。

 ぼくの視線の先にいる彼女はまるで別人のようだ。普段、廊下で見かける可憐な笑顔をぐしゃりと潰しながら、「ねえ」と甘ったるい声を出した。ぼくに話しかけてくる。

「あたしのいちごオレ、飲んだでしょ」
「……」

 きた。心臓がどくりと高鳴った。
 ラメの入ったハデな爪がきらきらと光っている。その手には500ml容量の紙パックがあった。見覚えのあるピンク色のパッケージだ。

「ねえおいしかった? ああ、どきどきして味なんか覚えてないよね。あたし、初めてだよ。本物見たの。ほら、なんていうの? 好きな子のリコーダーとかこっそり吹いちゃうようなヤツ。あれほんとにいたんだ。きもくない? ははは」

 黒板のまわりで彼女を取り巻くようにして立っている数人の女子たちがくすくすと控えめに笑った。
 返す言葉もない。
 取り巻きのうちの1人の、メガネをかけた女子生徒が横に倒したスマホでぼくのことを撮っている。

「さっきも動画撮ってたんだよねえ。周り見て、おそるおそるコレ飲んでるとこ、ちょーうけたんだけど。そこだけ巻き戻して何回も観ちゃった。どうだった? 気持ちよかった? ね、口でしてあげたら、きみ死んじゃうんじゃない。……なんかゆってよ。さっきっからだまっててさ、ほんとつまんな。あたしのこと好きなんでしょ? いっつもチラチラこっち見てくっから引っかけてみたらさー、まんまとはまったし。あ、体調悪い? さっきまで保健室いたもんね。ごめんごめん。じゃお詫びにさぁ」

 言いながら彼女は、カラであるはずの紙パックのストローをつまんだ。

「キスしてあげる。関節キス」

 ぼくは、かっと体温があがるのを感じた。そしてすぐに、

「だめだ!」

 と叫んだ。彼女は黒くて大きな眼をまんまるにして、まっすぐぼくの顔を見た。子どもみたいなあどけない表情になった。ぼくは、できるだけ大きく前のめりになって繰り返した。

「だめだ」
「え、なに。どうしたの。アタマおかしくなった?」
「そうだよ、頭がおかしくなるよ、それをす、吸ったら」
「……」
「ぼ、ぼく、見たんだ。そっち、の、いま持ってる、人。が、科学室で、なにかはかってて、粉みたいなの、で、きっと危ないやつ、それをきみの、紙パックに、入れて」
「は、なに、だれがなにを」
「……」
「嘘でしょ」
「嘘じゃ」

 心拍数はもはや最高潮に達していた。言わなきゃ、言わなきゃと焦ったばっかりに早口になった。上手に伝えられない。もどかしい。息苦しい。
 彼女は睨むようにしてぼくを見ている。すると、取り巻きのうちの1人が、

「持ってる人って……なに? スマホ?」

 と小声で言いながら、スマホを持ってぼくを撮影していたメガネの女子生徒をちらっと見やった。みんなが一斉に、その女子生徒に注目する。
 教室内が、しんと静まり返った。

「冗談じゃないよ」

 両手で持っていたスマホをすこし下ろして、メガネの女子は言った。
 彼女以外の全員が息を呑んで次の言葉を待った。
 緊張が走る中、彼女は淡々と続けた。

「……うん、そう、うん。いれた。でもちょっとだけだよ。ほんとに。ちょっと痛い目みればいいのになー……って思って」
「……」
「だってうざいんだもん、アイコ。みんな思ってるよ。顔が可愛い以外いいとこないし、こき使われんのもいい加減無理っていうか。こういうのもさ……もうやめれば? 小学生じゃないんだよ。あいつをハメてやろうとか、その気にさせてやろうとか、バッカじゃない? 恥ずかしいよ。大人になろうよ、もっとさ。てか痛い目見ろってマジで」

 メガネの女子は一旦下げたスマホを持ち上げ、今度はアイコさんにピントを合わせた。

「ほら、しなよ、間接キス。気持ちよくなれるよ」

 どっ、と笑い声があふれた。取り巻きたちはみんな化けの皮を被っていた。みんな、「あの顔見てよ、おもしろ」とか「ほんとうける」とか「はやくしろよ」とか口々に吐きはじめる。スマホでシャッターを切る音もした。すべての中傷や悪口がアイコさんの顔に振りかかる。
 整った顔を真っ赤にして、アイコさんは教卓の上から降りた。唇を噛み締めているのだろうか、俯いたままだ。
 アイコさんがなにも言わずに走りだそうとすると、撮影役の女の子が口角を上げて、くすりと笑った。

「え、あんたの代わりにクスリ吸っちゃったあの子、病院に連れていってあげるとかしないの? ああ、まあ、そういうとこだよね」
「……」
「もう調子乗んな、性格ブス」

 取り巻き役の生徒たちがさらにまた大きく笑いだす。『性格ブス』に共感を覚えたからだろうか。
 アイコさんは黙ったまま、悪意ある笑い声に背中を押されるようにして、教室を飛びだしていった。



 断罪の時間が終鈴を迎えると、教室にいた生徒たちは散り散りになった。撮ったばかりの動画を再生してはげらげらと笑い合う子たちもいれば、部活に急ぐ子もいた。
 ぼくが呆然と座っていると、撮影役だったホノカが縄をほどきにやってきた。ホノカは楽しそうなわけでも苦しそうなわけでもないふつうの顔をしていたが、途中でふっと笑みをこぼして、一言、

「名演技だったわね」

 とだけ言った。それから黙々と縄をほどき終えたホノカに、ぼくもたまらず一言吐きだした。

「本当によかったのかな」

 ホノカは意外そうにぼくの顔を見た。

「なんで?」
「だって、こんな、みんなで騙すみたいな……」
「なに、あんた。いまさらやめてよ。アイコが学校こなくなったらどうしようとか考えてる?」
「いや……」
「やり返したかったの、ずっと。やられた分だけ。いつかあのむかつく顔をゆがませてやるって、それだけ
思ってて、今日やっと叶った。途中、あんたがテンパってセリフミスったとき、ミキが助け舟出したの、気づいた? あれはナイスだった」
「ごめん、『スマホを持ってるその子』ってセリフだったんだよね、ごめん」
「べつにいいよ。うまくいったから」

 目的が叶ったにしては、ホノカの声は幾分も落ち着いていた。
 ぼくもホノカもアイコさんも、おなじ小学校に通っていた。ホノカとアイコさんはいつもいっしょにいたし、この2人は仲のいい友だちなんだと思って疑わなかった。だけど、いつ頃からだったか、ホノカの口からアイコさんに対する愚痴をよく聞くようになった。
 「この計画の手伝いをしてほしい」と頼んできたときのホノカは、見たこともないような鋭い目をしていた。もう我慢ができない、とでも言いたげだった。それに「ちょっと痛い目でも見て、反省してもらうだけだから」と言っていたので、ぼくはあまり深く考えることをせずにホノカの手をとった。幸いにもぼくは、中学校にあがるときには彼女への憧れが薄れていた。
 だけど、彼女が教室を去るときのあの苦しそうな顔を思い出すと、胸にくるものはたしかにあった。
 ホノカは縄跳びの縄をくるくると巻きとりながら言った。

「あんただってわかってたでしょ。アイコはほんとはああいうやつなの。男子にだけ高い声だしてさ。だいたい周りの女子を下に見てるし、きもいとか、ブスとか、陰では平気で言うし。わたしにだって、『メガネださいから外しなよ』って。なにそれ、傷つかないとでも思ってんの? 言い方がさ、いちいちむかつくんだよね」
「うん……。でも」
「でもなに。まだなんかうじうじ言う気?」
「あれ……」
「え?」

 ぼくが顔を上げて黒板のほうを見つめたら、それにつられたのかホノカも振り返ってぼくの視線の先にあるものを見た。からっぽの紙パックは主人を失って、そこに残ったままだ。

「好きだったんだ。けどもう、なんか、飲めないなって」
「……。わたしも」

 中身はなにもなくて軽いはずなのに、ぼくにはまるでなにかを留める重石のように思えた。
 
 
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 ■キーワード…『罪悪感』『天秤』『紙パック飲料』