複雑・ファジー小説
- Re: 【短編集】わたし。 ( No.2 )
- 日時: 2017/05/08 02:56
- 名前: 河童 ◆KAPPAlxPH6 (ID: DxRBq1FF)
【水】
「お前って、みんなに合わせてるだけで、自分の色がない水みてえな奴だよな」
中学2年生の時に、友人に言われたこの言葉。なぜか、それは棘のように私の心に刺さり、抜けなくなってしまった。その友人いわく、人には様々な色のオーラがあるのだ、という。明るくて、燃えるような人なら赤。冷静で、目が覚めるような温度の人は、青。そんな風に、誰しもがオーラを持っているらしいのだが、私には、それがない。
あるにはあるのだが、赤いオーラの人といれば赤、青いオーラの人といれば青になっているのだ。つまり、人に合わせているだけで、自分の個性が欠落している。そんな、水のような人間。それが市川由香という私なのだ。
水のような人間。それを指摘されてから、私はそれがいたく恥ずかしいことのように思えて、治そうとしてきた。自分の個性を作るために、様々なことに手を出した。人助け、校則違反、アイドルグループのファンを装ったかと思えば、今度はアニメや漫画の収集をしていた。傍から見れば、その時の私は性格の破綻した、頭のおかしい人間だったのだろう。しかし、こうしなければいけなかったのだ。自分の才能だって個性だってわからないこの状況を打破するためには、なんだってしたかった。
もしかしたら、私のこの行動はあの言葉を発した彼にとって、とても滑稽なものに思えたのかもれない。それでも、私には必要なことだったのだと、思う。
そして、高校生になった今。私の周りには多くの友人がいる。化粧の下手くそな頭の悪そうな女子であったり、理知的な雰囲気を醸し出す、眼鏡の男子であったり。様々な性格、趣味趣向の人々と関わりを持つことができていた。今日だって、頭が悪いがコミュニケーション能力ある舞子と喫茶店で話す約束をしているのだ。いわゆる、ガールズトークである。どこどこ高校のだれだれ君が格好いい、だの、うちの高校のなんとか先生がウザくてムカつく、だの。そんなどうでも良い愚痴であったり会話を重ねて、私たちは、思考をすり合わせていくのだ。
同じことを考えてないと、学校のような狭い社会では生きていけない。同化していこうとする多数に付いていかない異端の個は、切り捨てられて、ゴミ箱に捨てられていく。掃き溜めのような場所に、異端が集まっていく。そんなところに、私は行きたくない。きっと、臆病なだけなのだろう。人との関係を壊してしまうのを、恐れているだけなのだ。それでもいい、孤独だけは恐ろしい。
そんなことを考えながら歩いている間に、待ち合わせ場所の喫茶店に着いた。遅れて人に嫌われたくないから、基本的に私は待ち合わせの15分前にはくるようにしている。今日も余裕を持って人を待つことができる。これで、嫌われない。
20分ほど待つと、茶色い髪をして、いかにも頭が悪いですと言っているような短いスカートと、派手な柄のシャツを着て店内に入ってくる舞子が見えた。『ごめえん、遅れた!』などと言っているが、遅刻したことを悪いとも思ってないのだろう。彼女は、きっと失礼なことをしたところで、それが良くない行動だとはわからない人種なのだ。
しかし、こういう社会はそんな人間のほうがカーストが上になるのだ。人を蹴散らし、上に立つことを悪びれすらしない人間。それが、トップになる、そんな世界。
そんな彼女のような人間を責めることもせず、取り巻きのように振る舞って、ぬくぬくと甘い蜜だけを吸う私は、狡い人間だ。でも、やめられない。
どすっと私の向かいの椅子に座る舞子。その後の大きな溜め息から、いつも彼女の愚痴は始まるのだ。
「ねえ聞いてよ由香! この前国語の石橋がアタシのスカート見て『そんな短すぎるスカートはいけませんねえ』とか言ってきてさあ。ほんっとウザいよねえ、アイツ。ハゲの癖にグチグチ言いやがってさ。嫌いだわー。つかさ、スカートのこと注意するってことはアタシのスカートジロジロ見てるってことじゃん? キモっ、まじであり得ないんだけどー。ハゲ橋に見られてるとかほんと汚い」
別に、石橋先生のやっていることが悪いわけではない、とか。そんなことを言うんだったらスカートを上げずに穿けよ、とか。そんな反論ばかりが出てくるけれど、それはすべて喉元で押さえつける。滝のように流れてくる正論。しかし、正論はこのコミュニティでは通用しないのだ。正しいことは捻じ伏せられ、気に入らないことは叩きのめす。自分の思いはすべての正義で、そんな人間にとっての悪は自分に歯向かう者なのだ。
溢れそうな反論を喉のダムで堰き止め、同意する。
「だよねー! 由香ならわかってくれるって信じてた! あと最近数学の馬場もウザくてー。あのババァほんと——」
「ごめん、トイレ行ってきていい?」
「……いいけど」
驚いた顔をする舞子。それもそうだろう、今まで私は彼女の言葉を遮るようなことなどなかったのだから。
なぜだろうか、いつもはこんなに反論したいと思わないはずなのに、今日だけはその思いが異常なほど、強かった。だから、一度その気持ちを鎮めるために席を立つ。
お手洗いに向かって歩く。そのそばの座席に腰掛けている人物と、不意に目があった。
その瞬間、私は驚愕する。
「堤——!? なん、であんたがこんなとこに……」
「別に、友達と来ただけだよ。お前みたいにさ。つーか市川、お前何も変わってねえな」
出会い頭にそんなことを言う彼。堤夏樹。中学2年生のときのトラウマを作り出した張本人である。黒髪の短髪で、にやにやと三白眼を歪めて笑う、話しているだけで苛々としてくる奴だ。
何も変わっていない、なんて。そんなことない。私は、あの言葉を撤回させるために今日までやってきたのだ。それなのに、そんなこと。
ない、と言うと、しかし堤はまたニヤニヤという不愉快な笑みを浮かべているままだ。
「変わった? 嘘だ。お前はなんも変わってねえよ。強い誰かに付き従って、同調することしかできないクズのまんまだ。あー、でも人間生活に入り込むのだけは上手くなったな。でも、まだ、お前は、水なんだよ」
まだ私は、水。その言葉は、今度は私の胸に重くのしかかる。この何年間の努力は、全て、水泡に帰した。
その表現は、水のような私にとてもお似合いな気がした。