複雑・ファジー小説
- Re: 異能者たちの生存戦略 ( No.1 )
- 日時: 2016/12/12 20:12
- 名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
side:human July 1st 2016
七月の初め、それに似つかわしくない異常気象が窓の外に広がっていた。昨日までは、鬱陶しい梅雨の湿気の中にも、夏へと向かう暑苦しさが潜んでいたのに、今日のこの光景は一体何だというのだろうか。
窓の外にちらちらと舞うのは、他になんとも形容しがたい雪であった。それも、粉雪が舞うという程度ではなく、視界も狭まる猛吹雪。降り始めたばかりで積雪こそないが、このままではすぐに靴がすっぽり埋まってしまいそうなほどにふぶいている。
気温がおかしかったのは、確かに今朝からだったが、時間が経つにつれて次第に異常性は増していった。朝目が覚めた時にはまだ、気温は低いとはいえ十度程度にはあったはずだ。
普通ならば、十四時に向かって上昇するはずの気温は、逆に下がる一方で正午にはもう氷点下に達していた。では、今の気温はどれだけだというのだろうか。携帯電話で早速調べてみると気象庁は零下十度と公表していた。史上一度も観測されたことのない未曽有の異常気象、夏の猛吹雪に、世界中が注目していた。
異能の力、正午を越えたころから各種メディアが、学者が、SNSの野次馬が、しきりにそう唱えていた。雪が降りだしたその瞬間を思い出すと、級友の部屋にて呆然とする少年はひんやりとした恐怖が背筋を走った。
「そんなこと、あってたまるか」
自分の目の前で顔を赤くして寝込んでいる少女を見て、彼は脳裏によぎるいやな考えを必死に否定する。違う、そんなことはない。だがしかし、現実は非常である。目の前の少女が苦しそうにせき込むと、吹雪はまた一段と、強くなったようであった。
「ただの風邪だよな? そうなんだろ?」
少女は、ただうなされているだけで何も答えない。
今少年が呆気に取られている数時間前に事はさかのぼる。少年が昼休みに廊下を歩いていると、担任の先生に呼び止められた。おおい、と野太い声がするので振り返ってみると、担任はプリントの束を持っていた。
「楓、ちょっと良いか?」
「はい、何ですか?」
彼の担任は東雲といい、恰幅のいい定員間際の男性教員だった。もう六十にもなろうというのに、肌は若々しく、髪の毛も白髪交じり程度だ。快活な声が特徴で、生徒会を指導している。
もうすぐ生徒会役員選挙が迫っているからその話だろうかと少年、楓 秀也は推測した。現生徒会長こそ彼だが、彼ももう三年生、次の代にバトンパスをする頃合いなので雑務が最近増えてきている。今日もどうせその話だろうと思っていたのだが、東雲の頼み事はそれとは違っていた。
「氷室っているだろ? 隣のクラスの」
「はい、いますね」
「寮の部屋近かったよな? 今日休みだったんだが今回俺の授業での配布プリントが多くてな。テスト勉強に必要なものだから届けてやってくれんか?」
「あ……っ。……はい! 大丈夫です!」
一瞬その頼みにひるみながらも、その違和感を何とか気取られないように応答する。正直なところ、楓から氷室への苦手意識は教師陣にも知れ渡っているため、躊躇は伝わっているのだろうが、東雲はそんなこと歯牙にもかけていない。
氷室 冷河(ひむろ れいか)、名は体を表すというべきだろうか、彼女はとても冷たくて、触れるもの皆凍てつかせるような空気を身にまとっている。小さいころに親から捨てられた経験からくるものだと本人は自称しており、人間不信であると周りの皆も認めている。
楓とは小学校からの仲なのだが、そのせいか余計に冷ややかで、異常なまでの対抗意識と辛辣な態度で接する。顔立ちはすっきりと、綺麗に整った美人であるためより一層その罵声は鋭く心に届く。
「それにしても、今日は寒いな。学校も急きょ暖房を焚いたくらいだ」
「そうですね。今どれくらいなんですか?」
「もうマイナスの世界らしいぞ」
嘘だろおい、と楓は驚きのあまり話しているのが先生だというのも忘れて粗暴な言葉遣いになる。しかし、そんなことも全く構いもしないのが東雲のよいところでもある。はっはっはと笑いながら彼は、気温が下がって氷室も死にそうかもしれないから様子を見てきてほしいと告げられた。
確かに、学生寮に入っている者がそこで死なれると問題だらけだろうなと楓は納得した。プリントの届けるのもそうだが、生存確認が今回のお願いの大きな理由だったのだろう。氷室には友達が一人もいないため、頼める相手が楓以外にはいなかったというところだろうが、何と悲しい話だろうか。
「……俺の心が折れない程度に確認してきます」
「ありがとな」
そう言って東雲は職員室のほうへと戻っていった。寒さに身を震わせながら戻っていくその姿に、楓も何か寒気が伝播した。なぜ、今日はいきなりこんな変な天気なのかと、声にせず天に問うてみる。廊下を歩くと皆その話をしている。ワンセグで、各種SNSで情報を得ながら自分なりの考えを述べ合っている。
普段は大学受験への不安しか話していないのに、今日は気象のことで持ち切りだ。普段よりいいと考えるべきなのだろうか、それともこの天変地異に怯えるべきなのだろうか、楓にはまだよく分かっていなかった。
これが、数時間前までの話。ここからが、三十分ほど前からの話。
授業が終わったため楓は寮の自室へと真っすぐ向かっていた。あの後気温の低下が小康状態になったとはいえ、依然として氷点下なのは変わらないため、大事をとって今日のクラブ活動は皆活動自粛となった。
荷物をほとんど自室へおろし、最後に東雲から受け取った氷室の分のプリントだけを持って自室を出た。楓の部屋は男子棟の隅、氷室は女子棟の隅なので渡り廊下を横断すればすぐにたどり着く。女子棟入り口で管理人の許可を得て、女子棟に入り、真っ先に目に入ったのが氷室の表札だった。
ノックをしてみたが、応答がない。インターフォンも鳴らしてみた。もしかしたら寝ているかもしれず、それを邪魔するのはどうかと思ったので郵便受けに適当に投げ込んでおこうかと考えたその時だった。キィと小さな音を立てて、扉が開いた。マスクをつけた短髪の少女が、顔を赤くして現れた。
「誰かと思えば……。何? あたししんどいんだけど?」
「プリント。東雲先生から頼まれた。テスト範囲だと」
「そんなの今日じゃなくていいじゃない。何考えてんの」
「お前の生存確認もしてこいって言われたんだよ」
「そんなの真に受けてんの? あんたに心配されるほどやわじゃないわ」
いつもの毒舌で強がってはいるが、元気のない様子は伝わってきた。声はところどころ掠れているし、普段の澄ました顔ではなく張りつめたような表情だ。おそらくかなり苦しいのだろう。
「用は済んだでしょ? 帰って、うつされたいの?」
「それは遠慮するけどお前、薬飲んでるか?」
「あんたに関係ないでしょ」
その言葉に、楓は氷室が薬を摂っていないことを確信した。そんなことだろうと思ったと、楓はポケットから風邪薬を取り出した。
「喉、鼻、熱、どれだ?」
「……喉からよ」
「じゃあこれだな、やるよ」
「……これに関してはお礼を言うわ」
その時だった、気丈に振舞っていた氷室の体が傾いた。慌ててその体を支える。もっと手短に終わらせてやるべきだったかと楓は少し取り乱したが、別の理由でもっと取り乱すことになった。
抱きかかえる形で受け止めることになった氷室の体だが、その体は、まるで氷の彫刻のように冷たくて、生きている人間のそれとは思えなかったからだ。
「おい! 大丈夫か?」
「ん……平気……じゃなかったみたいね、この様子だと」
「とりあえず、奥まで運ぶぞ」
「手を借りるのは悔しいけど、お願いしていい?」
誰かに頼みごとをするなんて、普段の彼女であれば絶対に考えられないことだ。まるで死体のように冷たい彼女の体を支えながら、楓は部屋の扉を閉める。廊下の窓から見えた景色では、空には暗雲が立ち込めていた。
そんなことより、楓にとって気がかりだったのは彼女の体が恐ろしく冷たいというたった一点であった。何をどうしたら人間はこれほど冷たくなるというのだろうか。普通、風邪をひいて熱を出せば体温はずっと熱くなるものではないか。
いや、それどころではない。彼の頭の中には、もっと不可解な言葉が思い浮かぶ。この体温はもはや、人のそれではないと言っても過言ではない。それはまるで、本物の氷のようで————。
「混乱してるでしょ?」
「えっ……」
「何でこんなに冷たいのか、って」
心の声を言い当てられた楓はひどく慌てて、何も答えることができなかった。どうやら、本人にとってそう思われることはいたく当然のことのようである。
既に彼女は、自分の体の異常を知っている。楓は、一か月くらい前から巷で報道されている奇妙なニュースのことを思い出していた。
「私はね……」
氷室が口にしたのはそこまでだった。そこまで口にすると、より一層苦しそうな咳払いをして、寝込んでしまった。慌てて楓はベッドに彼女を乗せ、布団をかけた。
そう、その時であった————七月の東京に、雪が舞い散ったのは。
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