複雑・ファジー小説
- Re: テ・ツ・ガ・ク・ゾンビ ( No.4 )
- 日時: 2017/01/07 21:09
- 名前: 電柱 ◆mkc9J3u9MM (ID: jV4BqHMK)
- 参照: http:/https://kakuyomu.jp/works/1177354054882254138
あとは親しかった者だけで、と、気まずそうに所長が席を外した第1ラボ内。
友の帰還に舞い上がっていたその分、記憶を失っていたことへのショックは大きい。
「まさか、こんなことがあるなんてな……」
千種は深刻な表情で、ぐっとプリーツスカートの裾を握りしめた。
「すまない、私のせいだ。私を庇わせて大きな損傷を与えた上、再生プログラムに誤りがあったとは……」
自分の失敗が情けない。やるせない気持ちでいっぱいになり、いつにもまして険しく、悔しげな哲に、栄瞬は言った。
「……申し訳ないのは、俺の方だ」
無表情の中に自責の念をたたえ、栄瞬は続ける。
「俺はこんなにも慕われる人物だった覚えはない……ここにくる前……軍にいたとき一度死んだのも、俺が人の心がわからなかったせいだと、一度記憶も何もかもリセットされた今なら分かる。お前たちは、そんな俺にもきっと優しかったのだろう……」
栄瞬は、栄瞬が記憶を失っていると気づいた瞬間の、哲の今にも泣き出しそうな絶望的な表情を見たそのとき、記憶を断片を拾っていた。
『あなたのような人のもとで、命を捧げろと? もう、いい加減、ふざけないでほしい……やってられませんよ』
『アイツは冷血な鬼野郎だぜ。俺たちなんて、出来損ないの使い捨てとしか思ってねーんだ』
逃亡する兵士。
終わらない戦場。
鼓膜を裂きそうな爆発音。
一人、また一人と息絶えて。
底を付いてしまいそうな物資。
『兵士たちがいうように、たとえあなたが心のない鬼だとしても、私はついていきます、泥濘大尉』
絶対の信頼おく、右腕と言える部下のその言葉は、安堵とともに、やはり自分は冷徹な人間なのだという深い傷も残した。
その部下も、栄瞬を庇って死んだ。人間の命とは、実に呆気ないものである。
『彼は何のために生まれてきたのだろう?』
『少なくとも……俺を生かすためじゃなかったハズだ』
トランシーバーから流れるのは、栄瞬の隊の、任務失敗通知。『全滅』と繰り返される無機質なその音声は、栄瞬たちはもう死んだものとして、捨てるということに他ならない。
そんな知らせを聞きながら、栄瞬はつぶやいた。
拠点はもうゾンビたちに包囲されている。侵入してくるのもそう遅くはないだろう。
栄瞬にはもう、ゾンビたちを迎え撃つ手段も、その気もなくーー
「お前たちの期待を裏切ったこと、記憶がない俺では、きっとお前たちの力にはなれないことーー本当に、すまない」
奥歯を噛み締める栄瞬、黙ったままのアキレスと哲、何も分かっていないであろう、頭上に?を浮かべ続けるパブロフ……
重々しい空気に耐えかねた千種は、自身もそうとうショックを受けてはいるが、それでも、無理に明るく、話題を切り替えようとした。
「落ち込んでてもしょうがないって! ほら、じゃあ1から説明しなきゃだろ?? 私、ここじゃ一番新入りだし、後輩できたみたいで嬉しいよ!! うん! ほらっ、哲! リーダーだろ、しゃんとしろよっ!」
どん、と鈍い音をたてて、小突く、というにはだいぶ強く、千種は肘で哲の脇を突いた。
「ってぇ! な、なんだよ……ったく……まあ、そうだな、くよくよしてても、な……」
やっと前を向いた哲に、千種は安堵する。
「……じゃあ、ひとまず、この組織? については、所長から聞いたよな?」
「あ、ああ。今でも正直信じがたいが……このゾンビパニックの収束のために、哲学的ゾンビではなく、本当の人間を探しだし、再び人間がこの日本を統治できるようにするためのそ組織だ、と……しかし、所長から受けた説明だけでは、俺たちがなんなのか、何と戦っていたのかははっきり分からない……元、哲学的ゾンビ? だと聞いたが」
ああ、そのとおり、と哲は腕を組んで満足げに頷く。
「本当の人間は、この日本に……いや、世界にほんの一握りだと私は結論を出している。そして、今暴れ回っているゾンビどもは、ウイルスに感染した元哲学的ゾンビどもだ、と」
「じゃあ、俺が戦っていた彼らは……?」
「そう、全員クオリアを……意志を、感覚を、患者を持たない生きる屍、ということだ。よって、罪悪感を感じる必要はない。まあ、君は元軍人だし、大丈夫かもしれんがね」
「私はその事実にだいぶ救われたよ。ああ、人殺しになんなくてすんだんだ……ってな」
千種は、はぁーっと息を吐いて言った。
栄瞬は、哲を金色の瞳でじっと見つめて問う。
「では、人間が感染したら……?」
「それが、私たち学者だよ」
「サイキック……」
栄瞬は、所長からの説明でも何度か聞いたその言葉を反復する。
「学問の力を持つ者。そして、ゾンビに対抗できる、唯一の新人類。一度死に、ゾンビウイルスに感染した者で、各々が何らかの特殊能力を持っている。ゾンビどもと同じく、脳を破壊されねぇかぎり、二度目の死を迎えることはない」
「なんだと? それなら、俺たちも、なんら奴らと変わらないじゃないか!」
栄瞬はあからさまに顔をしかめた。
哲は冷静に答える。
「ああ、そうだ。クオリアどうこうはおいておいて、アキレスなんかをみるとおり、身体的にはほとんど変わらねぇ。ただ能力があるかないか、だ。だからいってるだろ? 私たちはあくまでゾンビなんだってな」
まだ納得しきってはいないようだが、なるほど……と、栄瞬は引き下がった。そして、アキレスとパブロフをちらりと見て、遠慮がちに次の問いを投げかける。
「……では、彼らは……なぜ、その……そんな外傷が酷いんだ」
「ああ、これは、僕らに宿る能力の違いですよ」
アキレスがにこやかに答えた。ひ、と、栄瞬が顔をひきつらせる。にこやか、とはいっても、アキレスの傷だらけの顔では、完全にホラー映画のそれだ。しかし、栄瞬の恐怖の対象はそこではないらしい。
「……虫は、あまり得意ではない」
アキレスは、一瞬きょとん、としてから、ぷ、と笑いを漏らした。
「ああ、そういえば、師匠は虫がお嫌いでしたね、スミマセン」
アキレスの顔で一番目立つ、左頬のおおきな傷。そこや口からは、時折うねうねとしたウジ虫が顔を覗かしているのだ。軍帽で傷はかくれているが、頭からはとめどなく血が流れている。
パブロフはパブロフで、肌は青白く、身体中包帯ぐるぐる巻き、手錠や足枷の痕が痛々しく、頭には大きな刃物が刺さったままである。
一方で、哲や千種、所長は、ほぼ無傷である。
「い、いや、いいんだ、俺のことは……で、能力の違いとは?」
「ん? ああ……ええと、な、能力は、3種類に分かれているんだ」
そういって、哲は指折り数えていく。
「哲学、数学、心象実験……だ。哲学は生前の外傷も、ゾンビになってからも塞がる。数学は外傷が塞がらない。心象実験はまた特殊で、実はこいつらのクオリアは後付けなんだ。人体実験の産物ってやつ」
「では、このなかだと……」
「パブロフだな。以前は哲学的ゾンビだった。しかし今はクオリアがある……見たとおり、完璧ではないがね」
「なるほど……」
栄瞬はパブロフをしげしげと眺めた。この狂犬のような彼は、昔は哲学的ゾンビだった……納得するような、信じられないような、そんな気持ちだった。
「さて、こんなもんかな……質問はあるか?」
「大丈夫だ、いまのところ」
その返答をきいて、よし、と、哲は手を打った。
「じゃあ……改めて、自己紹介といこうか。私はここのリーダー、学屋 哲。『哲学的ゾンビ』のサイキックだ。クオリアを宝石のように物質化して取り出すことができる。真骨頂はそこではないのだが……それはまたの機会で。あと、仲間に思われるというか錯覚させられるから、ゾンビに襲われず歩くこともできる」
次に、ハイ! と、千種が元気に手を挙げ立ち上がった。
「次、私! 私は道明 千種、17歳の女子高生……だった。うん。能力は、『バター猫のパラドクス』。ネコは必ず足をついて着地する、バターを塗ったパンは、バターを塗った面を下にして床におちる……なら、ネコの背中に、バターを塗った面を上にしてパンをくくりつけたら、床に着地せず、延々と廻り続ける……っていう、永久機関を提示したパラドクスなんだけどさ。そのパラドクスのとおり、私は廻り続ける永久機関を作り出すことができるってわけ。改めてよろしく!」
早口で言い終えると、千種はぼすん、とまたソファに腰掛けた。
「あ……では次は僕が。僕は本名を覚えてなくて……アキレスっていいます。師匠の弟子です。師匠は戦い方とか、色々教えてくれていたんですよ。名前は能力から取りました。『アキレスと亀』という数学です。亀がスタート地点を出発し、a地点を通過したとき、アキレスはスタート地点を出発する。アキレスがa地点にいるとき、亀はb地点にいる。アキレスがb地点にいるとき、亀はc地点に……というように、永遠にアキレスは亀に追いつけない、という話です。このように、僕は相手との距離を操ることができるんです。どれだけ必死に走っても、敵は永遠に僕に追いつけないんですね、ええ。ああ、これは師匠が考えてくださったんですが、その追いかけられてる間に、鉄砲でバーンってやっつけてしまうんです。師匠は本当に……」
「アキレス、アキレス! そこらへんにしとけ、日が暮れる」
アキレスはハッとして、すみません……と縮こまった。あまりヒートアップするな、と哲はアキレスをたしなめつつ、困ったように、横目で狂犬を、パブロフを見た。
「あー、ええと、パブロフの分は……」
自分の名前が呼ばれた瞬間、パブロフはばっと上体を起こして叫び始めた。
「おれ! パブロフ、の、いぬ、みんなえさ、たべる、おれ! えさ!!」
すかさず、アキレスがパ興奮状態のパブロフを、また栄瞬を押し倒して襲ったらたまらない、と、よしよししてたしなめる。
「あ、彼はパブロフ君です。こんなですけど、まあ、ただのわんこです、わんこ。能力は『パブロフの犬』。犬に、ベルを鳴らしてエサを与える。それを繰り返していると、犬はエサをもらえずとも、ベルの音を聞くだけでよだれを垂らすようになる……という実験です。彼は、ベルをならすと、見たものをエサと認識し、犬としての彼の力を100%までひきだし、補食します。僕らなんか、たとえ師匠でも比にならないほどのパワーなんですよ」
よしよし、よしよし、と、とても嬉しそうにパブロフを撫でるアキレス。栄瞬はそれを見て、軍人だった自分にはこんな戦友はいなかった……と、微笑ましくも少し寂しい気持ちを覚えた。
「と、まあ、私たちはゾンビと戦っているわけだ」
「ああ……よくわかった、感謝する」
「栄瞬……泥濘栄瞬」
哲は、立ち上がって、栄瞬に握手を求めた。困惑しつつも、栄瞬も、ゴツゴツとした武骨な手を差し出す。すぐさま、ガシッとその手を握った哲は、キッとした表情で栄瞬を見つめた。先程までの気弱な表情はもうない。
「栄瞬が記憶を失ったと聞いて驚いたし、悲しくも思う。しかし、それでも……それでも! この私が、栄瞬の盟友ということに変わりはない! たとえ君が君でなくても、一生をかけて共に戦おうと、そう誓ったことは覆らない! 泥濘栄瞬、共に戦おう!」
記憶を失っていようと、栄瞬にはハッキリとわかった。
『ああ、この彼は……俺の半身だ。
この安心感、信頼できるという思いに、俺は何度も救われてきたんだ……』
「世界を、救うぞ!」
栄瞬は、力強く返事をする。
「ああ、もちろんだ!!」