複雑・ファジー小説
- Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.1 )
- 日時: 2018/03/24 02:40
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: J/gUjzFh)
『土砂降りレイニー』
「伊織って奴を犯したい」
「——はあ?」
目の前の友人が目を丸くして、僕を見る。その視線に気付いてはいるが、素っ気なく、手元の携帯に目線を移した。何も今すぐにという訳では無いのに、驚きすぎだろう。
「てか伊織って誰?」
熱々の鉄板に載るハンバーグを切りながら尋ねる友人に、「再婚相手の子ども」とだけ説明する。父さんが幸せならいいよとは言ったものの、まさか連れ子がいるとは思っていなかった。
少し困ったように唸る友人に、携帯に保存されていた伊織の写真を見せる。どうしたらこんなに差ができるのか。精巧な人形のように整った男が、無愛想に写っている。
「幸太よりかっけー」
「当たり前。外人の血入ってるらしいよ」
「ハーフかっけー」
クォーターだけどね、なんて言葉は伝えるのをやめて、携帯に視線を戻した。わざわざ伊織の事を伝えてやる必要も無いし、伊織のことを誰かに話したいとも思えない。
リスみたいにハンバーグを頬張る友人は、既に伊織の話に興味はないらしかった。食欲の湧かない僕のハンバーグも食べる友人を見て、グラスに入ったコーラを飲み干す。
「俺さ、お前のこと幸太って呼ぶのやめようか?」
唐突なその申し出に、ピタリと動きを止めてしまう。
「お前さ、幸太って呼ばれんの嫌だべ?」
「あー……」
僕の曖昧な返事に、友人はやっぱりなと笑った。まさかバレているとは思わなかった分、相手から言われた事に動揺してしまっている。バレた原因は分からない。
「真弘に呼ばれるのは、まあ、別に何ともない」
口をついて出たのは、嘘だった。出来ることなら名前を呼ばれたくない。僕自身は相沢幸太であるのに、相沢幸太であることが間違いのように感じられてしまう。そんな深いきっかけをきっと真弘は知らない。
真弘は軽く返事をした程度で、深く聞いてくることはしなかった。昔から変わらない、いい奴だと思う。真弘以上に僕を理解する人は誰もいない。
「犯したいって、どういう意味合い?」
数口で大きなハンバーグを平らげた真弘が、じっと僕を見た。
「野郎のケツを掘る趣味はないよ」
「だよな」
僕はそもそもゲイじゃなければ、そういう性癖があるわけではない。安心したような真弘は水を一口飲む。同じように、僕も口に水を含んだ。思っていたより、口の中は乾いていたらしい。
ぼんやりと雨が止みつつありそうな窓の外を見つめる。少しずつ傘を差さないで歩く人が増えてきているようで、もうファミレスで時間を潰す必要は無いように感じた。
「行くべ」
「ん? おー」
大して中身の入ってないカバンを背負い、レジへ向かう。伊織からきていた連絡は、無視することにした。あいつは、僕が嫌ってることをしらないのか。
それぞれで支払いを済ませて店から出て、そのまま別れる。真弘は年上の彼女と会うらしい。僕はすることも無いから、まっすぐ帰路へつく。そういえば明日提出の課題があったなと、水溜りに足を突っ込んで気が付いた。
止んでいたはずの雨は家に近づくほど勢いを強め、靴だけ濡れていたはずの僕は、全身水浸しになってしまった。素肌にワイシャツが張り付く何とも言えない気持ち悪さに、舌打ちがこぼれる。
照れ隠しなのか、太陽が厚い雲に隠れるせいで、水に打たれた体はすぐに冷えていく。身震いと同時に出たくしゃみ。あと少しの道のりが、いつもより遠く感じた。
「……ただいま」
周りの家より、少しだけ綺麗な我が家の扉を開ける。母さんが買ってきた芳香剤は、いつもと変わらない香りで僕を迎えた。父さんに僕の好きな香りをリサーチしたらしいが、柑橘系であれば何でもいい。
びしょ濡れになった靴と靴下を脱ぎ、ぺたぺたと床を鳴らしながら洗面所に向かう。制服をすべて脱ぎ、干してあった部屋着を着る。
「おかえり」
「……ん」
移動したリビングで、勉強していた伊織と目が合った。分厚い参考書と、もう残り少なくなっているノートは、常に努力を惜しまない姿が投影されているようで、気持ちが悪い。
「風呂沸かせたから、濡れてんだし入れば」
メガネを指で押し上げながら、ぶっきらぼうに伊織は言う。うっすらと感じた汗のにおいと、ベタつく肌に、大人しく再び洗面所に向かった。
着ていた服は洗濯機に投げ入れ、風呂場に入る。少し居心地の悪さを感じる湿気に、息を吐き出した。伊織は僕の悪意に気が付いていない。僕しか知らない悪意は、ひっそりとその姿を大きくしていく。
伊織はしこりみたいな奴だ。知らないままでいられたら、何も感じない。けれどひとたび存在に気が付いてしまえば、鬱陶しさすら感じる。伊織並に嫌った人間は、今のところいない。
湯船の湯をかぶってから、湯の中に体を沈める。少しぬるめで、父さんが好きな温度だ。きっと今日も仕事に追われてるだろう父さんを思えば、今の暮らしに我慢もできる。
「幸太、母さんが今日ご飯食べに行かないかって」
曇ガラス越しに話しかけてくる伊織のぼやけた姿を捉え、気付かれないようにため息を飲み下した。
「父さんどうすんの」
「義父さんも仕事終わったらしいよ。今二人でいるってさ」
父さんとご飯が食べられること自体は嬉しいが、そこに他所の人間がいるという事実に、ため息が漏れそうになる。父さんにとっては僕も伊織も大切な子どもなのだろうけど、僕からしたらただの余所者でしかない。
急にやってきて、僕の母と兄という役割を持っていった。僕の母さんは、たった一人しかいないのに。
「……分かった。すぐ出るから」
「分かったよ」
伊織の姿が見えなくなったのを確認して、浴槽からあがる。いい加減に髪と体を洗い、風呂場から出た。ご丁寧に用意されていたバスタオルに嫌な気持ちになるが、新しいものを出すのも面倒なのでそれを使う。
鏡越しに見る自分の姿は、想像よりも色が白く、いつ消えてもおかしくないような漠然とした不安に包まれていた。生気が宿っているとは言いきれない顔をして、辛そうに日々を消化しているんだろう。
それもこれも家族が増えたせいだ。そう思い込んで生活しているからだろうか、こんなに日々がつまらないのは。お互いを親子だと、兄弟だと思うことができれば、こんな悩みも生まれないのだろうか。
火照った体に水を浴びせる。この燃え上がるような気持ちも全部、熱を帯びていた体と同じように冷えてしまえばいい。そして今よりもずっと、居心地よく過ごすことができたら、父さんも余計な心配をしなくて済む。リビングの方から聞こえた自分の名を呼ぶ声に返事をしながら、浴室から出た。