複雑・ファジー小説

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.6 )
日時: 2018/03/28 07:38
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: J/gUjzFh)

 反射だった。目が合ったと理解した瞬間、僕は隣に座る春輝を見た。話の続きだったからだろう、春輝は訝しがることもなく同じ話題で話をする。それどころではない心境だったが、無理をして春輝に話を合わせた。内容は入ってこないけれど、それは仕方がないことだった。成長した被害者に会うと、こうも罪悪感に苛まれるものなのか。何もしていないのに、背中とTシャツが張り付く、そんな不快感を味わう。
「こーたー、チェーンジ!」
「春輝と幸太早く出れー、奈良間と休憩すっから」
 春輝との会話をどう切り上げられるか考え始めたところで、額や首筋に汗をかいた奈良間と真弘が戻ってくる。奈良間は脇毛が見える寸前まで袖を捲り上げ、それでも足りないというように、襟元を摘んで服の中に風を送っていた。真弘も普段通りの様子で声をかけてくるが、額も首筋も汗に濡れている。コートを見ればクラスメイトが手招きしていて、行かなくてはいけない空気になっていた。
 仕方なく春輝とコートに行く。相手のチームに大畠はいないが、現役のバスケ部が二人いるという、なんとも初心者には優しくない編成だ。負け戦にはさせないと思いながらも、鳴らされたホイッスルと共に飛び出すことは出来なかった。

 汗だくのまま教室に戻ってきた男子一同に、女子は冷ややかな視線を送ってくる。体育の授業でのかっこいい姿に夢を見ているのか。真弘は近くの女子に制汗スプレーや清涼剤を借りている様子だった。気付けばいつも真弘の様子を追っていると自覚し、気持ちわりぃと心の中で愚痴る。
 制服を着に行く女子や帰ってきた女子達の流れをぼんやり見て、教科書や他の荷物をまとめる。今日は大事な先輩との予定がある日だった。高体連の前だったが、時間を作ってもらっていることが嬉しくもある。
 制服は雑にカバンに放り込み、スパイクを持って急ぎ足で玄関へと向かう。ジャージで帰ることを見越して履いてきた白のハイカットスニーカーに足を滑り込ませ、上履きを下駄箱へとしまう。このまま自転車で駅に向かえば、予定より早く着くはずだ。イヤホンを挿し、アップテンポのナンバーをかける。——教えてよねえ、言えないまま飲み込んだ言葉の行方をさあ。
 背中が冷たい。片側に流れる前髪が坂道を下る最中、風に従って後ろへ流れる。広い路側帯の真ん中を突っ切り、点滅する青信号にぎりぎりでエントリーする。バスケ終わりの太腿は疲れがピークに達し、緩いアーチのてっぺんから足を放り出して風を受けた。駅までの直線、ちょうど青信号になった五つの信号機と戦うために、一度大きく深呼吸をしてハンドルを握り直した。

 足にうまく力が入らない中で切符を買い、予定より早く着く電車に乗り込んで、大きく息を吐いた。冷房が一気に体の表面の熱を冷やしていく。家の最寄りを越え、街の方へと向かう。キオスクで買った焼きそばパンを麦茶で流し込みながら、流れていく風景をぼんやりと眺める。吹きっさらしを通過し終えると、少しずつ住宅やビルが多くなった。こっちと比べりゃ、海暝は田舎だなぁとぼんやり思う。
 去年の秋頃だろうか、ファミレスで奈良間が愚痴っていたことを思い出す。海暝が田舎だの民度が低いだの言うけど星学も荘王も田舎だし馬鹿もいんじゃん、つーか俺らのこと下に見てないでおめーらの学校の中で上見とけよな。前日奈良間は姉に馬鹿にされたらしく、数日ほど機嫌が悪かったなぁ。星学——私立箔星高等学園——へ向かう度、そんな話を思い出した。民度が低いと言われることはあるけれど、それでも社会の常識やモラルを破る奴はいないのに、勝手なことばっかり言われて腹が立つというのが僕と春輝の気持ちだった。真弘は笑っていた、お前が怒れんのは海暝愛が強いって証拠じゃねーの。いいことじゃん、と。その姿がいやに大人びて見えて、その話題は流れた気がする。
 気が付けば曲はいくつも進んでいたようで、目的の駅まであと数分。他人の話し声や音漏れを耳に入れないように、二つ、音量を上げた。密閉型イヤホンから流れる曲に集中する。曲を支えるベースとドラムの音を探していたら、嫌な事も忘れられる。
 そろそろかと、席を立ち扉の前に並ぶ。相変わらずこの駅で降りる人は多い。学生らしき姿の人は僕くらいしか居らず、少し不安になる。切符をポケットの中で手に握り、流れに乗って電車を降りる。我先に降りようとする人が割り込み、エスカレーターの右側を駆け足で降りていく。その様を少し見つつ、携帯を開くと約束の人から、東改札口とメッセージが届いていた。エスカレーターを降り、掲示板を確認しながら目的の改札を抜ければ、その人はいた。
「大輝さん! ちわす!」
「久しぶりだなー幸太、昼飯食った?」
 まだ初夏と言うのには早い時期であるが、大輝さんの肌は浅黒く、駅にいるどの人よりも日焼けしているように見える。自分も平均身長より五センチほど高いが、大輝さんはそれよりも高く、体格もいい。さすが全国常連の砲丸投げ選手だなと、感心してしまう。
「昼飯は食ったんで、今日もよろしくお願いしゃす」
「おう」
 背中を強く叩かれ、小さな呻き声がもれた。大輝さんは気付いていないのか、そのまま大きな歩幅で歩いていく。その横に並んで歩き、星学を目指す。陸上用トラックが使われなくなって何年も経った海暝の生徒は、練習で星学へ行くことが多い。最近赴任された元星学教諭の計らいとの事だったが、元がやる気のない集まりだったため、今も星学で練習するのは僕と、この場にいないもう一人くらいだ。
「お前そろそろ肌も焼いてったらどうだ?」
「え、勘弁してくださいよ」
 なよっちいと言われたりもするが、夏になれば自然に黒くなる。
「俺はほら、ほどよいってやつで良いんで」
「何がほどよいだよ」
 いい加減なやり取りをしていれば、すぐに目的の場所——私立箔星高等学園——が見えてきた。住宅街から少し離れた位置にある、大きな学校。この学校を象徴するものは、大きな時計塔と、その南側に示された大きな銀の文字盤、東側に施された大きな校章。一見主張が激しく感じられるけれど、星学に通う生徒は皆堂々としているように見えるから、生徒のらしさすら演じていると思えば、絶妙に周囲とマッチングしているような気がする。マッチングというかなんというか、ただ海暝には出せない雰囲気があるのはたしかだ。

「大輝さんさ」
「ん?」
「もしかしなくても、俺にこれやらせようとしてたでしょ」
「気のせいだろ」
 そういう大輝さんは意地悪い笑みを浮かべ、芝に座り込んでいる。周りの陸上部員から向けられる哀れみにも似た視線。今両手に持っているのは女子用の砲丸で、トラックの端にある砲丸投げの練習場で立たされている。砲丸投げは今ままでほとんど触れてこなかった。たまたま顧問がいないから、たまたま部員の集まりが悪いから、そんな時にたまたま僕が来たから。そんな理由だけで、僕は今砲丸投げをやらされそうになっている。
 部長がいないせいで、楽しい事大好き人間佐藤大輝が暴れているのだ。大輝さんが副部長だなんて由々しき事態であると言えるけれど、実績と人となりだけを見れば納得はできないにしろ理解はできる。二年生の時から副部長になるほどすごい人であっても、こうして僕みたいな他校生に無茶振りをする人は適していないだろ。そう思いながら、先程砲丸投げをした生徒の見様見真似で構えをとる。
 女子用だとしても特別筋力トレーニングをしているわけでもない僕の腕は、少し悲鳴をあげていた。小さな円形の、今の僕が動ける唯一の範囲。この狭い範囲で自分の最大限の力を出す。トラックのレーンよりも閉鎖的な空間は、普段は感じない緊張感を僕にもたらした。意地悪そうに笑う大輝さんの「いいぞー」との声に、一度深く呼吸をする。仕方ないと覚悟を決めて、空に、重たい砲丸を投げ出した。