複雑・ファジー小説

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.7 )
日時: 2018/04/12 22:44
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: sPkhB5U0)



「つっかれた……」
 今日の練習を一言で表すなら、過酷、だろう。星学が誇る表彰台ゲッターは体力バカで、それを他人にも強要して、強要した本人もこなして、一緒になって汗を流して楽しむ。どう足掻いてもこの人はバカだ。そんなバカみたいな人に触発される自分も大概だけれど。部員のほぼ全員が芝に寝転がっていて、立ち上がろうとする人は今のところいない。立ったままでいるのは、終了時間ギリギリに来た部長くらいだ。
「楽しかったべ?」
「バカじゃん大輝さん……」
 楽しそうに大口開けて笑っているが、この人は今さっき部長に怒られたばかりだ。ざまあない。
「いつまでも座ってないで、みんな帰んなー。大輝は居残りで日誌書きなさいよ」
 その部長の言葉に、部員達はだらだらと部室へ向かって歩いていく。
「じゃーね大輝さん、今度はちゃんと砲丸してるとこ見っから。したっけねー」
「おう、またな」
 大輝さんにそう言い、部長に会釈をして部室前のベンチへと向かう。肩と背中が少し痛い気がする。慣れない筋肉は使うべきじゃなかったと思いもするが、星学陸部達との距離が少なからず縮まった実感もあるから、大輝さんは全部悪いという訳ではない気がした。副部長のくせにバカすぎるけど。制服に着替えて出てきた部員達に挨拶をしつつ、荷物を持って校門を出た。
 オレンジ色の街灯が、まだ夕方にしては明るい道を照らす。耳にイヤホンをつけ、たまにはとアイドルの楽曲を再生した。奈良間が姉のせいでハマらさったと言っていたアイドルに、僕と春輝はすぐに魅了された。魅力的だった、何もかも。真弘は興味ないと言っていたけれど、今日のこの番組に出るらしいぞと教えてくれるあたり、素直じゃないだけなのだろう。
 曲が最後のサビに差し掛かる頃、駅につき、電車の時間を確かめるため改札上の電光掲示板を目指す。途中のドーナツ屋は大半が女性客らしく、楽しそうに笑う人達がいた。特有の甘く、食欲をそそるにおい。部活の後でさえなければ買って帰っていたが、今日は体力バカのせいで疲れすぎた。食べることよりも、早く汗を流して眠りたいという欲ばかり出てくる。時刻は七時をまわる頃。あと5分後に出る電車に乗るため、ホームへ向かう。みどりの窓口で駅員と話す外国人やキャリーケースを持つ人も多く、羨ましさを感じる。いつものメンツで遠出するのもありだな、美味しい海鮮とか。重たい脚を上げ、そこそこの段数をのぼる。段数が特別多い訳では無いけれど、部活後の疲れた体には辛いものがあった。
 電車に乗り込むとすぐに扉が閉まる。その扉に寄りかかり、足の間にかばんを下ろした。混む車内で、幸せそうな四人の星学生徒が見えた。アイドル達のデビュー曲を聞きながら、その四人を目で追う。何を話しているのかは分からないけれど、きっとカップルなのだろうな。星学の制服は、少し大人っぽさもある分、自分のとことは違う。制服ではなくて良かった。奈良間の姉も星学だが、星学でも海暝の悪い噂は流れているらしいから、不必要に怖がらせることもないだろう。海暝はただのバカの集まりなのに。ああ、だからか。運良く快速に乗れたおかげで、行きよりも速く様々な駅に電車が停まる。星学生は空いた席に座り、談笑していた。その奥の空は深く色付いて、鏡のようになっている。ちょうど最寄り駅に着くアナウンスが鳴り、カバンを背負い、扉が開くまで待つ。アイドルのアルバムは二周目の再生が始まっていた。元気づけられる歌詞とメロディに耳を傾けながら、電車を降りた。地元の暗がりが、僕を待っている。


「ただいまー……」
 今日はたしか、父さんの帰りが遅かったはずだった。朝、父とした会話を思い出し、リビングに向かう。晩御飯はカレーライスだろうか。電気だけがつくキッチンに、カバンも背負ったまま向かう。鍋蓋を外すと、具材が大きく切られたカレーライスが入っていた。色的に辛口だろうか。炊飯器も既に保温状態らしく、どうぞ食べてくれと言ってきているようだ。部活が楽しかったからか、家に帰ってきても心がわくわくしているのは久しぶりかもしれない。階段を上がり、自室に入る。机の横にカバンを置き、クローゼットからパンツとスウェット、オーバーサイズのTシャツを出す。はっきり言って風呂に入るのも面倒くさいほど体が重たい。
 けれど晩御飯のためには風呂を済ませる必要がある。いつも通りの行動をしないと、次の日、体調を壊しそうな気がしてしまう。肩をぐるぐると回しながら風呂場へと向かう。着ていたものを脱ぎさって、タオルとバスタオルを用意する。鏡で見た自分の体は貧相で、筋肉のおかげというよりも、脂肪も筋肉も足りないから腹筋が割れて見えているだけのようだ。ようだ、ではなく事実だろうけど。
 床も壁も白いタイルで飾られた風呂場は、母さんが選んだと昔父さんが言っていた。僕の知らないところで、母さんは面影を残してくれている。哀しい。母さんのことを想って過ごしている事実が、僕に逃れられない哀しさを与えている。嫌な気持ちが湧き上がってくる、冷水に設定し、シャワーを頭から浴びる。冷たい。けれど、母さんに対する、今まで感じたことのないような汚い気持ちが溢れるのは、とまらない。疲れすぎているのかもしれなかった。シャワーを止め、ため息を漏らす。家にいると、息が詰まる。

 湯船に浸かりながら思うのは、父さんが話す母さんのことだった。可愛い女の人だったよと笑って話していた父さんは、本当は泣きたかったんじゃないだろうか。ここ最近母さんの話をしなくなった父さんは、息苦しくないのだろうか。
「ほのかさんって言うんだ。ほら、前に話してた再婚の……」
 嬉しそうだったな。父さんは笑顔で、ほのかさんも笑顔だった。伊織はいい子ちゃんにしていて、なんだか人形みたいだと思った気がする。話に聞いていた母さんと、ほのかさんは真逆な人だった。可愛く活発というより、大人らしく物静かで、物腰も柔らかい女性。ピクニックやドライブが好きだった母さんとは違い、家でのんびりと過ごしたり、庭でランチをするのが好きな人。どっちが良いのかは分からないけれど、伊織も、父さんも、ほのかさんと一緒に笑って楽しんでいた。楽しくないわけではなかったのだと思う。けれど素直に楽しむことが出来なかったのは、事実だった。再婚の後押しは僕からだけでなく、母さんからもあったらしいただそれを割り切れないのだ、僕は。
 今も変わらず、僕はほのかさんが苦手だ。苦手だと理解すればするほど、ほのかさんが嫌いになっていく感覚がする。あの人の目は僕に向けられていない。母さんの思い出が、父さんの心が、全部さらわれていくような、漠然とした不安。
「……腹減った」
 憎いだとか嫌いだとか、そんなチンケな言葉で表せるほど、素直な気持ちじゃない気がする。湯船からあがると、筋肉痛で体が悲鳴をあげた。重たい肩を上げ、頭の先から水分を取っていく。指先はしわくちゃで、真っ赤になっていた。体の熱が落ち着かないまま下着と服を着る。使い終わったバスタオルやタオルを洗濯機に投げ入れ、新しいタオルを首元に巻く。いっそ風呂に入らずに生活することはできないのか。ペタペタ音を立てて歩く。
「あら、お風呂入ってたの?」
「あー、まあ。……飯作ってたんすね」
 リビングでくつろぐ母親に、僅かに言葉が詰まった。帰宅して時間が経っているのか、仕事着であるスーツを脱ぎ、シンプルな白のパジャマを着ている。父さんと色違いのパジャマだろう。ほのかさんと結婚してから、父さん達はペアグッズを持つようになった。
「紀貴さんがね、幸太くんはカレーライスが好きって聞いてたから、頑張ってみたの」
 そうして、柔らかく笑う。