複雑・ファジー小説

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.8 )
日時: 2019/03/27 21:28
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: /AtcWqBj)


「ああ……だから」
「ええ、少し具材も大きく切ってみたのよ。もうすぐ伊織も帰って来るから、幸太くんも一緒に食べない?」
 首筋から滑る水滴が、Tシャツに湿る。一瞬何も考えられなくなった。
「……やることあるんで、先食います。洗い物は済ませるんで」
 寂しそうに笑ったほのかさんに、胸がちくりと痛んだ。どうしてこの人からの好意を受け取ることができないのか、まだ分からない。戸棚から皿を出し、白米を盛りカレーをかける。いい匂いがした。ほのかさんも言っていた通り、具材は大きく切られている。ほのかさんが来た当初は、一口大に切られた具材がたくさん入っていた。それを美味しそうに伊織は食べていたし、父さんだって笑顔で食べていた。
「うま」
 空腹は最高のスパイスと言われる所以が分かる。カレー美味いしか考えられない。大きなじゃがいもをスプーンで切り、食べる。カレー発明した人に将来的になんか貢ぎたいレベルでカレーが美味い。ほのかさんの手前静かに食べるが、気持ちの上ではダンスが止まらない。美味いぞカレーライス。大輝さんのせいで体が痛いのもどうでも良くなるほど、カレーが美味くて仕方ない。あっという間に空になった皿をシンクに持って行き、洗い物を済ませる。
 美味しかった。久し振りにほのかさんの作った食事を食べた気がする。リビングで音楽番組を見るほのかさんは、ちょうど奈良間が好きだと言っているアイドルを見ていた。心の中で美味しかったですと伝え、部屋へ向かう。

 椅子に座り、引き出しから一つ手紙を取る。今まで返事が出せずにいた、朝比奈への手紙。随分前に貰った手紙も捨てられず、返事も出せずに置いていたものを今になって出した理由は、特になかった。大畠を見たからかもしれない。あの瞬間、確かに目が合った。目が奪われる感覚だった。あの感覚は、人生でたった二回しか味わったことがないくらい、稀有で心に強く残るものだったように思う。
 大畠は変わった。身長はもちろんだが、人と屈託なく笑っていた、あいつは。雑種と呼ばれていたあの頃からは、考えられないほど眩しかった。二枚目の便箋に手を伸ばした時、カバンからメッセージの通知音がする。奈良間がテレビを見て騒いでいるのかもしれないと想像するだけで、面倒くさいが、笑みがもれた。
「んーと、あった——?」

 大畠暦さんがあなたをグループに招待しました。

「は?」
 思わず声がもれた。携帯をいじっていない手は自然と口元を隠す。なぜ、大畠が僕のアカウントを知っている? 誰だ教えたのは。拒否するか悩んでいると、奈良間から通話の呼び出しが鳴った。まずは落ち着くべきだと、すぐさまその通話に出る。
『おーっす! 見たかMysherry! すっげー可愛かったよな! もうまじで乙葉可愛すぎてアップ来るたび死んだわ』
「俺飯食ってたから見てねーけど、可愛かったのは伝わった」
 鼻息荒く、いやー可愛かったー! と繰り返す奈良間に、いい加減な相槌を返す。
「それだけのために通話かけてきたのか?」
『ちげーよ、俺そこまで暇じゃねーからな! これからMysherryのライブDVD見んだよ! あ、そうそう伝えたかったのは、大畠がお前のアカ知りたがってたから教えたからな。連絡行ってるかも』
「お前明日覚えてろよ」
 何か言いかけていた奈良間を遮り、通話を切る。バカなのかこいつ。けれどこの大畠は、あの大畠だと決まった。どうしろっていうんだ僕に。グループのメンバー欄を見ると、僕と大畠以外に、あーちんという名前があった。大畠の友人だろうか。見覚えのないアイコンで、それも人ではなく風景であるため、見当もつかない。大畠の友人だろうか。拒否する選択もあった。けれど僕の指は、少しの躊躇いの後、参加ボタンをタップする。
 緊張しているのか鼓動が早くなった。他にやる事はあったが諦め、ベッドに寝転ぶ。あーちんの一言やホーム画面、タイムラインを確認していると、通知音が鳴った。それは大畠からであり、仰向けでそれを見た僕は、キーボードの打ちやすいうつ伏せになる。
『こんばんは』
『こんばんはー。幸太くんだよね? 中学一緒だった大畠だよー』
『奈良間から聞いてる。急に何? 高校で大畠に関わるつもりないよ』
 既読1と表示されるまま、僕は大畠とやり取りを続ける。画面越しの大畠が何を考えているのか、まだ分からない。もし僕が真弘にこの事を話せば、真弘はまた大畠に対して何かするのだろうか。違うなと、そう思った。真弘は自由人だ。自由人が持て余した暇を潰すために、当時の大畠は使われた。そこに大きな理由はない。僕が何かされようと、そもそも僕は人に話さないじゃないか。自分の中で大切に育てた悪意は、誰にも見せないうちにきっと僕は処分している。その処分の仕方は、僕自身知らないけれど。
『突然なんだけどさ』
 メッセージ欄に、何、と打ち込んだところで、大畠から次のメッセージが飛んでくる。

『幸太くんさ、俺達の復讐に協力してくれない?』
『俺達は井口真弘に復讐するつもり。達っていうのは俺とあーちんね』
『俺の中学時代を壊した井口真弘と、あーちんの青春を踏みにじった井口真弘に復讐する』
『幸太くんだって思ってたんじゃない? どうして真弘は俺を雑種って呼んでるんだろうって。女を取っかえ引っ変えしてる理由はなんなんだろうって。違う?』

 返事をする間もないほど、連続で送られてくる大畠からのメッセージは、そのどれもから真弘に対しての怒りが滲んでいるように見えた。真弘への仕返しを復讐と呼んでいることに、背筋が冷える。大畠からのメッセージは止まらない。当時の真弘が抱いていたであろう悪意、人となり、行い、性格、発言。その全てを否定し、真弘の隣にいた僕を、大畠と同じ被害者だと言うのだ。だって幸太くんは、僕のことを気にかけていたでしょう、と。
 その一つ一つにメッセージを送ろうとしたけれど、大畠が吐き捨てるように送ってくるメッセージを見ていると、僕が真弘に対して何を思っていたのか、今真弘に何を思うのかが分からなくなってしまった。友情はいつまでも不滅、なんてくさいことを話した事はないけれど、友情が揺らぐことはないと思っていた。
『幸太くんさ』
 それからメッセージを送ってこない大畠に、何、と返事をする。尋ねなくても、何を言われるかなんて本当は分かっていたと思う。
『一緒に復讐しようよ』
 心臓が掴まれた感覚がした。僕が思いついていた提案。心臓が早鐘を打つ。携帯を持つ手が、じんわり、熱を帯びた。復讐という言葉が理解できないまま、指先が震える。息が荒くなっているのが自覚出来た。僕が、大畠と、何のために。僕には真弘に復讐する理由がなかった。
『しないよ。真弘は友達だから』
 必死に打ち込んだ言葉を送信し、携帯をベッドに置く。大畠はたしかに変わった。あの頃の、真弘に雑種と呼ばれ、下に見られていた頃の大畠はいないんだと思い知らされた気分だ。僕にはそれが裏切りのように思えてしまっている。大畠に嫌がらせをしていたのは真弘だ。そして僕は、助けてと懇願するような目をしていた大畠を、見ない振りしていた。
 どうして。自分にそう問いかけるが、答えは出てこない。僕はどうして真弘と一緒になって、大畠を遠ざけたんだろう。あの時の僕が大畠をどう思っていたのか、それすらも思い出せなくなっていた。想像でしか昔の自分を語れない。仰向けに戻り、瞼を閉じる。思い出される断片的な記憶から、少しずつ思い出を探していく。
 あの時何があったのだろう。何が始まりだったのかは、やはり思い出せない。容姿が気に食わなかったのだろうと思っていたけれど、本当に僕は大畠の容姿が気に食わなかったのかさえ、曖昧で、事実ではないような気がしてしまう。瞼越しに淡く映る蛍光灯の光に、電気を消さないといけないことを思い出した。朝比奈への手紙は、また今度書こう。起き上がり、携帯に充電器をさす。フォンと小さな音がして、充電が開始されたことが分かった。電気を消し、来た道を戻った。
 ベッドに寝転んでからも、考えはおさまらない。今の僕は、当時の僕を見て、きっと大畠のことが嫌いだったんだろうと考える気がした。事実大畠の事は真弘だって良く思っていなかった。僕だけが大畠を嫌いだと思っていたわけでは、ないのだろう。目を閉じて、何度か寝返りを打っている内に、雨音がしていることに気が付いた。時に雷を連れて降る雨は、時間が経つほど雨脚が強くなっている。
 明日は道がぬかるんで、学校へ行くまでに制服は濡れてしまうだろう。着替えるためにジャージを持って行かなくてはいけない。悶々とした大畠への気持ちを、雨音に消す。思い出した頃に襲ってきた筋肉痛に眉をひそめつつ、遠くにいる睡魔へ手を伸ばした。






 ■土砂降りレイニー 終