複雑・ファジー小説

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.10 )
日時: 2018/05/01 20:21
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: sPkhB5U0)

『爽天シャイン』





 夏が近付いて来ていることを最近よく実感する。朝は風が冷たいと思うが、昼間から夕方にかけてじっとりと全身が汗ばむから。ここ最近はついていないことが多かった。そんな気がする。また今日も冷房が強く効く電車に揺られながら、大畠のあの言葉達が思い起こされた。復讐。子どもっぽくも、たしかな意思があるのだろう。きっとそれなりの覚悟も。イヤホンを忘れて来たせいでお気に入りのアーティストの曲は聞けないし、嫌な事ばかり反芻してしまう。
 停車し扉が開いたのを確認し、一番に降りる。課題も終わらせた今日、朝早くから学校に行く用事は特にない。ただきっと、じっとしていられなかった。自転車に乗り学校を目指す道中も、誰もいない教室の自分の席に座っている時も、なんだか落ち着かない。そういえばと時間割を確認する。ついこの間父さんに参加していいと言われた林間学校まではあと数日。午前授業などの楽な日を含めて、二週間程で林間学校が始まる事実に、ため息がでそうになる。
 大畠に、朝比奈か。復讐を持ち掛けられた日からメッセージは止まらず、大畠がどれだけ真弘を嫌っているか、あーちんが朝比奈であり、その朝比奈も真弘を憎んでいると言っていたのだ。そして二人とも口を揃えて、「幸太だって我慢してるんじゃないのか」と訊いてくる。今朝起きて見た通知にも、同じような言葉が延々と綴られていて、はっきり言って読むのも面倒くさい。早く学校を出たのも、何かしら動いていれば大畠達のことを、忘れられると思ったからというのもあった。無意味だったけれど。

「うおーっす、はよー」
「おーす」
 朝だというのにTシャツが汗で色濃くなっている。奈良間は疲れた無理寝たいと念仏のように呟きながら、自分の席へと向かった。クラスメイトの机に手をついて、重たそうな荷物を机や椅子にぶつけながら。
「朝練?」
 満身創痍という表現が合っているような、疲労で身体が休みを求めているようにも見えた。奈良間は自分の席に乱暴に座ると、大きなため息を吐く。何なんだこいつ。僕の言葉が聞こえていないのか、返事をする気力もないのか、カバンを置いた机に突っ伏したまま動かない。
「奈良間ーなしたんー」
 そう呼びかけながら教室の窓を開ける。梅雨とはまた違うが、雨の続く時期が終わり、湿度による肌のベタつきを感じなくなった分、日中の過ごしやすさは格段に上がった。その代わりに晴れの日が続いているけれど、窓を開けて換気さえしてしまえば苦ではない。三つ前の席で死ぬ奈良間の右隣に座る。この席の女子はいつも来るのが遅いから、八時にもならない時間帯は座っていたって問題ない。
「聞いてくれよ幸太……」
「あ、待って朝飯持ってくる」
 胃が萎むような感覚に、朝ご飯を食べていないことを思い出す。少し荷物は重かったけれど、奈良間くらいしかいない教室で何を食べたって自由だ。これを持ってくる時にはそんな事を考えてすらなかったけれど、いざ使うとなるとそれなりの理由を求めてしまう。静まった廊下を進み、十分な水道水を入れて戻る。奈良間はまだ机に突っ伏したままで、息が苦しくないのだろうかと思った。
「っし。したら準備できたし、何の話?」
「俺の姉貴がやりやがったんだよ……あいつ……許せねぇ……」
「あの綺麗なねーちゃん?」
 一年生の頃、奈良間が姉に忘れ物を届けると言っていたのを、面白半分でついて行った事がある。その時のぼやけつつある記憶の中でも、奈良間の姉は当時高校二年生だったにもかかわらず、美人という言葉が合う人だったと思い出された。身長もたしか奈良間と大して変わらないんじゃなかったっけ。
「たしかに俺の姉貴は綺麗だけど! そうじゃないんだよ! あいつ俺の天使達の円盤にひび入れやがったんだよ! 許されないと思わねぇ? つーかお前何食ってんのもっと俺に親身になって!」
「はは、うるせー」
 奈良間が項垂れている間に作り終えたカップ麺をすする。電気ケトルを持ってきたかいがあった。奈良間には信じられないという目で見られたが、こんな早い時間に教室を巡回する先生がいないのだったら、手軽に暖かい食事を摂ることができるカップ麺を選ぶに決まっている。
「天使達ってあのアイドル?」
 カップの中に箸をさし、ちょうど良い麺の量を調節する。奈良間はか細い声で「そう……」と呟いた。バイト代のほぼ全部を注ぎ込んで、初回生存盤を買っていると言ってた気がした。奈良間は突っ伏したまま荷物を抱え、そのまま額を押し付ける。全身で姉へのやるせなさをぶつけているらしい。
「奈良間のねーちゃんはなんて言ったの、ヒビに関して」
「あいつありえねーんだよ!」
 勢い良く起き上がった奈良間に、思わず肩が跳ねる。情緒不安定にも程があるだろと言いたくなってしまう。
「うわっ……あんたこんなんに興味あるの? 弟がドルオタとかマジキモいだけど、誠也がそこ置いといたのが悪いんだからね。——って言いやがったあいつ! これは戦争! 第二次奈良間家大戦!」
「あー……」
 立ち上がり、そう宣言する奈良間に同情してしまった。弟へのドルオタ発言もそうだが、奈良間の姉は綺麗で口が達者らしい。姉の真似をして、表情を作りながら話していた奈良間が面白かったのは秘密にした。第二次奈良間家大戦というのは何度も聞いており、今回の姉弟喧嘩で、高校で出会ってから第五次は超えたのではないだろうか。
「ありえねぇ……ありえねぇよお……」
「話聞いててやりたいけど、ちょっとお湯と汁捨ててくるわ」
 食べ終えたカップ麺を持って教室を出る前、「汁は飲めよ!」と声が聞こえてきたが無視だ無視。ちらほらと遠くから話し声が聞こえたりもするが、二年教室に来ている学生は少ないみたいだ。じゃあなバリカタとんこつ、そこそこの味だったぞ。白濁とした汁を流し、口をゆすぐ。家で歯を磨いたから、とりあえずブレスケアくらいでいいだろう。
「あ」
「お」
「ん?」
 二度目のうがいをし終え、ゆすいだ水を吐き出したところで頭上に声が降った。何かと思いそのまま見上げると、仲良く登校してきた春輝と真弘が不思議そうに僕を見ているところだった。ハンドペーパーを二枚出して、手と口を拭きゴミ箱へなげる。ついでにカップ麺のゴミも、手洗い場になげた。
「朝から何やってんのかと思った」
「学校でカップ麺食べるのさ、結構さーあれ、背徳感あって楽しい」
 呆れ混じりに笑う春輝にそう言うと、苦笑いされたけれど、事実楽しかったから今後も活用しようと思う。真弘は笑いながら携帯をいじっていた。きっと彼女だろう。僕達との集まりや、クラス行事よりも真弘は彼女を優先しているから、真弘が携帯をいじっている時は決まって彼女に連絡していると、噂されていることもあった。概ねその通りではあるけれど、最近は頻度が高くなっているなと思うこともある。

 一言目にはだるい、二言目にそれなと中身のない会話をして教室に戻ると、まだ奈良間は机に突っ伏したままいた。開けっ放しにしていた扉からは、外からの新鮮な空気が流れている。そのおかげか奈良間の背中にあった大きなシミは、少しずつ消えているようだった。怪訝そうに二人が奈良間を見ていたから、簡単に経緯を説明する。引いたような表情を浮かべた春輝に、僕は笑った。真弘は苦笑いを浮かべて、携帯をしまった。
「可哀想だな」
 愛らしい目下の人を見るように、柔らかい表情で真弘が言う。バカにしているわけでも、同情しているわけでもない様子だった。ほかの人だったなら、そう感じることもないんだろうな。
「奈良間ー、今日部活終わり飯行くかー?」
 かばんを置いた真弘が、突っ伏したままの奈良間に声をかける。
「行かない! 俺の心の傷は飯で癒えない!」
 少し間を置いた返事に、僕らは目を見合わせてニヤリと笑う。
「したら春輝飯行く?」
「行く行くー、今日急ぎの用事なんもないし」
「幸太も来るよな」
「うん。今日も父さんの帰り遅いし」
「したっけ三人で飯。決まりな」
 ぱらぱらとクラスメイトがやってくるのに挨拶をしたり、ただ目で追ってみたりしながら、奈良間を放っておいたまま今晩何を食べるか話す。ファミレスは行き飽きたのは三人の中で共通していた。焼肉は制服ににおいがつくからだめ、ラーメンだったら何味が食べたいか、市内で食べるか市外で食べるか。食べ物の話をしている時が、一番楽しく話をしている気がした。
「誠也、お前も行くんでしょ?」
 頃合いを見て、春輝が奈良間を呼ぶ。男女関係なく苗字で呼ばれる奈良間を、春輝はいつも名前で呼んでいた。たまにつられて苗字で呼ぶこともあるが、それ以外は常に名前で奈良間を呼ぶ。そんな春輝に対しては奈良間も素直で、今も名前を呼ばれて立ち上がり、面倒くさそうにたらたら歩いて来た。いつも通り、相変わらずだ。
「なんで俺の事ほっぽって決めるの」
「誠也行く? どうする?」
 笑う僕達の代わりに、優しく春輝が言う。年の離れた弟みたいなんだよね、と昔奈良間のことを話していた春輝は、奈良間の扱いに長けている。
「俺の心の傷は飯で埋めるからラーメン食いに行きたい!」
「お前さっき飯で癒えないって言ってたべや」
「いい! 俺はやけ食いする!」
 真弘にそう言われても、奈良間はもう行かないなんて言わないと、どこかで聞いたことあるようなフレーズを言い、席に戻った。まだ時間に余裕はあったけれど、クラスメイトも随分集まってきており、僕と春輝もそれぞれの席に戻る。真弘は廊下側の真ん中の席で携帯をいじり、僕は中央の列の一番後ろへ。春輝は窓際の一番前の席。
 後ろの席のメリットは何をしていても、大抵バレないという事に限る。挨拶をしていなかったクラスメイトと挨拶を交わし、席に座る。週の半ば、いつも通りの午後三時半までの授業が苦痛で仕方ない。隣の席に座る女子が、ワイシャツを谷間が見えるほど開けていて、急いで目線を違う所へやった。女子なら恥じらえよ、僕が非難されんのに。
 だるそうにやってきた教師の話を、ペンを弄りながら聞き流す。七月も近付いきているかは、女子の露出度合いで判断できる気がした。先週まで長袖の白セーラーを着ていた女子が、今週は半袖になっている。これからブラジャーが透けても気にしない女子が増えるのは喜ばしい。女子にとっては不本意だろうけど。そんな不謹慎なことを考えてた過ごしていると、始業の鐘が鳴った。


「今ならラーメン替玉三回はいける」
「ほんとそれ」
 それぞれ参考書を開いたり、携帯を弄りながら同じような事を何度も言う。極わずかな人数しか残っていない教室は、普段よりも静かでいることを押し付けてくるような空気感があった。だから僕達は話さなくていいように、わずかに会話はするけれどその内容を発展させていくことまではしていない。春輝はひたすら参考書とにらめっこして、問題と向き合っている。携帯画面の上に光る時刻は、五時を回ろうとしている頃だ。
「春輝勉強終わった?」
「今解いてるので課題終わるけど」
 奈良間を待つのにも飽きてしまった。それは僕だけじゃなかったようで、春輝と目が合う。二人で真弘を見れば、すぐに真弘とも目が合った。そうして三人でニヤリと笑う。そこからは早い。春輝は広げていた教科書達をしまい、僕と真弘はかばんを背負った。春輝がかばんを背負ったのを見て、教室を出る。
「携帯連絡入れときゃ見るべな」
 欠伸混じりにそう言った真弘と、僕達は笑う。
 奈良間に連絡を入れ、生徒玄関に向かう廊下を進む。奈良間遅いよなー。まあ自業自得だべやあれ。そんな風に、踵を鳴らしながらのんびりと歩く。先輩達からしたらイキった後輩に見えて、後輩から見たら怖い先輩あたるのだろう、僕らは。
 会話が途切れたタイミングで携帯を見る。通知を切っていない例のグループからは、しつこく、メッセージが送られてきていた。内容は変わらない。真弘への暴言や、どうして僕が共感してくれないのかを、延々と。
『ねえ幸太くん、真弘に依存するのやめなよ』
 新しく来たメッセージに、胸が、心臓が掴まれたような感覚を味わった。