複雑・ファジー小説

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.11 )
日時: 2018/11/26 18:07
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: v8Cr5l.H)

 依存なんてしてない、とだけ返事を打つ。衝動的に打ち込み、送信ボタンを押した。いつどこで僕が真弘に依存したというんだ。携帯をポケットにしまい、楽しそうに笑う二人の後ろについて歩く。相変わらず失礼な奴だ。ここ最近、ふとした時に心を抉るようなメッセージがくる。見透かされているようで気持ちが悪い。
 靴を履き、そのままその場に座り込んだ。僕らは揃って携帯をいじり始める。
「あ、奈良間今から来るって」
「したっけあいつ来るまで待つか」
 真弘はあくび混じりにそう言い、僕と春輝はいい加減に返事をする。携帯をいじって数分が経った頃、ばたばたと玄関に駆けてくる足音がした。
「おっまーたせー! 置いてかれたかと思って焦ったマジで」
 快活に笑いながら言う奈良間に、僕らは呆れるしかできない。そもそも奈良間が呼び出されたのは自業自得で、呼び出されないようにすることなんて簡単だったはずだ。
「真弘が替玉三ついけるってさ」
「まじ? したら俺五回するわ!」
 駐輪場から自転車を出す春輝と奈良間が楽しそうに話す。たしかこの二人は小学生の頃からの付き合いだったはずだ。よく二人で買い物に行ってきたと話をしてくれるあたり、女子の言葉を借りるとズッ友というやつなのだろう。
「奈良間ー荷物入れてく?」
 チリンとベルを鳴らす真弘に、奈良間は表情を明るくして「さっすが真弘わかってるー!」と笑う。
「真弘んとこさカバン入れるんだったらさ、部活の道具こっちいれる?」
「もー幸太大好き」
 語尾にハートが見えそうなほど甘ったるく言う奈良間に、笑いが起きる。
「きっめぇ」
「可愛かったべや!」
 ツボに入ったらしい真弘の横で、奈良間は可愛子ぶりながら歩く。朝とは打って変わって元気になった様子の奈良間は、真弘の顔を覗き込んで話しかけたりしているようだった。真弘の笑いがおさまった頃に、自転車で足を轢かれるんじゃないかと内心ひやひやする。
「春輝ー、どこのラーメン屋行くか決めてんのー?」
「らいく行くよー」
 前を進む奈良間が大声で言う。春輝も両手を口元にもっていき、同様に大きな声で返した。ふざけて歩いているのに、真弘と奈良間は進むのが早い。
「奈良間のテンションの上がり方ちびっ子すぎない?」
「ほんとよ」
 そこが弟っぽくて好きなんだけどね。そう言って笑った春輝はどこか照れくさそうに見えた。

 ラーメン屋らいく。その店構えは一軒家の玄関に暖簾がかけられているだけと、店というよりただの家だ。学校帰りの学生が多く来ているらしく、玄関の横に用意された砂利の駐輪場には数台の自転車が停められている。安価で美味しいラーメン屋として学生に重宝されていた。
 先に着いていた真弘達に追いつき、僕達も自転車を停める。
「行くか」
 真弘の言葉に、僕らはあの日見た映画の主人公よろしく、覚悟を決めたように暖簾をくぐる。軽い音を立てて開いた戸から、味噌の香りがもれ出した。空いていた中央の四人がけテーブルに座る。
「うわー腹減ったー俺味噌ー」
「え、誠也味噌にすんの? 俺もなんだけど」
「僕も味噌かな」
「俺も味噌」
 水を置きに来た店員がメモを用意するより早く、僕らは心に決めたメニューを口々に言う。味噌が四つですね、と言い厨房へ戻った。ピッチャーに水が入っていることを確認して、僕はグラスの水を一気に飲み干した。
「つか真弘は醤油じゃねーの? いっつも醤油だべお前」
 シャツの袖を捲りながら言う奈良間に、真弘は笑う。
「お前だって普段塩だろ」
「いやそうだけど! そうじゃないじゃん!」
「ちょっと奈良間についてけねーわ」
「うっわうぜー」
「おめーの味噌に南蛮入れまくるからな」
「ごめんお前は良い奴!」
 そんなやり取りを笑って見ながら、メニューを広げる。店に入るまではそれぞれ塩と醤油のどちらかしか選んでいなかったのに、一気に味噌に気持ちをもっていかれた。
「まあまあ、そんだけいいにおいしたからさ、いっしょや」
 春輝にそう言われ、不服そうに二人は黙る。
「さすが」
「いえいえ」
 アプリを開いていた携帯から、春輝に視線を移して一言。柔らかく笑った春輝は頭を少し下げて笑った。ほかの客のラーメンをすする音や、厨房の雑音と、ラジオが流れる店内。うるさく感じるどころか、このまとまってなさが心地よい。

「お待たせしましたー、味噌になりまーす」
 体格のいい男の店員が、お盆に四つラーメンを載せ運んでくる。どれも湯気がのぼり、濃い味噌の香りが僕らのいるテーブルを支配した。無料トッピングで用意されたバターとコーンをそれぞれどんぶりの中に落とし、箸で麺をほぐす。じんわりと溶けだしていくバターが、スープの表面に広がっていく。
 奈良間達はもう食べているが、らいくの麺はかためのため、僕はバターが全部溶けるのをぼんやり見つめる。楽しく食べたいという気持ちと、隣でラーメンをすする真弘を思う気持ちとで、内側が壊れそうだ。鳩尾のあたりがザワつくような、赤点回避出来ていなさそうなテストが返却される時のような不安。溶けきったバターを全体に馴染ませ麺をすすったが、味はしなかった。それでもひり出した「美味い」の言葉には、心がこもっていなかったような気がする。

 駅でみんなと別れ、ぱたりと通知が来なくなったメッセージアプリを開いたまま、窓の外を見上げた。六時になる前の空はまだ明るく、木々の隙間に見える空が橙に変化し始めている。一人になり考えるのは、真弘と大畠のことだ。大畠の言うように僕は真弘に依存しているのだろうか。自分ではそう感じていないだけで、真弘を失う可能性があることに怯えているのか。
 一度前後に揺れた電車が、進み始める。忘れかけていた中学時代を必死に思い起こす。真弘は大畠を心底嫌っていた。僕も、真弘と同じように大畠を嫌った。そこに違いはないはずなのに、夕暮れの廊下で見た、懇願する大畠の顔が僕を責めているように感じられる。真弘に蹴られていた、確か肩口を思い切り。やり過ぎだと思ったんだ、僕は。大畠が涙目で、真弘の奥にいた僕を見ていた。真弘じゃなく、あの時大畠は僕を見ていた。胸の奥がざわつく。膨らませた疑念が、僕の中で暴れ回る。
 無意識にシャツの胸あたりを掴んでいた。窓越しに映る自分の顔はひどく険しい。指先が震えるような違和感。停車のアナウンスが鳴る。身支度を済ませた乗客が扉の前に集まり始めた。その中に、気持ち悪さに支配された僕が混じっていた。

「あ、幸太くん」
「……大畠?」
 吸い込んだ息が、逃げ場をなくす。心臓が脈打つのが分かる。発車を告げた電車が、ガタンガタンと音を立て徐々にスピードを上げていく。その間隔が狭くなるのと同じように、僕の鼓動も速く脈打っていた。じっとりと汗ばむ陽気。大畠の脇はワイシャツの色が変わっていた。いつから大畠はここにいた——? ぞわりと背筋が冷える。
「あれ? あいつは一緒じゃないんだね」
 大畠の言うあいつが誰を指しているのか、聞かなくても分かってしまう。
「……真弘は、彼女のところに行ったけど」
「へえ! やっぱあいつって幸太くんのこと案外どーでも良いんだろうね!」
 食い気味の大畠は、口角を上げて嬉しそうに言った。不快。しばらく電車が来ないホームに残って、大畠と話したいわけじゃない。書かないといけない手紙があった。何年も出していなかった、あの日の返事。
「彼女優先だろ、普通」
 そうだ、彼女を優先するに決まっている。きっと僕も真弘達といるよりも、彼女と過ごすようになるはずだ。ポケットに入っていたイヤホンをつける。大畠の声が聞こえないように、音量を上げ、改札へ向かった。改札を抜け待合室を出た僕は、何となく心がむしゃくしゃしていた。不快感、嫌悪感、吐き気。走るのには向いていないハイカットのスニーカーに、学ラン姿。それでも駆け出した。階段を途中飛び下り、走った。扉を乱暴に開ける。カバンが耐えられないと言いたそうに、僕の背中を叩く。足は止まらない。止められなかった。
 痛みも孤独も全て、お前になんかやるもんか。歯を強く噛んだ。歩くと遠く感じる自宅も、走ればあっという間だった。リビングと伊織の部屋が明るい。誰でもいいからそばに居てほしい気分だ。喉も心もカラカラに乾いている。

「おかえり」
「ただいま」
 出迎えてくれたのは伊織だった。眼鏡をかけて、リラコを着た姿でも、ああ頭が良さそうだと感じる。伊織は驚いた顔をしていた。
「……うん、おかえり」
 すぐ微笑んでくる伊織に、一つだけため息を吐き、母さんを無視して二階に上がる。机は昨日のまま。何度も書き直した手紙は、紙がよれている。宛名は封筒に書けないままでいるのを見て、ため息が漏れた。汗をかいていたけれど、下に降りるのも面倒くさい。カバンを乱雑に置き、ベッドに寝転がる。最近買った週刊雑誌が枕元に置いてあるままで、角が耳を掠めて「いって」と心のこもらない言葉がもれた。アプリを開いて、みんなの呟きを眺める。
 珍しく、自撮りをすると意気込んでいた奈良間は、画像付きで投稿していた。なにかの加工か、肌が白くなり、唇はピンク色になっている。同じ学校の先輩後輩関係なく反応されているのは、誰に対しても分け隔てないからだろうなと思う。前に春輝が言っていた、屈託のないバカは愛される、という言葉が思い起こされた。スクロールしながら普段の奈良間を思い出すが、姉以外に悪口を言うこともないし、誰かに悪口を言われていたこともない気がする。
 まあ確かに、あの笑顔はずるいよな。考えてること目に見えて分かるんだから、そりゃ皆警戒しないべな。そんな恨み言を思うけれど、事実は事実として受け止めないといけないことは分かっていた。充電器を挿し、着替えて一階に降りる。
「今日冷やし中華だよ」
 先に食べ終えていたらしい伊織は、リビングのテーブルに参考書を広げていた。家でも学校でも電車でも勉強をしているのかこいつ。完全に別次元の生き物だなと思いながら、キッチンへと向かう。ダイニングテーブルにはラップがかけられた冷やし中華が置いてあり、母さんからの書き置きもあった。
「今日、母さん達は」
 ラップを剥がし、つゆをかける。
「父さんは残業で、母さんは女子会」
 後ろでページをめくる音が聞こえる、二人だけの空間。いつも食事を摂る席は決まっていて、僕は父が再婚してからリビングに背を向けるようになった。元々は父が座っていた席。伊織がリビングで勉強している姿を見たくなかったのだろうと、最近になって自覚した。一人遅く食べる晩御飯の時間に、家族三人が笑い合っている姿も。
 冷やし中華は市販のものと変わらない味だった。ぬるくなった麺が少し気になった。嫌なことが続くな、きっと大畠と一緒になるまで。
 半分以上残した晩御飯と蛇口の水が排水溝に流れていくのを見ながら、そう感じた。何となく手を伸ばすことを躊躇ってしまう。

「水」
 伊織の声に肩がはねた。蛇口から水は流れていない。
「……あ」
「今日変だね、幸太。俺洗い物済ませるから、休んでていいよ」
 僕を押し退けるように洗い物を始めた伊織を見て、自然と足が後ろに動いた。変だね。その言葉が頭の中をぐるぐると回る。僕は、変。伊織に返事をする事も、洗い物をすることも、変。
「……寝る」
 掠れた声だった。自分の声だと思えなかった。伊織が僕を呼ぶ声が聞こえたけれど、顔を向けることはできなかった。勉強の出来る、頭のいい伊織が僕を変だと言うのなら、それは事実なのかもしれない。何度も送られてくる大畠からのメッセージから、ただ逃げてるだけだ。毎回拒絶すればいいのに、それができない。
 ベッドに寝転がり、充電中の携帯をいじる。時計の秒針か規則的に鳴る。何度も見返した大畠や朝比奈からのメッセージをもう一度見返す。二人の考えを認めたくはなかった。けれど、拒絶もできない。大畠に言われた言葉とはまだ向き合うことが出来ないまま、携帯をいじるのをやめる。今頃テレビを見ていたらアポなし旅とかやってんだろうな。
 寝るにはまだ早い時間だけれど、柔らかなベッドに沈んた体を、もう動かそうとは思わなかった。このまま寝て、また先送りにする。考えないようにしていた今までと同じだった。きっとどうするつもりなのかは分かっている。ただ勇気が足りていないだけということだって、理解している。それでもまだ、あと少しだけでいいから夢を見たい気分だった。