複雑・ファジー小説
- Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.15 )
- 日時: 2018/11/18 21:28
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: /AtcWqBj)
先行ってて。そう、大畠が言うのを、僕は黙って見ていた。
「奈良間くん久しぶりー。おかげで幸太くんとまた話すようになったよ」
「あ、おー! 大畠よーっす」
二人の間は、僕と真弘みたいに、ただの友達としての空気が流れている。こんなに柔らかく笑う奴だったのか。僕は大畠のことを何もわかっていないらしい。むしろ今なら、奈良間の方が大畠について細かに話せるような気さえした。
「奈良間くんと、そのお友達だよね。……よくこんな二人と付き合えるね」
奈良間と春輝を蔑むような、下卑た笑み。大畠は僕と真弘に一切視線を寄越さず、二人を見る。不快そうに眉間にシワを寄せたのは、春輝だった。
「こんな二人って、幸太と真弘のこと?」
「それ以外にいないじゃんか。俺、奈良間くんとは友達だしさ」
「……そう。大畠くんが用あるのは真弘達でしょ。誠也、先行くよ」
大畠の横を通り、春輝は木の階段を頂上を目指して歩いていく。面食らった表情をしていた奈良間も、「じゃー後でな」と僕達に残し、春輝の後を追った。やわらかかった空気は張り詰め、息苦しさを感じてしまう。
「真弘くん、元気だった?」
「お前に関係ねーだろ」
「……あいっかわらず俺様な暴君やってんだね。ガキのままじゃん」
真弘を見下して、鼻で笑う大畠。あの時の関係とは違うと、暗に伝えているみたいだ。真弘は不機嫌なことを隠しもせず、舌打ちを一度。
「幸太」
行くぞ。言葉にしていなくても、真弘がそう言ったのが分かった。大畠の隣を真弘が進むのを見たまま、僕の足は動こうとしない。
「来ねえんだ」
返事も待たずに、真弘が行く。その背中が小さくなっていくのを見送り、大畠に向き合った。嬉しそうな顔で僕を見て、大畠は僕に近づく。
「ここで井口を見捨てるとは思ってなかったよ。やるね、幸太くん」
目が、口元が、歪められた。
「こんな所で接触してくるとは思わなかった」
楽しみに胸を踊らせた林間学校初日。それも、到着して数時間しか経っていない、自由時間の山の中で。わざわざ僕らが四人でいる所に、来る必要なんてなかったはずだった。大畠が復讐したいのは、真弘だけなんだから。
「たまたまだよ。それに俺達がいた所に、幸太くんたちが来たんだからね?」
だから、タイミング悪いのはそっちのせいだよ。そう、大畠は続ける。黙っていれば肌寒ささえ感じる風が、僕と大畠の間を吹き抜けた。大畠の髪が、風に攫われそうになる。
「林間学校中にさぁ、井口の彼女の話聞いておいてくれない? 名前とか、学校とかさ」
「真弘の彼女?」
嫌な想像が頭に浮かんでいく。大畠は、碌でもないことをした僕らに無関係な、真弘の彼女を標的に選んだ。当時の真弘にはいなかった、真弘自身よりも大切な存在。
「僕も知らないんだけど、真弘の彼女のこと」
真弘は自分のことを話したがらない。夜に見てる番組も、最近好きな歌手も、彼女のことも。何でも話す奈良間とは正反対で、僕らは真弘のことを何も知らなかった。知らないといっても、愛用のシャープペンシルのメーカーや、肉より魚派という程度は知っている。けれど、真弘自身の根幹に近い、パーソナルな部分は知らなかった。
「つーか、真弘の彼女のこと知って何するつもりでいんの」
早く話を終わらせ、三人と合流したい気持ちに駆られる。折角林間学校に来たのに、なんでこいつに構ってやらないといけないのか。大畠が口を開く度、それに素直に返事をする自分に、嫌気がさす。大畠は驚いたように目を見開いて、こみ上げる笑いを体を"く"の字にして耐えた。殺しきれなかった笑いが漏れる。
「そんなの教えるわけないだろ! ほんっと、ほんっとうに幸太くんって幸せな頭してるなあ!」
堪えるのをやめた笑いが、山道に響いた。大畠に呼応するように木々が揺れ、葉が擦れ合う。腰の高さにある雑草も、僕を嘲笑して揺れた。僕の中にカッと焼けるような感情が沸き立つ。
「名前通り幸せ満開な頭で、くくっ、ぬくぬく育てられたんだろうね。……あーかわいそう゛っ」
反射的に、手が出ていた。左頬を庇うように、両手で覆う大畠を見る。驚きと怯えが混ざりあった、可哀想な顔をして、大畠は体を折ったまま僕を見ていた。大畠は期待していたはずだ。あの日よりも、大畠自身が力をつけているという幻想を。何もしてこなかった僕が、当時のように大畠につくことを。その思い違いに、きっと適応できていないのだろう。弱い奴ほど、力を過信して身を滅ぼす。どこかで知ったその言葉が、頭の中に浮かんでいた。
「大畠」
早鐘をうつ心臓を落ち着かせるため、優しく、ゆっくりと話しかける。
「僕はお前が真弘に何かできるなんてこと、期待してないから。あと、朝比奈にも」
大畠が僕を睨みつける。睨みつけるだけで、反論も、反撃もない。口答えをしないように躾られたような姿を、可哀想だと感じた。
「殴ってごめんな」
自分の右手を擦る。初めて人を殴った。大畠の頬に当たった部分だけでなく、手首まで痛む。
「協力はする約束だったから、それは守る」
殴っても気持ちがすっきりした訳ではなかった。むしろ、虚しさがひっそりと顔を覗かせているような気がする。何も言わずにいる大畠を無視し、僕は来た道を戻って行った。靴裏で主張する小石を、強く踏む。鈍く刺さるその痛みに、心地良さを感じた。
テント設営場には、既に登山の準備を始めた生徒達で溢れていた。奈良間達も例外なく、学校指定のジャージを着て、カバンを背負っている。先頭にいる生徒が少しずつ前進しているのを確認し、僕もジャージに着替えるためにテントに入った。
「雑種は」
「……もう戻ってきたと思うけど」
まだジャージに着替えていない真弘が、苛立たしそうに頭をかく。その滲み出る不機嫌さは、あの頃と同じように僕の心臓を雁字搦めにした。息が詰まる。十分にあるはずの酸素が、ここだけ薄くなっているみたいに。
「奈良間達もう着替えてるけど」
「知ってる」
昔ドラマで見た倦怠期のカップルのような、反抗期を迎えた娘と親のような、微妙な空気。漏れだしそうなため息を飲み込み、制服から指定ジャージに着替える。ボストンバッグに入れていた黒いリュックに必要なものを詰める頃、真弘もジャージに着替え始めた。薄く見える体ではあるが、多少鍛えているようで、腹には筋肉が浮き出ている。
「鍛えてんだ」
僕の視線に気付いたのか、Tシャツを着てから、真弘が静かに話す。
「ヒョロガリじゃかっこ悪いしな」
「どうせ僕はヒョロガリ予備軍だよ」
陸上部で鍛えた最低限の筋力があるとはいえ、不要な脂肪が落ちてるだけのもやしに違いはない。悪く口角を上げた真弘に笑いかけながら、内心、安堵していた。まだだ。まだ、真弘は大畠を不快としか思っていない。そのままでいてほしい。僕だけで大畠の復讐を止められれば、それが今生み出せる最高のシナリオのはずだ。
準備が終わった真弘とテントの外に出る。待ちくたびれた様子の奈良間に平謝りし、僕らも他の生徒と同じように山道を目指した。