複雑・ファジー小説

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.18 )
日時: 2019/04/22 20:52
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: dD1ACbVH)

 二日目は時間に追われるがまま過ごし、同様に忙しかった最終日、自宅に戻ったのは夜遅くになってからだった。予想通りほのかさんと伊織は寝ていて、父さんだけがソファに座っていた。おおよその帰宅時間を伝えていたからか、テーブルには淹れたてのコーヒーがある。
「どうだった?」
「初日はケンカしたけど、あとはまあ、別になんも」
 取り立てて父さんに話すことは、林間学校中なかった。二日目はテントを片付けた後に朝食を食べ、バス移動。移動先ではつまらない話を聞き、たいした自由時間もない辛い一日だった。慣れない宿泊で疲れたせいで、ベッドに入ってすぐ寝てしまった。最終日もたいしたアクティビティもなく、ほぼ座ったままの一日だった。そのせいかここまで帰ってくる道中も、とりきれない疲れが睡魔を連れてくるほどに体は限界をむかえているらしい。
「けんか?」
「うん、ケンカ」
 ソファの近くにカバンを置き、父さんの隣に座る。コーヒーは僕好みのブラックだった。人を殴ったなんて言ったら、父さんはどんな反応をするのか想像すると少し怖くなった。
「仲直りできた?」
 父さんがコーヒーを啜る音がする。僕は大畠と仲直りすることなんてない気がした。大畠の復讐も、真弘を守ることも、どちらも中途半端な状態で、仲直りなんて考えは浮かばない。父さんに返事をする事ができないまま、僕はまたコーヒーを飲む。ネスカフェの粉を入れすぎているようで、口に残る風味は酸味が強い。
「明日は休み?」
「明日は友達と映画見てくる」
「したら疲れてるだろうし、コーヒー飲んだら休みなさい」
 先にコーヒーを飲み終えた父さんが、キッチンへ向かう。もうぬるくなったコーヒーを、僕は一気に飲み干して、父さんの後ろからシンクへカップを置く。美味しかったよと言うと、嬉しそうに父さんが笑った。
 カバンに入っていた洗濯物やクリーニングに出す制服を脱衣所のカゴに投げ入れたところで、ため息が漏れる。
「幸太。おやすみ」
「……すみ」
 少しして、階段を上る音が聞こえた。ほのかさんが寝ている部屋に、父さんが向かっているのを、ぼんやりと考える。小さな掛け声と共に、重たい体を立たせる。頭が痒い気もするけれど、風呂に入る余力なんてなかった。ジャージのポケットに入れていた携帯が、二回、短く震える。無視して階段を上っていると、今度は一回、携帯が震えた。

 三日ぶりの自室のベッドに寝転がる前、乱雑に床に落とされた教科書に意識が向く。もう何日も経ったのに——まだ何日かくらいしか経ってないのか。無意識のうちにしまい込んでいた現実が、舞い戻ってくる。
 嫌でも思い出されるのは、あの日汗をかきながら向かい合っていた伊織のことだ。いい子の皮が剥がれた、きっと素のままの伊織だった。今はきっといい子に戻ってるんだろうなと、伊織の部屋と自分の部屋とを隔てる壁を見て、思う。力なく床に寝そべったカバンと同じように、ベッドに体を預けた。じんわり、背中が熔けていく。重たいまぶたを閉じたほぼ同じ瞬間、連続したバイブレーションに意識が向かった。目を閉じたままでポケットにしまっていた携帯を取り出す。もう少しで日付けが変わりそうだ。
「……なに」
『おーす、起きてっかー?』
「春輝」
 端末から楽しそうな春輝の笑い声が聞こえる。思いのほか低いトーンになった僕を気にせず、春輝は話し始めた。
『映画のチケット、午前ので取ったよ』
「あー……何時」
『九時半にシネマフロンティアで。おやすみ』
「……おやすみ」
 通話画面を、ホーム画面に戻す。寝て起きるまで、六時間ほどしか睡眠時間は取れない。その他に来ていた通知は確認せず、携帯をスリープさせる。熔けた背中から、足へ、胸へ。どろどろとした何かになりそうなほど、曖昧な境界を意識する頃、僕は夢の中にいた。


 私立箔星高等学院の最寄り駅は、様々な施設が複合された駅ビルを有し、近辺では最大だ。ホームから改札を抜ける前まで、何人もの人の隙間を縫って進む。トランクを持ったまま立ち往生する外人や、明らかに内地の方言で話すグループを邪魔くさく思うのもいつもの事だった。横並びで歩く女性達の横をすり抜け、ステラプレイスへと向かう。スターバックスコーヒーに長い列が出来ているのを横目に見ながら、映画館への直通エレベーターの前に並んだ。
 係員の指示に沿って、着いたエレベーターに乗り込む。次から次へと人が入り、まだ一階ではあるが既に満員だ。奥の隅に立ち、目を閉じる。今日はイヤホンを忘れたせいで、色々な音が耳に入ってくる。中学生の頃はイヤホンが無くても良かったけれど、密着性イヤホンの虜になってしまったせいでイヤホンがないと落ち着かない。数回、途中で人の出入りがあった。目的の階でエレベーターが開く。春輝の姿はすぐに見つけられた。
「おはよー」
「はよ」
 映画館で合流した春輝の手には、電子チケットから引き換えた上映券が握られていた。普段の制服姿と同じような色味をした私服に、春輝らしいなと感じる。チケットを受け取り上映時間を確認する。
「これポップコーン買ったっけすぐじゃね?」
「まあ並んでるからね」
「春輝何食う?」
「うーん……。塩にバタートッピングのMサイズかな。幸太は?」
「ホットドッグとコーラのL」
「アメリカの人?」
「純血の日本人って言ったらどーするよ」
「いや普通だべそれ」
 カウンターの上部に設置されたモニターでは、これから見る映画の予告や、上映予定映画の予告なども流れていた。何も考えずに話せる友人は春輝以外に奈良間もいるけれど、話していて疲れないのは春輝しかいない気がする。誰にも応対が変わらない姿は、素直にすごいと思ってしまう。
「先幸太いいよ」
「わかった」
 次の方どうぞ、と感じの良い笑顔をした店員に、メニューを注文する。会計を済ませて横に移動すると、春輝も同じ店員に注文を始める。意外と注文したものが揃うのに時間がかかり、あとから注文を済ませた春輝とほぼ同時にレジから離れた。足の長いテーブルに立ち、互いに一言も発しないまま春輝の買ったポップコーンを食べる。
「バターありだな」
「だべー。有り得ねぇくらい手は汚れるけどね」
 一緒に貰ってきたらしい紙ナプキンで手を拭いていると、アナウンスが入った。六番シアターへの開場が始まり、家族連れや小学生の集まりが蟻らしく列を作る。その列に僕達も混ざり、チケットの半分を切り取ってもらう。順路に沿って進み、春輝に付いてシアター内の座席に座る。スクリーンが見やすい、やや上段の真ん中の座席だった。
「いい席」
「母さんに取っておいてもらったんだよね」
 ちゃんと考えてくれてるだろ、と春輝は嬉しそうに笑う。それに頷いて、目の前のスクリーンに映し出された予告映像に意識を向けた。春輝は家族のことを話す時によく笑う。僕と同じ一人っ子として育ったらしいけれど、良くも悪くも他人の視線を気にしてしまう僕とは全然違う。中学が違うだけでこんな変わるのか。そう感じたことは、二人と出会ってから何度もあった。僕と真弘は、奈良間と春輝とは正反対な人間だと思うことも。
 映画泥棒のムービーが流れると、甲高い悲鳴や、うわぁという声があがった。奇怪な動きと顔が見えないあたりが怖いんだろうなと思うけれど、あの有名なパンのアニメだって似たようなものだという気がしてならない。ポップコーンが弾けて、シアターの電気が落とされる。毎年進化しているように感じるロゴと、愛らしいサトシの相棒が鳴く。ナレーターの声を聞きながらホットドッグを頬張る。お腹が空いていたせいで、ホットドッグはすぐになくなった。画面では母親連れの少女が、何かのお祭りに来ているシーンが流れている。満腹になって忍び寄ってきた睡魔に、まだ導入だよなぁと考えながらも、そっと意識を委ねた。



「安眠しすぎ」
「予想以上に疲れてた」
 呆れた顔で春輝に言われ、昼食を食べる手が止まった。気がついたら寝ていたし、気がついたらサトシの窮地をモンスターが救っていたし、次に気がついたらエンディングが終わっていた。春輝に揺さぶられて起きた頃には、シアター内にいる人は数えられる程度しかいなかった。小言を聞き流しながら入った洋食屋でも、こうしてまだチクチクと刺される。
「まあいいんだけどね」
 笑った春輝がハンバーグプレートに手をつけたのを見て、自分も切り分けたハンバーグを頬張る。
「で、何かあったわけ」
 三角食べをする春輝に、意を決して声をかける。
「大畠って奴から真弘を助けたい」
 驚いた顔をした春輝が僕を見ていた。