複雑・ファジー小説
- Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.19 )
- 日時: 2019/04/12 21:07
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: Ft4.l7ID)
そして、なんとも言えない複雑な表情を見せた後、いつもの様に微笑んだ。
「いんじゃね? 助ければ」
「うん」
相談事をした時の春輝はさすがだと思う。あの日の既視感を、水と一緒に飲み込んだ。
「その事相談したかったん?」
「いや、これ見てほしくて」
ポケットから出した携帯の、メッセージアプリを開く。大畠、朝日奈とのグループラインを一番上まで遡り、携帯を春輝に渡す。全部見ていいよと伝え、残ったハンバーグを片付けにかかる。春輝が頼むからと食後にパフェを頼んだけれど、入る気がしない。薄気味悪さが少しずつ腹を膨れさせる。ため息を押し込むように口にハンバーグを詰め、あまり噛まずに水で流しこむ。
春輝はハンバーグを食べていた手を止め、真剣そうな表情で携帯をスクロールさせていた。自分が返信をしたのは最初の数回だけ。スクロールするほど会話量が増えたのは、大畠と朝日奈のせいだった。中学の仕返しをする、気持ちを踏みにじってきたから復讐したい。そんな思いの丈を僕にぶつけてくるだけの場所として、グループは活動していた。
「俺さ、中学ん時の二人さ、なんも知らないんだけど何やったん?」
「今風に言えばイジメってやつ」
ふうん、と気のなさそうな返事をする春輝に、僕は続ける。かたく閉じた錠を開け、記憶の蓋をこじ開ける。
きっかけはよく覚えていない。テストの点が僕達より低かったのかもしれないし、給食を食べるのが遅いからとか、足が遅いからとか、男のくせに女みたいに弱いからだったかもしれない。ただ一つ、思い出すことができない程度の理由で、僕達が大畠をいじめていたのは事実だった。皆は元々何となく好きじゃなかったのかもしれないし、そもそも何も感じていなかった気さえしてしまう。
大畠は小学校からの同級生で、中学三年の夏休み中に市外へ引っ越した。父親の仕事の都合と説明されたが、僕も真弘もそれ以外の友達も、それだけが理由だとは考えられなかった。罪悪感を抱いていたのは少なくないはずだった。自覚できるほどのことをしていたから、僕達は「仲間がいなくなるのは寂しいよな」と笑った担任に、同じように笑うことさえできなかった。
いつも笑っているのが気に食わない。幸せそうに母親の話をする姿が癪に障る。僕はたしかにそう感じていた。帰り道が途中まで一緒だったけれど、初めこそ仲は良かったけれど。静かに背中を向けて扉を閉ざしてから、僕は真弘達に加担した。僕達がしたことは静かに伝播し、気が付けばクラス全体が大畠をよく思っていなかったように思う。僕達は誰も止めないのを喜んでいた。
初めは無視から始まった。理由なく腹を立て、素っ気ない返事をする。話しかけないでくれと言われた大畠が、切なそうな視線を寄越すのがいつまでも気になった。休み時間にわざと机にぶつかったり、教科書が置かれていることを気にせず机に座る奴もいた。決まって大畠が使う机の周囲に集まっていたけれど、そこでの会話に大畠が入ることはなかった。僕達は何も言わず、自然と大畠を空気のように、まるで初めからいなかったように扱っていた。
そのグループの中心にいたのが、真弘と数人のクラスメイトだった。
「女みてーななりしてっけどお前ガイジかよ」
「障害持ちはここじゃなくて養護学校行くべきじゃねーの?」
「お前に挨拶されたくねーんだわ」
「むしろ話しかけてくんなよ。耳が腐る」
どんなに笑顔で話していても、大畠が戻ってくると冷え切った視線を向ける。クラス対大畠の構図を作ることは、なにも難しくなかった。
「俺んとこも似たようなのあったけど、幸太んとこすごいね」
「荒れてたから」
喉を潤すために、グラスに注がれた水を飲み干す。
「にしてもだよ」
優しく笑う春輝につられ、少しだけ笑みが浮かんだ。
「まあそんな状況だったからさ、すぐ暴力も出たんだよ」
始まりはやはりどうでもいいきっかけだった。大畠が教室を出た所で、真弘と仲が良かった別クラスの男子にぶつかった。言いがかりをつけて、美術室が置かれた人気のない三階トイレに連れて行かれたのを、僕は見ていた。連れて行かれた先で何があったかも、僕は見ていた。見てるだけ。真弘達のように実害は一切加えなかったところが、僕のずるい所だった。
ずるい僕はトイレの入口に凭れて、土下座させられる大畠の後ろ姿を見ていた。いい加減な掃除しかされない、汚く臭いトイレ。その床に額をつけて、震えた声で何度も謝っていた。もし僕がいなくて、大畠に勇気があったとすれば、きっと走って逃げていただろう。野次馬の視線なんて気にせず、走って逃げていたはずだ。
大畠が逃げられなかった理由の中に、僕の存在があったんじゃないかと思う。思うだけで、確証があるわけではなかった。僕は大畠と一時期親しくしていた。親友とまではいかないにしても、互いの家へ遊びに行ったりする仲だった。けれど大畠が標的になった頃から僕は真弘とよく過ごしていたから、大畠との溝ができ始めていたのだと思う。いつの間にか大畠は孤立していたし、僕は大畠に救いの手を伸ばすという選択肢を持たずに過ごしていた。それが普通だった。
トイレでの一件から、大畠は頻繁に呼び出されるようになった。休み時間が終わる間際に戻ってくる度、体の違う部分をさすっていたのをよく覚えている。その大畠を笑う真弘のことも。僕は笑いさえしなくても真弘と一緒に行動しているおかげで、傍観者のような立ち位置になっていたことは、最近になって分かったことだった。
「大畠に言われたんだ」
「なんて?」
店員が持ってきたパフェを食べる。春輝には見せなかった、僕と大畠の個人的なやりとりの中に、その言葉はあった。
「幸太を一番許せないって」
大畠と連絡先を交換してすぐ言われたことだった。
「だから真弘に復讐するらしい」
「なんで幸太にじゃないの?」
「今度は大畠側にいるから」
溶けだしたソフトクリーム部分をすくって口へ運ぶ。冷たいだけで、味はあまり感じない。春輝は納得したようて、何度か頷きながらパフェを食べていく。そこからしばらく話しをせず、ひたすらパフェを片付けた。途中何度もサンデーにすれば良かったと後悔したけれど、食べ終わる頃には達成感が心に満ちた。春輝は少し遅れてパフェを食べきり、自身の携帯をいじっていた。僕もそれにならい、しばらくログインしていなかったゲームを開く。長いローディングが嫌で、普段は開いてもすぐ閉じてしまうが、今日は珍しくロード時間が短かった。
クエストを数個、完全クリア報酬をもらい、ゲームを閉じる。ほぼ満席の店内に長居するのも躊躇われ、どちらからともなく準備を始めた。割り勘で会計を済まし、エスカレーターで地下へと降りる。その間春輝とは林間学校の思い出話をしていた。束の間に満たされた心は、少しずつ漏れ出して、地下のカフェに着く頃には空っぽに戻ってしまった。
「じゃーウィンナーコーヒー二つ。二つともアイスで」
案内された席は、ワインを零したように深い紅色の椅子が特徴的だった。少し背の低い椅子に座るが、場違いな気がして気が気じゃない。
「春輝よく来るの? ここ」
身を乗り出し小声で聞くと、春輝はニヤリと笑った。
「初体験、幸太にあげちゃった」
「きも」
「やめてよ傷付く」
声を押し殺し、春輝が笑う。普段は僕達の手綱を握るような存在だけれど、実際はふざけるのが好きな厄介者だ。ツボが浅いことを気にしていると前に話していたけれど、目の前で笑い続けているあたり、直す気がない気がしてならない。
「あー、ははっ、めっちゃ笑ったわー」
コーヒーを置かれる間も笑い続け、落ち着いたのはグラスが結露する頃だった。
「さっきの続きだけどさ、大畠くん側に幸太がいるから今度は止めたいってことっしょ?」
「止めたいっつーか……」
「真弘が標的にされたくない?」
的を射た春輝の言葉に、頷く。コーヒーが苦い。
「したっけさ、真弘に話そうよ」
「いやそれはだめだべや。真弘が大畠に先に手ぇ出したら——」
「真弘はもう中学生じゃないべ。大丈夫だよ」
春輝と視線がぶつかる。情けない顔が、レンズに薄く反射していた。春輝が大丈夫だと言っても、本当に最善策なのかが分からない。僕が知っている真弘は、あの頃から変わらない。真弘は大畠を心の底から嫌っていた。
「そうしたいと思ってるから俺に相談にきたんでしょ、幸太」