複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」1章5 ( No.10 )
- 日時: 2017/06/21 21:12
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
「……この子が神の依り坐しだの神女だのいう特別な存在なのはわかった。それで? その神女様とやらは、どうして話せないんだ? それに、さっきミスタが訊いた、成人するまで島を出れないとか、あんたが誘拐したのかとか、その辺もどうなんだ?」
ヴァリタは苦笑する。
「順を追ってご説明いたしますが、ミスタ・ブラウンの質問に関しては、イエス、事情あってのこと、イエス、と先にお答えいたします」
モルシアンは大人になるまでシューテを出られないのではなかったのか? ——イエス。
なぜその世話役が率先してモルシアンを連れて逃げている? ——事情あってのこと。
誘拐したというのはほんとうか? ——イエス。
ミスタは泥船を戦艦にするつもりでつきあうといったが、こりゃ協力するのは少しリスキーだ。見ればミスタの眉間に深いしわが寄っている。
まあ、俺はそもそも部外者だ。なりゆきでかくまわされたりしたが、汽車を降りればそれまでの関係だ。エストリュースなんて珍しい国の珍しい神の依り坐しの話なんて、せいぜい女との寝物語と新しい芝居のネタにしかならない。元同郷の同胞には同情を禁じ得ないが、君子危うきに近づかず、だ。
「ミスタ・ブラウンはお国の女王陛下のご即位の際にご覧いただいたかと存じますが、この島には、新たな王が立たれるとき、モルシアンが神より得た寿ぎの言葉を王権とともに授かる習わしがございます。それを得ず即位した王の治世は短命であったり内乱外乱に悩まされたりとなぜか落ちつかないことになるそうで、近代化した社会にあっても、それは遠い昔から受け継がれている作法なのです」
「グリーンランドには昔から王がいないからわからないが、バンクロフトはどうなんだ? あの国は国王がいつも短命だろう?」
「バンクロフトはもともと大陸から流れてきた者が作った国家です。ゆえに、島の古き神をないがしろにしており、モルシアンの神託を不要とおっしゃる。ですから、男王も女王も、齢三十五で儚くなってしまうのですわ。もっとも最近は三十五を過ぎたものを王に据えるようになりましたが……」
ヴァリタが意地の悪い含み笑いをする。
——かわりに東西グリーンランドの抵抗運動(ルビ:内乱外乱)に悩まされてるってわけか。
神様なんてもう十何年も拝んだことはないが、年に一回ぐらいは教会に足を運んでやるかな、と俺が思ったときだった。話を戻しますが、と前置きして、ヴァリタがとんでもないことを口にした。
「そして、モルシアンは、正確に神の言葉を伝えるために、産みの親から引き離されたときより、言葉にいっさい触れないようお育て申し上げるのです」
「……は?」
「言葉は思考を作ります。思考を得ると、ひとは嘘をつくことができるようになります。神の言葉と称して、自身に都合のよい神託をくださないよう、モルシアンから言葉を奪ってしまうのです」
ちょっと待て。さっぱり意味がわからない。
俺がそう訴えると、ミスタ・ブラウンが妙なことを訊いてきた。
「ものを考えるとき、おまえはなにを使って考える?」
「……頭?」
「この話の流れでそう答えるのだから頭も使っていないだろう」
「は?」
ヴァリタがくすくす笑い出す。
「アレク、ミスタ・ブラウンがおっしゃっているのは、こういうことです。頭の中でものを考えるとき、——そうでございますね、たとえば、わたくしのことをどうご覧になられます?」
「美人だ。口説きたい」
「あら!」
隣からバカにするような声が聞こえたが無視する。ヴァリタはなお笑みを深くして、嬉しいことをおっしゃいますのね、という。おお、好感触。
「でも、そのわたくしを美人だと思ってくださるのも、口説きたいと思ってくださるのも、『美人』という言葉や『口説く』という言葉をご存じでいらっしゃるからでしょう? たとえば、もし『美人』と『口説く』という言葉をご存じでいらっしゃらなければ、アレクはわたくしのことをどう思ってくださるかしら?」
——意味がわかった瞬間、ぞっとした。目の前の女が一瞬にして恐怖の対象になった。