複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」1章6 ( No.11 )
- 日時: 2017/06/22 21:57
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
思わず手を伸ばし、彼女の隣に無表情で座る少女を引き寄せた。抱き上げ、ヴァリタから少しでも遠ざけるように、彼女に半身をむける。
「……っ」
ヴァリタは、傷ついた顔をした。
でも俺が、彼女がいま傷ついた顔をしたと思ったのは、『傷つく』という行為と『顔』がなにを指すのか知っているからだ。もしそれを知らなかったら? もっといえば、彼女がヴァリタという役目を持つ人間であることも、俺がアレスター・マッカリースだということも、隣の男がミスタ・ブラム・ブラウンであることも、自分と他人が違う存在であることも、なにもわからないのだ。——俺の、この、ちいさな同胞は。
俺はろくでなしだがひとでなしじゃねぇ。目の前の美人ですらひとでなしの部類に入るとわかった以上、そばに置いておくわけにはいかない。そう決意してヴァリタの顔を睨みつけていたら、突然頭にひどい衝撃が走った。物理的な痛みだ。
「〜〜〜ってーなっ! なにするんだ、突然」
俺は、俺の頭を平手打ちしたミスタ・ブラウンに怒鳴り返す。だが、ミスタは、石頭めと右手を痛そうに振りながらいった。
「使っていない頭なら使え。思考を働かせろ。どうしてそのヴァリタがモルシアンごとここにいる?」
俺ははっとした。悔しいが、ミスタ・ブラウンのいうとおりだ。頭を使えば簡単にわかることだった。なんの目的があって神殿島を抜け出したのかわからない。でも、少なくとも彼女はいま、少女の周りで言葉を使っている。まるで言葉の水を浴びせかけるように。
「…………ごめん」
正面に向き直り、膝上に抱き上げた少女をおろす。ヴァリタの許に行くよう背中を押してやりながら、俺は彼女に謝った。
ヴァリタは少女を受け取りながら首を振る。
「あなたは善き人でいらっしゃいますのね、アレク。あなたのような方に出会えて、ほんとうによかった」
バカだの最低だの、女に投げつけられる台詞は罵詈雑言が相場だった俺には、まるで縁のない言葉すぎて、どうリアクションを返せばいいのかわからない。おう、とだけ返事をして、そのまま顔を俯けた。こそばゆかった。
それで、と俺の代わりに話の続きを促したのはミスタ・ブラウンだった。
「モルシアンの告げる宣託が、間違いなく神のものである証明としてモルシアンから言葉を奪っていることに関しては、こいつも理解しただろう。そろそろ、どうしていまいおまえがモルシアンとここにいるのか、それをお教え願いたい」
ああ、そうだ。それが大事だった。
俺が顔をあげるのと、ヴァリタが話しはじめるのはほぼ同時だった。
「さきほども申し上げましたように、モルシアンは東グリーンランドからお越しいただいた神女でございます。もし、通例通り、エストリュース内でお探しできたのであれば、エストリュースの民は、モルシアンに選ばれた我が子を亡き者として肉親の情を断つことができたでしょう。ですが、他の国の民にもおなじようにせよとはヴァリタであるわたくしとて申し上げ難く、月に一度、モルシアンのご様子をご家族に信書にてお送りさしあげていたのです」
「優しいのだな。ヴァリタはモルシアンのためには非情になれると聞いていたが」
「……わたくしはどこか、ほかのヴァリタとは違うのでしょう。泣いて連れていくなと叫んでいた若い母親の声や姿が頭から離れず、それが移ってしまったのやもしれません。規則ゆえお言葉をかけて差し上げることは慎みましたが、あの若い母親がしてやりたかったこと、かけてやりたかった情など、わたくしの想像の及ぶかぎり、この方にさせていただきました」
ヴァリタは、これ以上もないほど慈愛に満ちた瞳で、隣の少女を見る。しかし少女は満月の瞳でおれを無表情に眺めている。
——なにも考えていないのだろうな。
そもそも彼女には考えるための言語(ルビ:ツール)がない。笑いかけてやっても、百面相をして見せても、なにも感じないし、わからないのだから。