複雑・ファジー小説

「知恵と知識の鍵の騎士団」1章7 ( No.12 )
日時: 2017/06/23 23:41
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)

「母親も、周囲のものも文盲でありましたのか、この六年間、モルシアンのご家族より手紙を受け取ることは一度もございませんでした。わたくしがお送りする信書はあくまで母親気取りの自己満足のもの、返事を期待してのものではございません。ですから、このまま一方通行の便りは、モルシアンが退位なさるまでの間、ずっと続くと思っておりました」

 手紙が届いたのは、そんなときでした。
 そういって、ヴァリタは服の胸の合わせから、粗末な一通の封書を取り出した。貧しい東グリーンランドの片田舎のものらしい質の悪い紙だとひと目でわかる。読めと差し出され、俺はミスタ・ブラウンをうかがう。顎で先に読めと促され、受け取り、慎重に開いた。

 情けないほど、恥ずかしいほど、心苦しいほど下手な字が紙面に言葉を綴っていた。


 しあーしやはがんきか。
 おおくなったか。
 おしいもの、おおくたべるか。
 わたし、しぬ、すぐ。
 あうしたい。だくしたい。
 しあーしや、あいしてる。


「わたくしはもう何年も泣いたことがございません。ですが、その手紙を見て、涙が止まらなかったのです。ひとめ、母にあわせて差し上げたい——いいえ、ひとめ、あの母親に、おおきくなったモルシアンを見せて差し上げたい。それがいま、わたくしがここにモルシアンとおります理由でございます」
「……」
「……」
「……」
「……おい」
「なんだ」
「濡れる。さっさと涙と鼻水を拭け」
「るせーよ!」
 手紙をミスタ・ブラウンに押しつけ、かわりに差し出されたハンカチをぶんどる。涙と鼻水を拭き、盛大に音を立てて鼻をかんだあとで気づく。げ、これ、さっきミスタが口を拭っていたやつじゃねぇか! いやぁな感触まで口に甦りそうで、それをコートのポケットに丸めて突っ込むと、俺は座席を立ち、床に膝を立てて座った。

 まっすぐ前に、少女の満月の瞳がある。その琥珀の瞳に映る俺の顔は泣いたあとのせいでいささかへにゃりとして情けなかったが、構うものか。
「シアーシャ、おまえの名前はシアーシャか」
 両手を伸ばし、頭を撫で、頬へと手を滑らせる。マシュマロのようにふくふくとして柔らかい頬だ。
「いい名前だな」
 古い古いグリーンランドの言葉で自由というその名前は、なんて皮肉で、なんと彼女にふさわしい名前だろう。
 いまじゃ誰も流暢に使えないいにしえの言葉を名前に持つ少女に俺はいった。

「キエド・ミーラ・フォルチャ」

古いグリーンランドの言葉で、十万回の歓迎という意味だ。彼女が辿りつく祖国グリーンランドにかわって、歓迎の言葉を。
「……」
 瞳の中の満月がいっそう輝きを帯びたように見えたのはきっと俺の錯覚だ。