複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章4 ( No.16 )
- 日時: 2017/06/27 22:49
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
予定通り、オルグレン最初の駅で俺たちは下りると、ミスタ・ブラウンの襟章と同じ、開いた本の間に鍵が置かれた金色の襟章をつけた年輩の男が迎えてくれた。
「旅券に貼る写真は、写真館がすぐに用意してくれる。ご婦人方のお着換えは、そちらでいっしょに」
「わかりました」
「ご婦人の旅券はこちら。名前はアーネ・アンデルセン。リクエスト通り、ハーゲル風にしておいた。お嬢さんのはこちら」
「ミスタ・マッカリース! おまえのファミリー・ネームの綴りはこれで間違いないか?」
突きつけられた旅券には、なぜかシアーシャ・マッカリースとタイプ打ちされている。
「なんで、俺のファミリー・ネームが」
「あっているのか、いなのか」
「あってますぅ!」
よしと身を翻し、旅券をコートの内ポケットにしまいながら、ミスタ・ブラウンはおっさんとともに、おっさんが用意していた車へとむかう。その後ろをシアーシャと手を繋いだヴァリタがついていく。目線がついついシアーシャの背を追う。
見たのは一瞬だったが、見間違えるわけなかった。シアーシャの旅券に記されていた住所は、俺の、グリーンランドの実家のものだった。
「…………」
腹の底のほうがなにやらほかほかとあたたかくなる。
ミスタ・ブラウンがどこかで俺の旅券をチェックしたのか、それともあの有能そうなおっさんが調べたのかわからないが、シアーシャ・マッカリースか。いいじゃないか。ずいぶんと子どもの頃に、妹が欲しかったような気がするし。
——ちょっとお兄ちゃん、頑張るか!
エストリュースの民族衣装は島内では目立ちすぎる。そういってミスタ・ブラウンが用意させていたワンピースに着替えたシアーシャとヴァリタは、身につけた衣装云々の話ではなく、存在自体が目立つのだと、ミスタ・ブラウンに頭を抱えさせていた。
「おー! 可愛いじゃないか、シアーシャ。さすが俺の妹!」
かわりに俺は実に能天気な声をあげる。頭を悩ますのはミスタの仕事。俺は、兄として、年の離れた妹を守るのが仕事だ。こういうときは誰よりも全力で褒めればいい。
実際、頭を抱えるミスタ・ブラウンの気持ちはほんとうに理解できた。編みこんでいた黒髪をほどき、背中に流して、赤いベルベットのワンピースに同じ色の帽子をかぶり、白いタイツと黒のエナメルの靴を履いたシアーシャは、いままでに俺が見てきたどんな女の子よりも可愛かったのだ。
おいでと手を広げれば、それが抱き上げられる合図だと結びつくようになったのか、とことこと近寄ってくる。抱きしめ、腕に抱き上げると、衣装をあらためたヴァリタが微笑みながらそばにきた。
「すっかりお兄さま子になってしまわれて」
彼女は深い緑の清楚なワンピースを身に纏い、すでに外套とベールのついた帽子もかぶっている。とにかく目立つなとミスタ・ブラウンに命じられ、なるべく顔や体のラインが出ないように気を遣っているらしいが、それが逆に禁欲的に感じられて、写真館の枯れたような親父ですら、顔を赤らめるほどだった。
逆に俺は、口説きたいと思っていた昨日がまるで嘘のように、彼女を眺めていた。彼女の目線の先に、シアーシャ以外の人物があるようになって、興味が薄れたせいもある。
ふと悪戯心がよぎって、その耳にささやきかけてみる。
「あなたは、誰を専属ホテルマンに任命したのかよくご存じないようだ」
「——っっ!!」
途端ヴァリタが顔を真っ赤にして飛び離れる。おお、面白い。
「惚れたの?」
ニヤニヤしながら尋ねてみれば、耳まで真っ赤にしてヴァリタがいいよどむ。
「シアーシャの前で……!」
「シアーシャの前だろうが、誰の前だろうが言い訳つかないぐらい真っ赤だぜ、アーネ・アンデルセン。それに、人が人を好きになるのは、原始的な行為の一つじゃね? シアーシャには、むしろおおいに見せつけてやった方が教育にはいいと思うなぁ」
「からかわないで、アレスター・マッカリース!」
腕を振り上げて怒るヴァリタが幼い少女のように可愛くて、口元が緩むのが止められない。笑って逃げようとしたら、今度は俺の耳元でくすくす、くすくすちいさな声がする。
——え?
そちらを見ようとした瞬間と、ミスタ・ブラウンが「写真ができたぞ!」と待合室のドアを開けたのはほぼ同時で、俺があらためてシアーシャの顔を見たときには、彼女はいつもの無表情のままだった。
笑い声が聞こえたのは気のせいだったのか?