複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章6 ( No.18 )
- 日時: 2017/06/29 20:23
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
「……なんだよ、それ」
明日も、四人で行動するんじゃなかったのか? 俺はシアーシャを兄として守る気ではあるけれど、ミスタ・ブラウンのように次にどうするか、なにをするかって、的確に判断くだせないぞ。つか、ただの役者になにを求めようとしてるんだ、この男!
「私とはぐれてしまったとき、私になにかあったとき、モルシアンたちを連れてこの印のどこかへ行け。私の名前、エイブラハム・ブラウンの名前を出して助けを乞えば、彼らは必ず助けてくれる」
「ちょ、ちょっと待てって。あんたがもしものことを思ってそういってくれてるのはわかる。でもな、ヴァリタとシアーシャに雇われたのはあんただろう? 俺はなんとなく巻き込まれてついてきているだけだ。そんな俺に、もしものことなんか託すな。俺はなにもできない、ぞ……」
余計な責任を負いたくなさから、そういって逃げを打とうとした。だが、ミスタ・ブラウンが予想外の表情を浮かべて見せたので、それは果たせなかった。
不思議そうな顔をしたのだ、ほんとうに不思議そうな顔を。そして、その表情のまま、いった。
「男娼の演技はすばらしかったのに?」
「……」
「……」
「……あれが?」
「いっただろう? 本職かと思ったと」
「本職、知ってるのかよ」
「ああ。昔、そうだった」
——ちょっと待て——っっ!!
思わず飛び離れようとして椅子から転げ落ちた俺に、ミスタ・ブラウンは珍しく苦笑した。
「生きるために行ったことだ、いまは体を売らなくても生きていける」
いやそういう問題でもないが——、そういう問題なのか、ミスタのなかでは。
彼の許から逃げようとしたことが恥ずかしくなる。そういや俺も金持ちの未亡人の愛人になりにハーゲルくんだりまで行っていた。それとなにが違うというのだろう。享楽目的のぶん、ミスタよりたちが悪い。
「……」
ふと思いついたことがある。それを実行するために、俺は椅子を起こして、その場に片膝を立てて座った。胸を張り、腰に佩いた架空の剣を鞘から抜く。そして抜いた剣を、ミスタに差し出した。
「ミスタ・マッカリース……?」
俺はしがない役者でしかない。しかも、その役者という仕事すら一度捨てた大バカ野郎だ。なのにミスタはあの一瞬の演技をすばらしかったと褒めてくれた。なにもできないと逃げた俺に、演技という道を思い出させてくれた。
——畜生、こんなの逃げられないじゃねェか。
だったら、答えるしかない。グリーンランドの男はバカでろくでなしだが、やるときゃやるんだ!
その思いで捧げた架空の剣を、ミスタはわかってくれたようだった。立ち上がり、俺の傍に立つと、剣を受け取り、刃を俺の肩に置く。そして、低く響く声で、誓いの文句を唱えた。
「謙虚であれ。誠実であれ。礼節を守り、己を裏切ることなく、友を欺くことなくあれよ。弱者には優しくあれ、強者には勇ましくあれ。知恵と知識をもって、扉の開き手たれ」
それは、俺が舞台で覚えた騎士叙任の宣誓の文句とは少し異なっていたけれど、国や地域によって異なるものだと聞いたことがある。きっとライトホールドではこういうのだろう。
「そして、常に堂々と振る舞い、騎士である身を忘れることなかれ」
ミスタ・ブラウンの薄い水色の瞳が、凪いだ湖のような光を湛えている。鋭いそれしか見たことがなかった俺は、彼にこんなに優しい目をさせたのが自分だと知って、なにやら誇らしくなる。さながら、ほんとうに王より剣を授けられた騎士の気分だった。
ミスタ・ブラウンより剣がむけられる。俺はその架空の刃に恭しく手を添え、口づけた。