複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」2章7 ( No.19 )
- 日時: 2017/06/30 20:54
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
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——騎士の叙任を受けた以上は、役目を果たさねぇと。
そう思うのに、全身が痛くて動けない。なんでこんなに体が重く、痛いんだろう。
世界はひどく真っ暗で、次第に息苦しくなってくる。やばい。約束したのに。ミスタになにかあったら。ミスタとはぐれたら。ミスタの仲間がいるホテルに助けを乞えって。
——仲間……。
豪奢なホテルを朝一番に離れた俺たちが、そのホテルにいたミスタ・ブラウンの仲間が用意してくれた切符を手に、昨日と同じように何回かの乗り換えと乗り過ごしを繰り返して、ようやくのことでライトホールド行きの汽車に乗ったのは昼の三時を過ぎた頃だった。
それまでの間、国内のあちこちで検問を見た。ミスタが得た情報通り、検問に引っかかっているのは主に女性と子どものふたり連れが多かった。ごくまれに男性と子どものふたり連れが検問を受ける列へ呼ばれているようだったが、大人三人に子どもがひとりの俺たちは、一度としてその対象にならなかった。
それが油断を生んだのだろうか。
「……おかしな気配がいたしますね」
車内のようすを見てくると席を立ったヴァリタが、戻ってくるなりそういった。ベールの下の眉はひそめられ、俺たちと出会ってからはじめて、はっきりと不安を顔にのぞかせていた。
「おかしな気配とは?」
ミスタ・ブラウンが訊く。ただ、このときのミスタも、ヴァリタのいうおかしな気配を薄々感じていたのかもしれない。ホテルを離れるときに受け取った拳銃を、いつでも使えるように点検していたところだったから。
「先頭車両と最後尾に、軍人らしき集団が見受けられました。軍服ではなく、私服でしたが、休暇というようすでもございませんでした」
「私服で軍人? なんでわかれて乗車してるんだ? あいつら、とにかく群れるのが好きなのに」
「……」
茶化すように俺はいったが、ミスタとヴァリタの表情は晴れない。
まさか、王太子派の私兵と反王太子派の軍人の双方が乗り合わせていただなんて、誰が考えるだろう。
この時点では俺たちの誰もが彼らの乗車を偶然だと思いたがっていたし、それでも無事に国境を越えられると信じていた。だから、オルグレン最後の停車駅で降りることをためらい、逃げる手段をみすみす失ったのだ。
——いま思い返しても悔しいぜ。
ミスタ・ブラウンとヴァリタの不安げな顔を見続けていると、俺だけでなく、無表情なシアーシャにまで眉間にしわを寄せた表情が移ってしまいそうだった。だから俺は、欝々考えたところでなるようにしかならないと、開き直りが得意のグリーンランド男らしく、シアーシャの手を引いて、気分転換に車内を探索することにした。もちろん彼女には深く帽子をかぶらせ、悪目立ちするその顔を、他の乗客には見せないようにしていたけれど。
俺たちは完全に包囲されている。
その決定的な言葉を聴いたのは、ヴァリタが言っていた軍人らしき集団を見てみたくなって、最後尾まで足を進めたときだった。
「写真館の館主が吐いたところによると、」
と聞き逃すには不穏すぎる言葉が聞こえてきたのだ。
「男二人、女と子どもそれぞれ一名ずつの四人連れ」
漏れ聞こえたそのだみ声に、俺の足が止まる。デッキののぞき窓からようすをうかがえば、中にいたのはヴァリタの情報通り、すべて軍人らしいいかつい男たち。そいつらに、俺に背をむけて立っている男は、その四人連れの特徴を読みあげていった。
「男の一人は長身、ベージュのコートにグレイの三つ揃いに帽子。もう一人は黒髪で、全身黒づくめ。女は金髪、緑のドレスと外套、ベール付きの帽子」
——間違いない、俺たちのことだ。
握っていたシアーシャの手を離し、かわりに抱き上げる。恐る恐るその場を離れる俺の耳に届いたのは、
「子どもは赤いワンピースに赤い帽子。こいつがモルシアンだ。こいつを掴まえろ。あとの三人は殺してもかまわん」
——冗談じゃねェ。
舌打ちして、急いでミスタ・ブラウンとヴァリタの許へ戻る。途中、血相を変えて行き違う乗客を何人も見送ったが、ミスタと合流したとき、その理由を知った。俺たちの指定席があった車両内は、すでに戦場と化していたのだ。