複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」3章1 ( No.22 )
- 日時: 2017/07/03 20:57
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
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なにがあってもついてこようとするシアーシャを、ひとまず人目につかない木にコートのベルトで繋いだ俺がやったことは、道に迷ったうえに川に落ち、荷物もなくしたどんくさい男を演じることだった。
ミスタ・ブラウンのおかげで、この頭の中にはオルグレン国内の地図がいつでも開けるようになっている。土地の名前さえ聞けば、おのずとライトホールドへ至る道や、彼が印をつけた彼の仲間がいるホテルまでのルートが導きだされる。そのために、誰かに地名を尋ねることが必要だったからだ。
もちろん、シアーシャを木に繋ぐ必要はなかったかもしれない。
でも、シアーシャの存在は無駄に目立つ。俺が鉄橋からシアーシャとともに飛び降りたのをクソ軍人たちも見ている以上、このあたりにやつらがやってくるのも時間の問題だ。俺が彼女の手を引いて村人の記憶に残れば、汽車の中での悲劇を繰り返すことになる。
——ミスタ・ブラウンならきっとシアーシャを隠すだろうし。
「すみませぇぇん」
しばらく周辺を歩き回り、畑仕事にいそしむ善良な夫婦の姿を見つけたとき、俺はせいぜい哀れに聞こえるように情けない声をあげた。
濡れてぼさぼさの髪、ドロドロの服、ドタドタ音のする古い靴で手を振りながらやってくる若い男の身に、夫婦はなにか起こったのだと察してくれたのだろう。すぐに手を止め、いぶかりながらも畑から出てきてくれ、この辺りの地名と一切れのパンを分けてくれた。
聞き出した地名は、思ったよりライトホールドから離れていなかった。ミスタ・ブラウンの仲間のホテルにも行けない距離ではなかったが、オルグレンにこのまま居続けるリスクを思えば、無理をしてでも国境を越えたほうがいいと、俺の中のモルシアンの世話役はいう。ライトホールドの現女王の治世は安定している。いまさらモルシアンを捕えて玉座を狙うクソ野郎はいないからだ。
すぐさまシアーシャの許に取って返し、彼女にもらったパンを食べさせる。俺は空腹でも平気だ。シアーシャの兄役の俺が、腹の虫を鳴らしながらそう訴えた。
「さて、しばらく歩くぞ、シアーシャ」
無口な彼女との二人旅は、思ったより悪いものではなかった。
外の世界を知らずに氷雪の大地の神殿で育ったせいか、シアーシャは、周囲の灌木の中や鳥の鳴き声、遠くを走る汽車の汽笛などあちこちに興味をむけては立ち止まったり、急に走り出したりと、俺の気の休まる暇を与えてはくれなかった。なのに、ヴァリタがエストリュースから俺たちと出会うハーゲルまでの間、どんなに幸せな時間を過ごしていたのかだけは、ちゃんと伝えてくれた。
——彼女は無事なのだろうか。
自分の顔が男に与える影響をわきまえていると彼女はいったが、あれだけ暴れていては、別の意味で影響を与えかねない。恐ろしい考えが頭に浮かび、頭を振ってそれを追い出そうとしたとき、
「だいじょうぶぞよ」
ちいさな子どものような声が聞こえて思わずシアーシャを見たが、彼女はあいかわらずの無表情で俺の隣を黙々と歩いていた。
……誰の声だ? いまの。