複雑・ファジー小説

「知恵と知識の鍵の騎士団」3章2 ( No.23 )
日時: 2017/07/04 23:08
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)

 シアーシャと俺の、比較的穏やかな道行は、国境まであと少しというところで終わりを迎えた。

「ずいぶんと時間がかかったではないか、モルシアン」
 大時代的な台詞とともに車から現れたのは、やっぱりどこか大時代的な格好をした中年の男だった。なにを喰ったらそこまで太れるのか。ブタもあきれて見上げるほどのでかい腹を揺らして、甲高い声で名乗りを上げる。
「わたしは、オルグレン国王王弟、ギデオンである」
 まさかの、反王太子派筆頭のご登場だった。

「汽車の中では、いざというところで王太子派軍閥の妨害にあい、わたしの兵は囚われ、おまえまで逃してしまったが、」
 ——え?
 素人演劇でももう少しまともな演出をするぞと呆れかえるほどおおげさな身振り手振りのなか発された言葉を、俺は聞き逃さなかった。王太子派の軍閥の妨害で自分の兵が捕らわれたとこいつはいった。
(私が行く)
 それって! それって!!

 正直この状況は絶体絶命といっていい。なにせこっちは武器も持たない俺とシアーシャふたりきりなのに対して、王弟はガッツリ私兵を連れてきている。抵抗なんかしようものなら、問答無用で俺はハチの巣だ。舞台の上なら、絶望に打ちひしがれ、悲嘆にくれて、観客の涙を誘う悲しげな歌を朗々と歌い上げているところだろう。
 なのに、俺の胸にはいま、絶望どころか希望が生まれた。皮肉屋のグリーンランド人が、状況を楽しむために顔をのぞかせてきた!

「不届き者に攫われたおまえを、わざわざ保護しに参ってやったぞ。いくら子どものおまえでも、それがどんなにありがたいことか、ようようわかるだろう。さ、こい、こい」
 わーお! 真正のクソ野郎だ!
 赤やら緑やらの指輪をはめた、極太のソーセージみたいな指をちょいちょい動かして、まるで犬猫を呼ぶようにシアーシャを招く。しかも、その背中に数台の戦車を並べておいて、だ。

 ——このクソ野郎が王弟殿下だなんて、オルグレンの民に心から同情するな。
 俺はシアーシャの手をしっかり握り、腹に深く息を吸い込んで、言葉を持たない彼女の代わりに答えてやった。
「断ぁるっ!!」

 舞台で鍛えた俺の声は、果たしてどれだけの威力があっただろう。悔しいが、でかい腹をさらっとひと撫でした程度でしかなかったようだ。なにも聞こえなかったかのように、王弟殿下は滔々と語りだす。
「おまえはわたしを王に選ぶのだぞ。そうすれば、ただ寒いだけでなにもない島国で育ったおまえにとびきりの贅沢をさせてやろう。見よ、この指輪を。どれもおまえの祖国の国家予算レベルだ」

 おまえの祖国? シアーシャが生まれたときからエストリュースにいるとでも思っているのか? ついでに俺のグリーンランドもバカにしてるのか?
「欲しかろう? 羨ましかろう? 子どもだというても女だからの。わたしを王に選べば、ひとつぐらいはくれてやる。どうよ、心動いたか?」
 それで人の心が動くとマジで信じているなら、こいつ、救いようのないバカだ。

 王弟が話せば話すほど、俺はやつの後ろで銃を構えていたり、戦車の主砲をむけていたりする私兵が哀れに思えてくる。さらにいえば、汽車の中で、ヴァリタに仕留められていた私兵すら気の毒に思えてきた。ミスタ・ブラウンが懐柔した王太子派の軍閥に慰められるといいな。
「なあ、シアーシャ」
 俺はまだまだ続いている王弟の言葉を完全無視して、繋いでいたシアーシャの手を軽く揺らした。

「こんなのが即位して、おまえ、神様の寿ぎの言葉ってやつ、授けたいと思う?」
 もちろん返事を期待してそういったわけじゃない。シアーシャに話しかける形をとった、ただのひとりごとのつもりだった。けど、
「否」
 幼い声がそういったとき、チッ! となにかが弾ける音がした。瞬間、
「————ッッ!!」
 ドン!!という爆音が、地響きと閃光を伴ってこの場に降りかかった。