複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」3章3 ( No.24 )
- 日時: 2017/07/05 22:24
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
俺は——いや、俺だけじゃない、その場にいたすべての人間が、いま自分の身になにが起こったのか全く理解できていなかっただろう。なぜなら、俺たちは全員、忘れていたのだから。ここに、真に人ならぬ存在があったことを。
目を焼くほどの光に視力を、耳を聾するほどの音に聴覚を奪われた俺が唯一感じられたのは、なにかが焦げるにおいだった。
「落雷? こんなにタイミングよく?」
「ろくでなしの大根役者よ。よく考えよ。そなたのそばにおるのは誰じゃ?」
視力と聴覚がゆっくり回復しはじめたとき、誰ともなしに問いかけたそれに、幼い声が答えをくれる。俺は声の方向を見た。繋いだままの俺の左手をプラプラと揺らしながら、満月の瞳が俺を楽しそうに見上げている。
「……シアーシャ?」
にこん、と彼女は笑ってみせた。
「…………」
頭が追いつかない。状況に理解が追いつかない。追いつかないついでに周囲を見回せば、俺とシアーシャ以外、その場に立っているものはいなかった。王弟殿下は太った腹を上向きにして転がっているし、銃を構えていた兵士も銃を手放し、あちこちに倒れていた。主砲をむけている戦車はそのままだったが、おそらく中の兵も似たり寄ったりなのだろう。
もう一度シアーシャを見た。彼女はいたずらっ子のような顔をした。
「安心せい、加減はしたぞよ。ちょっと感電して、気を失うておるだけじゃ」
無口で無表情の俺の妹シアーシャが、人格崩壊を犯していた。
二の句が継げず彼女を見下ろしたままの俺の稼働スイッチを押してくれたのは、車が急停車し、そのドアが開く音だった。
「——モルシアン!!」
ヴァリタの声だった。はっとなって振り返れば、あれだけの大立ち回りをしておいて怪我ひとつ負ってない彼女が、一直線に駆け付けてくるところだった。シアーシャの前で膝をつき、「遅かったの、ヴァリタ」と笑う彼女を、力いっぱい抱きしめる。
「お許しを、モルシアン。遅れたうえにおひとりにし申し上げ、誠に申し訳ございません」
「気にするな、ひとりではなかった」
シアーシャは涙に震えるヴァリタの背中に細い腕を回し、ぽんぽんと慰めるように叩いている。これじゃどちらが年上かわからない。その刺激に、急に我に返ったかのように身を引きはがしたヴァリタに、うふふと笑って、
「そなたが気をきかせてくれたおかげで、わらわはこの大根役者とでーとを楽しめたぞ」
「あら、素敵」
「——あら素敵じゃねぇよ、説明してくれよ、なにが起こっているんだいま!!」
混乱のあまり心の声がダダ漏れだったらしい。
「黙れ」
低い声が聞こえると同時に、頭にひどい衝撃が走った。物理的な痛みを伴うそれには覚えがある。
「〜〜〜……いってぇなあ! 二度目だぞ、ミスタ・ブラウン!」
別れてから、まだ半日も経っていない。なのになぜかしらひどく懐かしく感じられる有能なホテルマンが、にこりともせず、そばにいた。
「おまえを落ち着かすにはこの方法が手っ取り早いな」
「言葉があるんだ、口を使えよ口を」
「……口を?」
——おおっと、嫌な記憶が甦ってくるぞ。
思わず口を両手で塞ぎ視線をそらした俺に、ヴァリタが声をかけてきた。
「アレク、ご紹介いたします。あなたのシアーシャの中にいまいらっしゃるのはイズラエル様でございますよ」
「は?」
ヴァリタが笑顔でいった内容があまりぶっ飛びすぎてて、頭に入らない。シアーシャの中にいる? 誰が? イズラエル? そんな知り合い、俺にはいない。
ただ、モルシアンが、エストリュースでなんと呼ばれていたのか、どうしてヴァリタたちに言葉を奪われ傅かれていたのかと考えると、ひとりだけその名前に心当たりがある。
「三人の魔女、人の子、イズラエル……?」