複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」3章4 ( No.25 )
- 日時: 2017/07/06 20:23
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
全知全能の神が、その妻の女神たちとの間にではなく、土塊をこねて作ったといわれる三人の魔女。上のふたりはそのしわだらけの醜い顔を恥じ、島のどこかの森の中で日がなタペストリを織っているが、彼女だけは何度も何度も人の胎に生まれ直しているといわれている末妹イズラエル。
シアーシャの顔をした魔女がからかうような顔をする。
「さよう。よくわかったな、そのぼんくら頭で」
わからない。わかりたくない。わかったところで否定したい。だって、
「世界には電気もガスも存在し、車も汽車も走っているんだぜ? 遠くの人間とは電話で話もできるし、蒸気船で世界旅行に出かける家族だってざらにいる。そんな時代に、神話の中の存在がなんでいるんだ? なんであたりまえのように話しているんだ!?」
「意外に頭が固いな大根役者は。こちらのひとでなしのほうが、まだ柔軟じゃ」
「ホテルマンとして躾けられておりますので」
恐縮したように、ミスタ・ブラウンが胸に手を当て、軽く頭をさげる。
——たぶんそれ褒め言葉と違うと思うぜ、ミスタ・ブラウン。
結局イズラエル・イン・シアーシャは、それ以上、俺の理解を求めようとはしなかった。
かわりに、ミスタ・ブラウンたちとともにこの場にやってきた、彼が懐柔した王太子派の軍閥の皆様——あとで聞いた話によると、俺たちを殺してもかまわんといっていた王太子派の軍人は、なんと、ミスタ・ブラウンの顔見知りだったそうなのだ。ライトホールドとオルグレンは、オルグレンとハーゲルほどには仲が険悪ではない。よってオルグレン王室の方々がライトホールドを訪問する機会も多く、ライトホールド・ロイヤルホテルは、彼らの定宿だというのだから驚きだ。で、随従することも多かったその軍人は、お客様には愛想のいいミスタにうまい酒を出す酒場をよく教えてもらっていたというのだから、あきれるほどに世界は狭い。もう少し川に飛びこむのを踏みとどまっていたら、いまごろはなにごともなくライトホールドに入国し終えていたというわけだ畜生——が、文字通り焼き豚になった王弟殿下たちをずるずる回収していくのを背景にして、忠実な世話役に言葉をかけていた。
「シアーシャとかいうたか。わらわの依り坐しであるこの童女を、死の床にある童女の母の許へ連れていきたいと願うたそなたの気持ち、わらわは嬉しく思うたぞ」
「もったいないお言葉にございます、イズラエル様」
膝をつき、頭をさげ、ヴァリタが恐縮する。
彼女は、自分はほかのヴァリタと違う、シアーシャの母親が移ってしまったのかもしれないといっていたが、なんとなく、俺はそうじゃないと思いはじめていた。よくわからないが、人が人を大事に思う気持ち——大切な人の力になりたい、大切な誰かの役に立ちたいって気持ちはなにも母親の専売特許じゃない。人が人だからこそ持ちうる感情なんだと感じはじめていた。ずっと握っていた、ちいさな手のひらのせいで。
「——……」
ほんの少し寂しくなった左手をコートのポケットに突っ込む。明日からは、また、悪徳不道徳大歓迎、道を踏み外してこそ役者アレスター・マッカリースに戻るのだ。兄の役目はもう終わったのだから。
——終わったはずだった。いや終わったのは終わったのだ。ただ、関係がかわりすぎるくらいかわっただけで。
数分後に爆弾を投下するその真犯人は、ヴァリタから、俺の近くで煙草をふかしはじめたミスタ・ブラウンに視線をむけた。
「わらわが許すゆえ、この童女とヴァリタをグリーンランドにつれていきゃれ。そのほう、助力はたのめようの?」
シアーシャの中身は彼のホテルの最高級スイートの上客ではない。遠慮する相手がいなくなったいま、ミスタはくわえ煙草のまま、ちいさく肩をすくめてみせた。
「卑賎の身なれど力を尽くす所存」
「心にもないことを。そなたに出来ぬことは、この世ではわらわを顎で使うくらいではないか。いや、そなたのことよ、わらわをもそのうち顎で使うつもりであろ?」
「おたわむれを」
言葉では道化ながら、神をも畏れぬひとでなしは、煙草を持つ手で隠した口元にまんざらでもない笑みを浮かべていた。そして神の娘のほうでも、その反応は予測済みだったようだ。
「借りをひとつ、作ってやったぞ。どうせ顎で使うなら、うまく使え」
「承知」
そして、イズラエルは最後に俺を見た。
編みこんでいた黒髪はバサバサにほつれていて、赤いワンピースも汚れてデロデロで。汽車の中ではじめて目にしたときのあの無表情なシアーシャの面影はどこにもない。けれど、まっすぐに俺を見上げる琥珀色の瞳は、あのときと同じ、満月を映したように美しかった。その口を開くまでは。
「これ、大根役者」
——すでにそれが俺の呼び名なのか。
一応グリーンランドの首都ではそれなりにファンもついていたのだが。
俺の可愛い妹とのギャップにがっくりうなだれておざなりな返事をすれば、彼女はにんまりと笑っていった。
「おまえのシアーシャはまだ言葉を持たぬゆえ、わらわがちとおせっかいを焼いてくれよう」
「はぁ」
「この娘、あと七年もすれば月が満ち、体も整うぞ」
「は……?」
「迎えに来い」
「は?」
「わらわは浮気を許さぬからな」
「——ぶはっ!」
俺より先にイズラエルの言葉の真意を理解したミスタ・ブラウンが盛大に吹き出した。彼は非常に笑い上戸だったのだ。