複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」エピローグ ( No.26 )
- 日時: 2017/07/07 23:14
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
エピローグ
ライトホールド王国の女王陛下が、国境の傍までシアーシャを迎えに来ていたことは、イズラエルに会い、感覚が麻痺した俺にはさほどの驚きにはなりえなかった。
そもそもミスタがいっていたのだ。ライトホールドに入れば女王陛下にお目通り願えると。さらにはこうもいっていた。女王の王配は、俺とグリーンランドの天敵バンクロフトの元軍人で、シアーシャの母親の許まではその安全を保障してくれるだろうと。
まるですべてがミスタの手の内のことのように、その通りに、あれよあれよと自体は進んだ。
おかげでひと晩あけて朝を迎えたときには、カーテンのように厚いベールをすっぽりかぶったモルシアン——そう、あれは俺のシアーシャじゃない、エストリュースのモルシアンだ——が、非情の世話役に徹したヴァリテとともに、バンクロフト王国東グリーンランド州行きの汽車に乗り込み、俺の感傷をすっかり置き去りにしてくれた。
「ミスタ・マッカリース」
ライトホールド・ロイヤルホテルのホテルマンのお仕着せ姿のミスタ・ブラウンが、プラットホームにぼんやりと立ち尽くす俺に声をかけてきた。あまりの展開に——だってまだライトホールド・ロイヤルホテルの最高級スイートは、ヴァリタの名前で借りられているままなんだぜ——すいぶん混乱していたらしい。ここ二、三日で見慣れたミスタの顔を見たら、なんだか泣きそうになった。
ごまかすように両手で頬を何度か叩いて、泣きごとにならないように、皮肉屋グリーンランド人の軽口に聞こえるように、虚勢を張っていった。
「なんだかよくわからない間に、兄をお役御免になっちまったよ」
「そうだな」
ミスタ・ブラウンの口元に笑いがこみあげてくるのが見えた。やめろ。その先は思い出すな。俺のためにも、あんたに熱い視線を送っている周囲の若い女のためにも。
俺が、イズラエルによって、強制的にシアーシャの兄から許婚にクラスチェンジさせられたことが、なぜか彼の笑いのツボにはまったようだった。おかげで、昨晩からずっと、彼は俺の顔を見ては肩を震わせる。まぁ、いいけどな。ミスタとも、もうここでさよならだし。
「——遠回りしたけど、俺もグリーンランドに帰るよ」
ヴァリタから、昨晩のうちに、コンパートメントを一室抑えられるほどの金を渡されていた。おとなしく三号車に乗って、残りを、グリーンランドでの生活資金にあてて、どこかの劇団に潜り込むつもりだと打ち明けたら、ミスタが奇妙な顔をしていた。あの晩、
(男娼の演技はすばらしかったのに?)
そういったときと同じ、不思議そうな顔を。
「な、なんだよ、その顔」
なにが彼にそんな表情をさせたのかわからずとまどって訊けば、彼は思いがけないことを訊き返してきた。
「私の下で働くのだろう?」
「は!? なんで!?」
思わず声が大きくなる。なんでミスタの下で働くのがあたりまえみたいなことになっているんだ? 働く気はあるかって意思確認じゃなくて、働くのだろうって事実確認ってなんで!?
周囲の視線が集まっているのがわかる。でも、それを避けて、この話をあいまいにするわけにはいかない。
まっすぐににらみつける俺を映した薄い水色の瞳は、やっぱり凪いだ湖の光を湛えていてとても綺麗だった。彼はいった。
「騎士の叙任式をしたろう」
「したけど、あんなの真似事じゃねえか」
「あれは、《知恵と知識の鍵の騎士団》——つまり、私たちホテルマンの仲間になる入団式のつもりだったのだが」
「!? だから、あの、」
(知恵と知識をもって、扉の開き手たれ)
奇妙に思った宣誓文の一説。ミスタのお仕着せを飾る、金色の襟章。開かれた本の上の、ちいさな鍵。
「……でも、俺は役者で……」
「私は元男娼だが?」
俺の顔を覗き込んだミスタが笑う。屈託のない笑顔だった。
過去を晒してまで俺の演技を褒めてくれた彼に敬意を払いたくて行った叙任式の真似事だったはずなのに。
「マジかよ!」
爆笑する。
いけ好かないやつだと思った。ひとでなしだと思った。でも、軍隊どころか女王まで動かしたこんなスケールの大きな男になりたいと思った。
それでいつか、とびっきりの美女になったシアーシャにいってやるのだ。
「あなたは、誰を専属ホテルマンに任命したのかよくご存じないようだ」と。