複雑・ファジー小説
- 「知恵と知識の鍵の騎士団」1章3 ( No.8 )
- 日時: 2017/06/19 21:05
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
「……」
男の整った顔がかすかに歪む。その通りだったのだろう。ややあってため息をついたミスタ・ブラム・ブラウンは黙って窓を閉めた。彼は髪を整え、帽子をかぶり直すと、不機嫌そうにどっかと座席に座り直し、足と腕を組む。どちらも長すぎて、隣に座る俺には非常に邪魔だった。
「わたしの休暇は明後日終わる。当ホテルのお客様以外に鍵の力を使うつもりはない」
「客に、なればよろしいのでしょう?」
女はにっこり微笑み、いまは足元におろしていた背負い袋の口を開ける。驚くことにそのなかには、島内のありとあらゆる国の紙幣や硬貨がみっしり詰まっていた。
「これで、あなたのホテルの最高ランクの部屋を一週間お借りします。あなたは、わたくしたちの専属ホテルマンにおなりなさい」
命令し慣れた男が他人の命令に膝を屈するたいへん珍しい光景がそこにはあった。
——いいね。やるじゃん、この美人。
ふたたび深いためいきをついたミスタ・ブラウンは、専属ホテルマンになる覚悟を決めたらしい。帽子を取り、立ち上がる。さっと襟元を整えると、窓から出ていけといったひとでなしぶりはどこにいったのか、誠実な表情を浮かべていった。
「ライトホールド・ロイヤルホテル、エイブラハム・ブラウンと申します。お客様が当ホテルにご滞在の間、ご不自由なくお過ごしいただけますよう、心よりお仕え申し上げます」
「わたくしはエストリュースのヴァリタ、こちらは当代のモルシアン。よろしく頼みます」
ヴァリタね、ヴァリタ。かわった響きだが、いい名前じゃないか。そう思った俺だったが、すぐにそれが間違いだと知らされた。誠実なホテルマンの顔から、こっちが素なのだろう、ひとでなしの顔に戻ったミスタ・ブラウンが座席に腰をおろしながら、ヴァリタに問うたのだ。
「こうなったら泥船を戦艦にするつもりでつきあう。だから、その前に聞かせてくれ。モルシアンは大人になるまでシューテを出られないのではなかったのか? それに、ヴァリタはモルシアンの世話係の総称だろう。なぜその世話役が率先してモルシアンを連れて逃げている? 誘拐したというのはほんとうか?」
ヴァリタは笑った。
「ほんとうによくご存じでいらっしゃる。襟章は伊達ではございませんね」
「ホテルを利用されるお客様のバックグラウンドぐらい、押さえておくのが仕事だ。おまえは以前、陛下の即位式でエストリュースの使者としてきたからな」
「お勉強熱心ですこと」
ヴァリタはコロコロと笑う。金を払って上客になった以上、ミスタ・ブラウンがどんなにひとでなしでも、けして頭をあげられないってことをよくわかっている。
苦虫を噛み潰したような顔をしたミスタ・ブラウンに、ヴァリタは答えた。
「モルシアンは、もともとエストリュースに生まれた子どものなかで選ばれることはご存じでいらっしゃいますね? ですが、この黒髪でおわかりいただけるように——いいながら、ヴァリタは少女の頭を撫でる。少女は無表情でされるがままになっていた——、当代のモルシアンはエストリュースの人間ではないのです」
「ほう」
「先代のモルシアンがご退位なさったあと、国内を探し尽したわたくしたちはこちらの島のなかで探すことに決め、隣国ハーゲルだけでなく、あなたの国も、バンクロフトも、あちこちで探して参りました。そして、ようやく見つけ出したのがバンクロフト王国東グリーンランド」
「東グリーンランド?」
俺は思わず声を挟んでしまった。