複雑・ファジー小説
- Re: まなつのいきもの ( No.1 )
- 日時: 2017/07/04 13:21
- 名前: 星野 ◆a7opkU66I6 (ID: aruie.9C)
【みんなの久住くん】
「沢城さん、いいだろ。天文学研究会に入れてくれよ」
夕日が射す教室で、久住くんは鮮やかに笑った。くしゃっとした、子供みたいに混じり気のない笑顔に、私は思わず顔をそらす。久住くんは、いつもこうだ。顔が整っていて、背が高くて、人当たりが良くて、みんなの人気者。だから、久住くんの頼みに首を横に振る人なんて、いないのだ。
「でも、私たち3年生だし」
「それがどうかした」
「高校受験だってあるのに、新しく部活に入る人なんていないよ」
私の言葉に、久住くんは大袈裟な仕草で肩を竦めた。久住くんの仕草はどこか演技じみていて、様になる。
「いいだろ、クラスメイトの仲なんだし」
久住くんは入部届けを私に手渡した。そこには几帳面な文字で、久住宗治と書かれている。久住、宗治。フルネームを舌で転がしてみると、何故だか違和感だけが残った。たぶん、久住くんは誰よりも現実感を抱かせない。月並みな表現だけれども、漫画から飛び出してきたような、完璧な存在だった。だから久住くんの周りには人が絶えず、孤独というものから最も嫌われていた。
「沢城さんが部長なんだろ」
「うん、そうだよ」
「そんなの、絶対面白いに決まってるって」
一体どうしてそんな思考回路になるんだろう。久住くんの顔をまじまじと見据えた。一等星みたいにきらめく双眸とかち合って、少し息を飲んだ。久住くんの表情は一点の曇りもなく、別段からかっているという風でもない。
「とにかく、さ」
机に腰掛けていた久住くんは、伸びをしながら立ち上がった。一本筋の通った背は、橙色に染まっている。まぶしい、と思う。なんとなく目を細めて、この人の姿を眺めた。
「これからよろしくな」
あ、またあの笑顔。本当に、よくできた人形みたいに、何もかもが完璧だった。
「……よろしくね、だけど久住くん。本当に入ってもやることないよ」
研究会とは名ばかりで、部員のほとんどは幽霊だ。週に3度設けられた活動日だって、テスト勉強とか、本を読んだりで終わってしまう。
「ああ、全然いいよ。実をいうとさ、あんまり天文学に興味ないんだよね」
「じゃ、じゃあなんで入部するの」
「つまるところ、沢城さんさんと五十嵐くんですよ」
五十嵐くん。五十嵐くんといえば、堅物が制服を着て歩き出したような人だ。唯一毎週来てくれる部員で、天文学研究会の副部長。
「だからさ、もし2人が美術部でも、陸上部でも、何でもいいんだ」
久住くんの目は緩く弧を描いている。けれども、瞳の奥に、何か冷たいものがしまい込まれてるような気がした。背筋が強張る。あれ、久住くんって、こんな笑い方だったっけ。くしゃっとした、子供みたいな笑い方。でも、ほんのちょっと、例えるなら蛇みたいな。
「五十嵐くんとは去年委員会が一緒でさ、その時から仲良くしたいと思ったんだ。それにさ、沢城さん」
緩慢な動作で、私のことを指差す。嫌に胸の奥がひりついた。
「俺たちって、けっこう似た者同士だと思うぜ」
どこが。その一言は、喉の奥に引っ付いて、発せられることはなかった。私は瞬きすらできずにいた。“みんなの久住くん”と私には、太陽と蟻ほどの差があるように思われた。
私が身動きできないまでいると、久住くんは屈んで、床に放り投げてあった黒のリュックを掴んだ。うつむきがちに伏せられた顔は、殊更映画のワンシーンを思い出させた。
「俺、そろそろ行くわ。じゃあな、沢城さん」
そう言い残して、久住くんは教室を去ってしまった。彼のいた形跡は、私が握っている入部届けしか残されていない。後ろ姿が見えなくなったのを見届けて、私は肺の中の空気を絞り出した。完璧な、久住くん。その完璧さは、どこか無機質だった。何故、彼が私たちに興味を抱いたのかはわからない。けれどもそれが、単なる冗談であればいいと願う。私は、この地球が息を止めてしまうまで、しじまの中で暮らしたいのだ。