複雑・ファジー小説
- Re: まなつのいきもの ( No.10 )
- 日時: 2017/07/09 10:01
- 名前: 星野 ◆a7opkU66I6 (ID: aruie.9C)
【坂から転げ落ちるように 2】
佐倉結菜は、幼稚園からの幼馴染だった。私が砂場で遊べば、遅れて結菜がやって来る。私たちは、いつも一緒だった。関係が変わり始めたのは、小学4年生になってからだったように思う。少しずつ、結菜は嫌われはじめた。理由はよく覚えていない。鈍い性格だったから、誰かの癇に障ったのだろう。それでも当時の私は、純粋な善意によって片割れをすくい上げていた。そのことは、すぐに主犯格に知れ渡った。私もいじめられるだろうと覚悟していたが、現実は逆だった。
沢城郁子は嫌われ者を気にかける、優しい女の子。
いつの間にか、そんなレッテルが貼られるようになった。最初は違和感があったけど、でも、段々薄れていって、それで。人に褒められるのは単純に気持ちが良かった。結菜に施しを与えることで、優越感が生まれた。かわいそうな結菜が必要なのだ。私が、優しい沢城郁子でいるためには。
「結菜、ごめ、ごめんなさい、結菜」
「謝る必要なんてないだろ、沢城さんはそのままでいいんだよ」
嘘みたいに都合のいい言葉だった。ずっと隠し続けていた罪悪感を、再び閉じ込めてしまうための魔法。ずっと、誰かに打ち明けたかった。私は、優しい沢城郁子じゃない。結菜を自分のために利用していた。間違っていると、卑しいと、頬を打って欲しかった。そうしなければ、私はまた自尊心の海に溺れてしまうからだ。
「くすみ、くん」
「大丈夫、大丈夫だから」
骨ばった手が、私の髪を撫でる。目の縁から、涙がこぼれ落ちた。
「どうしよう、私、醜い」
「空虚で、きれいだ」
「うそだよ」
「嘘じゃない」
この人が、怖い。完璧で、空っぽの久住くんは、甘い言葉で私を水底に沈めていく。あのくしゃっとした笑顔が、私だけに向けられていた。
「上手くやってきたよな。いつだって佐倉さんを庇ってきた。けど、ギリギリの所では、虐めを止めなかった。むしろ、煽るようなこともしていただろ」
その通りだった。結菜を助ける手段は、いくらでもあった。けれど、私は肝心なところで傍観者を決め込んでいたのだ。
「沢城さんは、自分が一番可愛いんだろ。誰かに優しくするのは、自分のためなんだ。結局のところ、他人に良い人だと思われれば、何だってするんだ。でもさ、いいよ。俺が許すよ」
「どうして」
「俺、何にも持ってないんだ。好きとか嫌いとか、空っぽだ。沢城さんはずるいよな、星が好きで、佐倉さんがいてさ。一つくらい、失くしてもいいと思うぜ」
久住くんの話し方は、休日の約束を交わすくらいに、気軽なものだった。時折遠くから陸上部の掛け声が聞こえるというのに、この小さな部室は日常から隔離されているように思える。
「私、久住くんが怖いよ」
これだけは、嘘でなんて飾っていない。私の、本心だ。
「知ってる」
目に溜まっていた涙は、久住くんの人差し指で掬い上げられる。早く夜になってしまえばいいのに。考えることを放棄して、深い眠りについて全てを忘れてしまうことができたら、どんなに良かっただろう。