複雑・ファジー小説

Re: まなつのいきもの ( No.11 )
日時: 2017/07/10 08:38
名前: 星野 ◆a7opkU66I6 (ID: aruie.9C)

【夏に絡め取られる】

 部室で、久住と星の話をした。沢城はまだ来ておらず、オレも過去問と睨み合うのが嫌になっていたのだ。たまには天文学研究会らしいとこをしよう、と持ちかけたのは向こうからだった。しかし生憎、互いに星に対する知識量はからきしだ。もうすぐ七夕だったので、天の川を見たことがあるかという話題になった時、ノックの音が聞こえた。最初は沢城だと思ったのだが、顔を出したのは飯塚だった。

「わ、久住くんが天文学研究会に入ったって本当だったんだ」
「何か用か」

 オレと久住の顔を見比べ、飯塚は目を丸くした。久住は愛想の良い笑みを浮かべている。

「久住くん、ちょっとだけ五十嵐借りてもいい?」
「こんなのでよければ、是非」
「ありがとう!」

 飯塚はオレの腕を勢い良く掴み、廊下へ引っ張っていく。握る力がやけに強い。

「ジュース奢るから、1階の自販機の前まで行こ」

 あれよあれよという間に、部室棟と校舎を繋ぐ渡り廊下にきていた。くたびれた自動販売機の隣には、真っ青なベンチが備え付けられている。

「これでいい?」
「ありがとう」

 手渡されたペットボトルを受け取り、蓋を回す。開けた時、炭酸の抜ける小気味良い音が鳴った。

「単刀直入に言うけど、もう一度剣道部に入部するつもりはないかな」
「……ない」

 オレの返事に、飯塚は痛ましげに目を逸らした。

「やっぱり、まだ怖いの?」
「違う」
「じゃあ」
「オレは逃げてしまったから、後ろめたいんだ」

去年の夏まで、オレは剣道部の一員だった。辞める原因になったのは、上級生からの僻みだ。今思えば、もう少しだけ頑張れたのかもしれない。けれども当時のオレには、耐え難いものに感じたのだ。同級生や後輩からは引き止められたが、それを振り切って退部届を出した。やはり、逃げだ。

「それをいうなら私も、他のみんなも、先輩達に反発できなかったよ」
「オレは今まで誰かにひどい扱いをされたことはなかった。むしろそういうやつを助けてきた方だった。だから先輩達に目をつけられたとき、そんな自分が恥ずかしかったんだ。怖いとかじゃなくて、そういうしょうもない理由で辞めたんだよ」

 自分の口から出てきた声は、ひどく疲れが滲んでいた。要するに羞恥心が優ったのだ。飯塚は思案するふうにして、顎に手を置いていた。しばらくして、唇が開く。

「……わかった。これは五十嵐の問題だから、無理には誘わない。そういう心のもやもやって、自分が納得しなきゃ消えないもん」

 そう言って、柔らかく顔を綻ばせた。安堵と同時に、胸に鉛がのしかかる。また、逃げてしまった。オレは卑怯者だ。

「あ、最後に一つだけ聞いてもいい」
「別にいいけど」
「沢城さんと久住くんって、付き合ってるの?」
「……は」

 思いがけなく発せられた疑問に、思考が止まる。その様子を眺め、飯塚は快活そうな笑い声を上げた。

「五十嵐は知らないかもしれないけど、ちょっとした噂になってるよ。天文学研究会のこと」
「全然知らなかった」
「その様子だと、2人は付き合ってないんだね」

 オレは無言で頷く。沢城と久住の間でそういった類の親密な雰囲気を感じたことはなかった。ただ時折2人が一緒にいるところを見かけると、どこまでも黒で塗り潰された穴を覗いているような気分に襲われた。

「じゃあこれで終わり。引き止めてごめんね」
「こちらこそごめんな。部活、がんばれよ」

 鬱屈とした感情が湧き上がる。また逃げてしまった。あの夏の日から、オレは憂鬱なプライドに雁字搦めになっていた。