複雑・ファジー小説
- Re: まなつのいきもの ( No.4 )
- 日時: 2017/07/04 13:32
- 名前: 星野 ◆a7opkU66I6 (ID: aruie.9C)
【サンシャインガール】
遠くでトランペットのメロディが聞こえた。何度か躓いていたが、3回目で明瞭に滑り出す。窓に目線をやれば、サッカー部の鮮やかな青いユニフォームが、校庭を駆け回っていた。
「五十嵐、余所見しないで。日誌、早く終わらせよ」
飯塚はため息をついて、オレの肩を軽く叩いた。拍子に、制汗剤の匂いが鼻をくすぐる。セーラー服の襟から、小麦色の肌が見えて思わず顔をそらす。耳の裏が妙に熱い。
飯塚は、沢城と鏡合わせだ。いつも自信に満ちていて、物事をはっきりと言える女子。沢城が百合なら、飯塚はきっと向日葵だ。
「悪かった、後はオレがやっておくよ。剣道部あるだろ」
「いいよ、私も日直だもん」
そう言って、オレの前の席に腰を下ろした。書きかけの日誌に視線を落とす。無味乾燥とした文章が綴られているばかりだ。
「これじゃ、面白味がないでしょ」
飯塚は軽やかな動作で、オレからシャープペンを奪い取る。飯塚は楽しそうに口元を緩めて、備考欄を落書きで埋めていく。バランスの崩れた犬や、やけに尻尾の太い猫は、ある種の親しみやすさを感じさせた。
「五十嵐は」
手を動かすのを止めないまま、飯塚は語りかける。
「天文学研究会だっけ、楽しい?」
「楽しい、っていうよりは、それらしいこと全くしてないからな」
「星とか見に行かないの」
「2年の春休み、部長と顧問でプラネタリウムに行った」
それが、オレが覚えている唯一の活動だった。ここから電車に乗って3駅先の、小さなプラネタリウムで、オレたち以外に観客はいなかった。星を、特別好きだと思うことはない。けれどもあの時見上げた人工的な光彩に、僅かに感動したことを覚えていた。
あれは一等星のアークトゥルス、先を見るとスピカがあるの。春の大曲線って言ってね。
ガイド音声よりもはやく、熱に駆り立てられた囁き。真剣な沢城の横顔は、触れたら涼しい音を立てて砕けてしまいそうだった。
「部長って、沢城さんだっけ」
「知っているのか」
少し、驚いた。2人は何の共通点もなさそうだったからだ。
「1年の時同じクラスだったんだ。あの子、すごくしっかりしてるよね」
そうだろうか。反論しようとして、無意識に口を開けた。
「沢城は、危なっかしいやつだ。放っておいたら、きっと消えてしまう」
「へえ」
飯塚は、愉快そうに目を細める。気づけば、日誌に書けるスペースなんてなくなっていた。
「沢城さんのこと、好きなんでしょ」
「どうしてそうなる」
「違うの」
そう問われて、オレは苦笑いして首を横に振った。沢城のことは、オレのお節介だ。そういった感情ではない。飯塚はつまらなそうに口を尖らせる。きっと、目の前の彼女は気づかないのだ。オレの、好意の行き先を。けれども、それでいいと思った。
「じゃあ、先生に日誌渡してくる。部活、頑張ってな」
「やば、のんびりしすぎた。ありがとう、五十嵐!」
勢いよく立ち上がり、飯塚は教室を飛び出そうとする。高い位置で括った、彼女の長い髪が左右に揺れた。一度だけ、彼女は振り向く。
「ねえ、五十嵐。もう一度、剣道部に戻ってきなよ」
俺が返事をするより先に、飯塚は走り去ってしまった。憧憬と熱量がない交ぜになる。オレは、向日葵に焦がれていた。