複雑・ファジー小説
- Re: まなつのいきもの ( No.5 )
- 日時: 2017/07/05 08:19
- 名前: 星野 ◆a7opkU66I6 (ID: aruie.9C)
【無色透明】
いつもより、部室に向かう足取りは重かった。久住くんが入部してから、私は何かにつけては、部活を休んだ。だから、だいたい1週間ぶりに、部室棟に踏み入れたことになる。私と五十嵐くん以外は幽霊部員だったとはいえ、ずっと部長が顔を出さないわけにはいかない。部室の前に着くと、一度呼吸整えてから、扉を開ける。
「沢城、久しぶりだな」
部室の中には、五十嵐くんの姿しかなかった。彼は机上にノートや参考書を広げ、難しい顔をしている。
「ごめんね、ずっと部室任せっぱなしにして」
「構わない」
「……久住くん、来てた?」
「来たり、来なかったりだな」
よかった。胸のつかえが、少しだけとれる。私もいつもの場所に座り、鞄の中から本を取り出した。大抵、五十嵐くんは受験勉強、私は読書に取り組む。私の志望校はさして頭のいいところではない。このままいけば、合格圏内だった。
夜の帳の色をした表紙をめくる。図書がで借りた本だからか、乾いた匂いがした。小説を読むとき、あまり感情移入することはない。前にクラスで流行っていた恋愛小説を貸してもらったことがある。女子たちは口々に泣いた、だとか感動したといった類のことを言っていた。確かに泣ける内容なのだとは思ったけれども、ただ、それだけだった。
「あ、沢城さん。今日は来てるんだ」
「……久住くん」
心臓が、波立つ。上手く、名前を言えただろうかと不安になった。久住くんは、どうやら今来たばかりのようだ。飄々とした表情で、私の隣の席に座った。ポケットからミュージックプレーヤーを取り出し、緩やかな動作でイヤホンを耳につけ、目を閉じてしまった。部室は、奇妙な静けさに包まれる。
最近の久住くんはおかしい。時々、例の笑顔を浮かべながら、私に見えないナイフを突き立てるのだ。
「教室に忘れ物した、ちょっと行ってくる」
沈黙を破ったのは、五十嵐くんだった。気遣わしげな視線を感じたので、私は笑顔で「大丈夫」と頷いた。
「五十嵐くん、ついでにコーラ買って来てよ」
「自分で買ってこい」
「あはは、ケチだな」
屈託のなく笑う久住くんを、五十嵐くんは軽くあしらい、出て行ってしまった。“みんなの久住くん”は、誰とでもすぐに打ち解けてしまう。長年の親友みたいな気安さで、話しかけるのだ。2人だけの部室は、澱ばかりが残る。
「何読んでるの」
不意に話しかけられて、思わず本を落としそうになった。
「星の、本」
「星の一生、恒星進化論について……。駄目だ、頭パンクしそうだわ」
開いていたページを覗き込まれる。久住くんは楽しそうだ。
「星の一生っていうと、まるで、生きているみたいだ」
久住くんが呟く。しかし狭い部室では、確かな音になってあたりに響いた。
「そっか。沢城さんは、星が好きなんだな」
「……そうだね」
今日の久住くんは、とても穏やかだ。私は、何故だか次の言葉を探さなきゃいけない気分になった。
「久住くんは、音楽とか好きなの」
机に置かれていたミュージックプレーヤーを示す。所々に傷があり、年季の入ったもののように思えた。久住くんの両目が、僅かに見開かれる。
「聴いてみる?」
イヤフォンを手渡される。躊躇いがちに、私はそれを耳に着けた。スローテンポの曲だった。掠れた、しかしよく透き通ったボーカルの声は、世の中の不条理を叫んでいる。
「この曲、ありきたりでつまらないよな」
「好きじゃないの?」
珍しく、久住くんは逡巡した素振りをみせた。
「俺、好きとか嫌いとか、よくわかんないんだよね」