複雑・ファジー小説

Re: まなつのいきもの ( No.6 )
日時: 2017/07/05 20:24
名前: 星野 ◆a7opkU66I6 (ID: aruie.9C)

【誰も知らない 1】

 6月ともなれば、中間試験も終わり、体育祭に浮き足立つ時分だ。その日は朝から体育祭の予行練習で、曇り空が広がっていた。正午を回れば生徒の大半は飽きてきたのか、出番がない時は応援席で雑談に興じるようになる。オレは恨めしげに、そのようなやつらを睨みつけた。今年は運悪く、体育祭実行委員になってしまったのだ。いくら予行とはいえ、仕事は大量にあった。

「五十嵐。申し訳ないけどこの段ボール、教室に運んで置いてくれる」
「はい、わかりました」

 担任に呼び止められる。段ボールを持ち上げれば、想像よりは重くなくて拍子抜けした。校舎に入ると、若干の違和感を覚える。いつもは嫌でも誰かに会うというのに、この時ばかりは静謐としていた。大半の生徒は校庭に集まっているのだから、当たり前だろう。

「本当にうざったい」

 3年の教室が並ぶ階に差し掛かる。話し声が聞こえた。

「あたし、佐倉のそういうところ、気に食わない」
「……ごめんなさい」

 不穏な気配がして、オレはこっそりと声のした方に近づく。沢城達のクラスだった。教室の中を見れば、数人の女子生の姿があった。思わず、顔をしかめる。どう見たって、これは明らかないじめだった。佐倉と呼ばれた女子の表情は、うつむいていてわからない。

「ねえ、郁子がどれだけあんたに迷惑したと思ってんの」

 とりわけ綺麗な容貌を持った女子が、佐倉の肩を掴んだ。郁子。オレはその名前を知っていた。沢城だ。もしここで、沢城の名前が出なければ、オレは助けに入っていただろう。

「清水こわーい」
「佐倉さんかわいそ、清水に目つけられちゃって」

 どうやら、清水が中心人物らしい。周囲のからかいに、清水は形の整った唇を釣り上げる。

「……おい」

 耐えきれなくなって、オレは飛び出した。段ボールなんて適当に投げ捨てる。清水はこちらを一瞥しただけで、くすくすと笑い声を立てる。周りの取り巻きは、流石に焦っていたようだった。

「生徒は校舎立ち入り禁止だぞ、さっさと出ていけよ」
「あんただって、そうじゃん」
「オレは、実行委員の用事で来た」

 清水と正面から対峙する。よく見れば、清水の顔立ちは確かに人目をひくものだった。黒目がちの目は、溢れそうなほど大きい。思わず飲み込まれそうだ。

「まあいいけど。ほら、佐倉行くよ」

 強引に佐倉の腕を引っ張る。佐倉の指先は微かに震えていた。

「待てよ。その子、顔が真っ青だ。オレが保健室に連れてく」
「清水、もう行こうよ、やばいって」
「あっそ、勝手に連れてけば」

 清水は冷静だった。佐倉から手を離すと、仲間と連れ立って去って行く。ようやく、佐倉は顔を上げた。

「……ありがとうございます」
「いつも、あんな感じなのか」
「いつもは郁ちゃん、あ、私の幼馴染が助けてくれます」

 消え入りそうな弱々しい声だった。佐倉は力なく微笑む。

「沢城か」
「知ってるんですか」

 一瞬、佐倉の瞳に光が灯る。もっと自分自身に手をかけてやれば、彼女は輝けるのだろうと思う。

「私が困ってると、郁ちゃんが手を引っ張ってくれるんです。でも、そろそろ自立しなきゃ」

 自分に言い聞かせるような呟きだった。事実、そうだったのかもしれない。励まそうとして、口を閉ざす。オレは、他人だった。佐倉と俺の間には、硝子の仕切りがあった。無理に、壊す必要はない。