複雑・ファジー小説

Re: 紫陽花手帳 ( No.3 )
日時: 2017/07/18 19:00
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: Q19F44xv)
参照: 毒林檎と彼女

 



 ベッドの上で本を広げながら、その小さな文字を追う。もう既に半分ほど読み終えたその本は、少女と少年が真夏の夜、心中しようと2人ひっそりと計画を立てる、という話だった。
 くだらない、と思った。既に半分、たかが半分。しかしまだ半分読み終えた時点で思ったのは、こいつら自分に酔いすぎだ、ということだった。
 少女の方は、生まれつき病気で、彼女はそれがもう治らないことを知っていた。かるーく読み飛ばしたせいか余命の部分は覚えていなかったけれども、多分もうすぐ死ぬのだろう。描かれた彼女の日常を読んでゆく限り、とてもそうは思えなかったけれども。
 少年の方は、学校でいじめにあっていて、帰っても親は仕事でいなくって、それで、という感じだった。彼に死の気配は何も無かったけれど、多分もうすぐ死ぬのだろう。だって、心中しようなどと言っているのだから。

『嗚呼、僕たち【私たち】は、なんて不幸なんだろう!』
 
 つまりはそう言いたいだけなのだ。周りの大人たちにも、読者側にも。実際、2人は可哀想な境遇だし、僕も可哀想だなって思う。
 けれども、自分たちが世界で1番不幸だ!と主張しているような感じが嫌だった。
 お前らなんかより、不幸な奴らはどこにだっているさ!
 なんて心の中で呟いてみたって、本の中の彼らには届きやしない。つまり、所詮は架空のものなのであるから。
 僕の気持ちなんてお構いなしに、物語は進んでゆく。続きが見たくなければページを捲らなければ、文字を追わなければいいのに、僕は決してそんなことをしなかった。
 2人の人生を見届けたい。それだけだ。
 次のページで、いきなり2人は心中を決行した。高校の裏の中庭で、首を吊ったのだ。しかし、少年だけは生き残った。なぜか。怖気付いたのだ。最後の最後に。
 物語は終盤へと近づいてゆく。少女の死を目の前で見、冷たくなってゆく彼女に触れて怖くなり、生き残った少年は前にも増して暗くなった。塞ぎ込み、いじめられてももう何も反応を返さないようになったのだ。
 ご飯も食べず、家に帰ってもぼおっと過ごしているだけ。この辺は、クラスのとある女の子の第3者視点で描かれていて、何故その女の子が彼の家の様子を知っていたのかというと、エッチをしたからだ。
 彼女は甲斐甲斐しく世話を焼いた。普段はクラスでいじめを見て見ぬフリをしているくせに、どういう思考をしているんだろう、と思ったけれども、まあ架空の物語なので気にしない。
 不思議だった。日に日に弱ってゆく彼からは死の匂いがする。物語に彼の名前が出てくる度に、湿り気のある、濃密な香りが僕の鼻をついた。序盤の彼に、死というものは漂っていなかったのに。
 それはきっと、少女という死が、彼に寄り添っているから。これからも、ずっと、ずっと。
 最後、彼はとうとうぶっ倒れ、病院に運ばれた。そこで少女の母親に出会い、彼女が生前に残した手紙を渡される。その長ったらしい文章の中にあった「生きて」という一言に彼は生気を取り戻し、もう1度生きる決意をする。そんな話だった。
 後書きは無かった。僕はそのまま本を閉じ、ついでに目も閉じて、静かにため息をつく。

「つまらない……」
「あーら、つまらないとは何事?」

 いつの間にか、病室に彼女がいて、林檎を剥いていた。慣れた手つきで皮を剥いてゆく彼女を見て、そういえばナイフって林檎を剥くための道具だったな、なんて思った。

「いや、くだらない話だったなって思ってさ」
「えー、私はけっこう面白いと思うけど。だって、君の人生じゃん」

 はい、と綺麗に切り分けられた林檎をお皿に載せて、彼女は乱雑に机に置く。それを手に取って口に放り込むと、しゃりしゃり、と良い音を立てて消えていった。あのときの林檎みたいに。

「あんまり面白おかしく、人の人生を書かないでよね」
「だって勿体ないじゃん。このまま君の人生……私たちの人生が、誰にも知られずに消えてしまうのは、さ」
「……それもそうか」

 彼女もまた、林檎をしゃりしゃりと言わせながら食べてゆく。
 僕にとって、この林檎、という食べ物は、***が死んでから初めて食べたものだ。いや、食べさせられた、というべきか。そして、***と出会ったきっかけでもある。とにかく、思い出の食べ物には違いなかった。

「ま、僕、もうすぐ死ぬしね」
「私もいずれ死ぬしね」

 ははは、と笑い合う。実際笑い事ではなかったけれど、笑うしかなかった。
 僕らは***と同じ病気で死ぬ。当たり前だ。その病気は誰かから***、***から僕、僕から彼女へと伝染した。
 というかそもそも、人間、みんな同じ病気で死ぬ。人によっては病院に行かずに死ぬかもしれない。彼女は木の上で死んだ。
 そして、真っ青な病院の空を見て今、僕らは誓った。
 僕らは地球の上で死ぬよ、***。これでおあいこだ。
 林檎を食べながら。