複雑・ファジー小説

Re: 紫陽花手帖 ( No.14 )
日時: 2017/09/18 22:12
名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: v7ZN/YIy)
参照: 小夜日記②



 
 最近涼しくなってきましたね。俳句でも詠みたい気分です……文芸部の方で詠んできます(笑)

 本を読みました。久しぶりに。あ、今までも読んでいましたよ。でも、最近は読んでなかったんです。
 大好きな読書に苦痛を感じ始めたのは、確かこの春くらいから。
 読み始めると、つっかえるようになりました。なんか、英文を読んでいるみたいに、1度脳内で復唱して、日本語に訳す感じ。違う言語のものを読んでいるような、ほんの少し苦痛を感じる状態です。英語大っ嫌いなので。
 色々理由を考えてみたのですが、多分、自分、という存在が固まってきたからかな、と。自分とは何か、自分とはどういった人間か。それがわかってきて、読書という、ある意味他人の思考、信念、人格を受け入れる行為を拒否してしまうんじゃないか。
 私、読書は子供の頃にしておくべきだと思います。高校生とかになってから読むのは遅いです。ずっと読書をしてこなかった友人は、本を読もうとすると目眩がするそうです。小さい頃から習慣をつけないと、読書を受け入れるのは難しそうです。
 そして、子供というのは、まだまだ自我が定まりきっていないのではないかな、と思います。人は生まれて自分で息をして、泣いたり笑ったりして、自分とは何かを探してゆくのでしょう。赤ちゃんの頃から自我があるのか、というのは専門家ではないので詳しく語らないでおきます。わからないし(笑)
 反抗期を終える頃が、自我が定まる頃かも。親から離れ、自立する。その瞬間から、自分が「親から生まれた人間」ではなく、「自分という人間」になる。そして、本が読めなくなる、という訳ですね。
 私は昔っから、人の話を聞かない子供でした。今でも、人のアドバイスとか聞き入れないことの方が多いです。いや、聞き入れられない、か。
 だからこそ、本が読めなくなったのかもしれませんね。他の本好きさんは、特にそんなこともなく過ごしてらっしゃるようですし。
 でも、また読書が好きになる日が来ると思います。完全に大人になって(そもそもいつ大人になるの? どうなったら大人?)、社会の荒波に揉まれたとき、「自分って何だろうな」と、子供みたいに自我が曖昧になる。そしたら、本を読めばいい。他人を受け入れて、自分のものにする。読書は、学ぶこと、なんて苦痛めいたものなんかじゃない。ただ、そこにいて、私と貴方を待っています。