複雑・ファジー小説

【一から始める妖道】 ( No.11 )
日時: 2019/03/07 22:04
名前: 塩糖 (ID: zxPj.ZqW)

陸【背中を向けた】


 自分の周りには組み合っていたパズルが崩れた、あるい砕かれた石材が散らばる。それは目の前の怪物の頑強さを示していて、思わず自分がまともにその一撃を受けていれば……と想像させて俺の動悸を最高潮へと容易に連れて行った。

 あれほど頑丈であった石橋は、中央の部分がすっかり瓦解し渡れなくなってしまった。
 大きく助走をして、走り幅跳びの要領で行けば何とか端に手が届くかもしれないが……生憎とそんな悠長なことをしているような状況でも精神でもない。
 改めて、いや一度も視線を外すことが出来なかった怪物を見た。

 最初は巨大な岩石にも思えた甲羅、その上の何割かを苔が占め、残った場所からは薄いまだら模様が確認できる。そこから生える体、甲羅と似た色合いで、それでいて皺くちゃ……或いはたるみ爬虫類らしいぼつぼつがある皮膚。先ほどまで、水の中に潜んでいたことを誇示するかの如く、その体は濡れていて、隙間にたまっていた水を排出しつつ全容を現す。
 四つん這いの手足を動かし、陸に成人男性の腕ほど強大な爪を立て、余りの質量の塊に地面が悲鳴を上げた。
 石と石が擦れ合う音に、たまらず耳をふさぐ。

 その化け物はこちらなど興味がないとばかりに背を向け、向こう岸に上がっている。俺にとっては幸運か、違う。
 向こう岸には吹き飛ばされた彼がいる。

「(──狙いは始か!?)」

 十数メートル先の途切れた橋の向こう岸に……川べりにまで吹き飛ばされた始。片膝をつきながらも、決してその視線はドチから外れていない。

「────!」
「……なんなんだよ、あれ」

 そんな彼に対して、怪物……怪獣の呼び名が似合うソレは、首を伸ばして唸り声をあげている。
 こんなゾウのような巨躯を持つ亀なんて、もちろん知識にない。となればこいつも「妖怪」の一種なのだろうか。混乱する頭は情報を求めた。

「おい、大丈夫か!? いったい何なんだよソイツは!」
「……はい、こちらは大丈夫です! こいつの名はドチ、長生きしたスッポンが妖になったものですけど……本来なら精々人並み程度の大きさのはずなのに、それに臆病な妖怪で——っと!」

 危ない、と言う時間もなかった。
 ドチ、と呼ばれたその亀──いやスッポンは始の声に合わせ、大きく口を開けて始を噛みつこうとその首を伸ばした。
 それに合わせ、始は危うげながらも横に転がって回避し、直ぐに体勢を立て直す。

 一方、ドチは首以外はそこまで俊敏というわけでもないようだ。首が届く位置に始がいなくなると、ゆったりと体を回し、向きを整えている。
 それに対し彼は片膝をついたまま。けれど今しかないばかりに左手の掌を上に向け、前に突き出す。

「─ ー《ひー》、二《ふー》、三《みー》……|四《よん》! 妖術・狐火──人間さん!」
「な、なんだ!」
「早く逃げてください!」
「はぁ!? お前は!?」

 あの時よりもずっと大きい、けれど色は青白くはない。
 彼は左手に灯した、拳大程度、赤く怪しげな光を放つ狐火をドチに見せ、しっぽを逆立てその尖った歯をむき出しにし牽制していた。遠くからでもそれが分かるほど、始のその全身には全力が込められていた。

 これには流石のドチも一時怯んだものの、その大口を何度もガチガチと噛み合わせるように鳴らして威嚇を始めた。その音からも、例え一度でも噛まれれば無事では済まない事が伺える。
 背中越しだというのにその姿は、思わず、決して勝てないという恐怖を押し付けてきていた。
 
 だからこそ、始が告げた言葉の意味の理解を拒む。

「ここにいては危険です! 人間さんが行った後、私も隙を見てそちら側に渡りますので……! 人間さんは一先ず、道のりに従って進んでいてください、直ぐに追いつきますから!」
「む、無茶だ! 大体橋も壊れてるのにどうやって……」
「私は妖怪です! この程度なら飛び越えられます!」

 先に行け先に行け、と彼が急かす。
 しかし俺は、なんだか嫌な予感しかせず、体を逆方向に向けることも出来ず、じっと妖怪の戦いを見ていることしかできない。今ここ離れたら取り返しのつかないことが起きてしまいそうで、その選択を嫌がっていた。

「早く! 人間さんがいた方が危ないんです! っ、そうだこれを──!」

 それに業を煮やしたのか、彼は腰元から何かを取り出して、こちらに放り投げた。しかし焦って投げたからだろうか、反対側の岸にいた俺の頭上すらも飛び越えて、後ろに落ちる。

 反射的に、俺はそれを拾おうとして「ドチに背中を向け」慌ててそれを拾った。
 薄紫色の布と瑠璃色のビー玉に通った白い紐で出来た巾着袋……お守りだろうか。裏側に縫われた、9本の尻尾のような模様が特徴的だった。
 これが一体どうしたんだともう一度彼の方を向こうとして、無意識的に首だけが動いた。

「────!!」
「それを町の人に見せて、私の知り合いですと言えばなんとかなりますから、早く──って駄目だ、こっちだ!!」
「~~~~ッ、ごめん!」

 咆哮とともに、ドチの首がこちらを向いた。薄黄色の瞳の中心、生物らしさを感じさせない黒い瞳孔がこちらを捉えた。
 体の機能が一瞬、全て止まってしまったかのような感覚を覚え、蛇に睨まれた蛙、身の危険を案じる警告を自覚するのはその数秒後だった。
 
 それを助けてくれたのは始で、わざとドチに石をぶつけて意識をもう一度彼の方へと向けさせた。当然、その後に彼に何度目かの噛みつきが襲う。
 また横に転がって回避し、何とか無傷ですんでいたがそのうち……今の様に俺を庇おうとしたら今度こそ……足を引っ張っているということは目の前で実感し、逃走を促す始の思いを無視することはできなくなって、様々な思い、考えを振り切り、お守りを握りしめて俺は走り出した。

 直後に地面が揺れ、転ばないように耐えながら、俺は逃げ出した。





 
──何かから逃げて知らない道を歩いたのはいつ以来だっただろうか。

 「あと少しだと言っていたのに、思いのほか遠いじゃないか」と呟いて、いつの間にか足は遅くなりもはや牛歩の速度で道を進んだ。原因は疲れ、ではないだろう。
 彼を置き去りにした罪悪感は、自分の足首に鉄の鎖が巻き付いたような重さを与えた。

 ただただ、お守りを握る力が強くなるばかりで、もう町へとたどり着く気は消え失せている。その途中三度、後ろを見て始が来ているか確認したい衝動に何度もかられたが首を振って進むしかなかった。

──彼を、言葉を信じただけだ。自分は何も悪くない
「いや……」

 自分の行為を正当化しても、何度も頭の中で否定する言葉が自分のものではない声色で再生された。

 道は舗装されているわけではないが、そこそこに広く、仮に馬車のようなものが来ても一応は通り抜けられるぐらいには広い。
 とはいえ、横にそれたらまた、木々が生い茂る林に突入してしまうような場所で、決して見晴らしはよくない。しきりに聞こえる鳥の騒めきが不安を煽った。

 アイツなら大丈夫だ、あの火はすごかったし、そもそも妖怪なら俺よりも運動神経はずっといいだろうから、俺がいたところで邪魔である、邪魔なのだ。アイツの言う通り、さっさといなくなった方が良かったに違いない。

 ……だけど、相手もデカかった。元がスッポンと言ったって、ドチも妖怪だ。確かに陸上に上がった彼は首の動き以外は鈍かったが、そもそもあの巨体なら一撃さえ入ればいい。
 逆にアイツは何度攻撃すればドチを怯ませることが出来るのか、見当もつかない。

 いや、そもそも倒す必要はどこにもないはずだ。
 
 俺があの場から逃げたなら、始は言葉の通り隙を見計らって、石橋を飛び越えて、こちらに逃げてくればいい。見るからに水中が本領と言えそうな妖怪だ、わざわざ追ってくることはないだろう。
 アイツが遅れているのはきっと、途中で食料を見つけたとか、きっとくだらない事なんだ。

「(あれ、そう言えばなんでアイツは立って距離をとろうとしなかったんだ?)」

 自己弁護を重ね、状況を理解しようとするフリをしていて、気が付いた、気が付いてしまった。
 彼は何故か、ドチ前から離れようとせず、ただ転がるばかりで下がることもしなかった。

 彼は片膝を立てていた。

 よくよく考えれば、自分は始が吹き飛ばされるところは見ても、着地するその瞬間は見ていない。
 どんどんと思考が加速していく。先ほどまで気づけなかったことにまでそれは及ぶ。

 彼はドチの攻撃を横に転がって回避していたが、あれはもしや、足のどちらかを痛めていたからではないのか。

 そもそも追いつくことを考慮しているのならば、なぜ彼は「町についた後」についてを話したのか、それが意味することはつまり、自分は追いつけないことを示したのではないか。

──、
「っ」

 不意に、地面が揺れた気がした。

 つい後ろを見てしまえば、そこには誰一人としていない、今来た道があるだけであった。



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