複雑・ファジー小説
- 【一から始める妖道】 ( No.12 )
- 日時: 2019/03/07 21:53
- 名前: 塩糖 (ID: zxPj.ZqW)
一【痛みはなかった】
今日は人生で三番目に幸運で、二番目に不運な日だ。そう零そうとして、不運とは違うかと己を恥じた。
「(着地の誤り、いやそれ以前、直前まで気づかなかった間抜けさ……)慢心が、どこかであったのかもしれませんね。あなたもそう思ったからこそ、私を狙ったのですよね?」
「──」
問いかけに対し、唸り声で返すドチ。もう少しすれば、彼のその強靭な顎でかみ砕かれる運命か。
妖の一生とは儚いものである、そう始は悟った。
湿った土やら砂で汚れた、自分の一本しかない尾を右手で梳かしながら、己の半生を思い出していた。
この身となる前、獣のままであった一年。妖となった後の十数年。
思えば、長生きをした。出来た。
生まれ物心が付いたころ、親が消えた日を
毛皮を突き抜け、芯まで凍らせる寒さの冬を生き延びようとしたことを、
自身が獣から変化した日のことを、
「……本当に、運のいい身でした」
尾獣堂を名乗る彼女らに拾われたこと、それが彼にとって人生で一番幸運だった日。
それから始まった全く違った生活を、思い出す。
どうしてか、始は今、心穏やかな気持ちで俯瞰することが出来ていた。
妖怪にとってはほんの十数年。二本足で立ち上がり、二つの手で様々なものを触り、感じた日々を。
あれは何か、これは何かと尋ねるたびに、彼女たちは親身になって教えてくれた。幸せだった。
ある日、師匠はふけぬキセル片手で言いだした。
「──そろそろ独り立ちしてみる頃だろう。少しは世間に揉まれ、尻尾の一本でも生やして戻ってこい」
「は、はい! ではぼ──私、始は一尾から二尾になって帰ってきます、師匠!」
「うむ、良い顔だ。とはいえ、真木の奴も寂しがるだろう……定期的に手紙は送ってこい。それと、何かあった時の為に護符を渡そう。きっと助けになるはずだ」
微笑と共に言われ、共に渡されたお守り、それは先ほど人間に渡してしまった。いや、渡すことが出来た。
別にそれ自体は後悔していない、人間界へと送り届ける、妹探しの助力をするという約束を反故にしてしまったのだ。
ならば、自分の「防衛手段」と人間である彼が「尾獣堂」の庇護下にあるという証明、渡さなければ申し訳なさ過ぎて化けて出てしまうだろう。
まぁ、妖は死んだら精々土地を汚す程度しかできないのだから、化けて出るも何もないのだが。
妖怪に二度目はない。
「──ッァ!」
気が緩んでいたのを見抜かれらしい。またあの噛みつきが迫ってくる。
少し力を入れるだけで、虎ばさみに挟まれた時の様な痛みが走る左足。苦悶の表情を浮かべつつ、庇いながら横に転がった。
「くっ!?」
避けきれなかった。突っ込んできたドチの顔に掠る。始は、坂を転がるような勢いで吹き飛ばされた。どこがどう痛いのかすらわからない程に脳がマヒする。
まだだ、この程度で死ぬようではだめだ。
歯を食いしばり、体を揺らしながらも起き上がる。口の中に入った土を吐き出し、空っぽになった体に酸素を取り込む。
その痛みでまた、左手にともした狐火が弱まった。
それを絶やさないようにまた体の奥にある、頼りない妖力を回して燃え広がらせる。
消えず揺らめく火を見て、ドチは再び耳をつんざくような錆びついた声を出す。
「もって数分、ですね」
狐火でドチを威嚇しなければ、避けきれないほどの一撃が彼を襲うだろう。
こんなコケ脅しでは、始が出せる最大火力にすら到達せぬ火では足りない。
出した所でドチを撃退することなんて不可能である。それだけではない、食料切れと飲み水不足、生命維持のために妖力はすっかり使いきっていた。
羊羹と水のおかげで歩ける程度には回復したが、威力も熱量ないまやかしレベルの火を維持するので精いっぱいである。
他に何か手はないかなんてことはとうに考えていた。それでも、未熟な自分にできることなど
「狐火、変化、憑依……」
どれも状況を打破しうるものではない。
変化などはせいぜい服装を変える程度のものであるし、憑依は妖力は使わないが、強い者に対しては、相手が受け入れてくれない限り成功しない。
隙を見て逃走しようにも片足は死んでいる、詰みだ。
「……」
「──?」
それならば、様々な幸運が重なって生き延びたこの身をどう振るうか。
覚悟は走馬燈を燃料とした。左手の火を消す。
訝し気に、ドチが始を睨みつけた。
「一、二、三……」
残りカスに等しい妖力をかき集めて、かき集めて、再び左手へと凝縮する。
人間さんはもう無事着いた頃だろうか、そう考えつつ彼はドチを視線で挑発した。
どうせ自分はここで死ぬ。そのうちに、このドチは町のものがやってきて倒すなりなんなりするだろう。
なら、このままおとなしく食われてやるよりかは、少しでも手傷を食らわせてやった方がよい。尾獣堂に属するものとして、それが正解だと彼は決めつけた。
外皮は無理だろうが、今できる最大火力を体内で発揮してやれば……そんな気持ちで、始はわざと腰を地面につけて攻撃を誘った。これでもう、転がることも出来ない。
幾許かの間が開いて、当然、ドチは待っていましたといわんばかりにその強靭な四足で地面を蹴り飛ばし、人一人が縦に入るであろう程口を広げて飛び込んできた。
人生を振り返ったためか、心は落ち着いていた。
心残りと言えば、師匠の元へと無事に戻れなかったこと、そしてどこか懐かしい気分になった彼。
「——名前、聞き忘れちゃいましたね」
目を瞑って、それを受け入れる。
不思議と痛みはなく、少し冷たかった。
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