複雑・ファジー小説

【一から始める妖道】 ( No.13 )
日時: 2019/03/07 21:55
名前: 塩糖 (ID: zxPj.ZqW)

漆【話を聞かなかった】


 痛みはない、再度訂正を加えて重ねる。
 痛みも、衝撃もない。ただ、風圧と地面の揺れのみが始の体を揺らした。そして少しした後、なにか液体の様なものが彼の頭に付着した。
 当然、まだ彼は生きている。

「え?」

 彼はその異常さに目を見開くも、目の前にはドチはいない。ではどこかと思い揺れの震源の方を見やれば、見事にひっくり返り、じたばたと暴れているドチがいた。
 初めにそれがなぜそうなったかなんて想像ができるはずもなかった。
 ドチが急に、空中で体を捻らせたことで、攻撃は始にカスリもせず横に逸れ、更に着地も失敗していたなんてこと分かるわけもない。


 頭に手をやった。濡れていて、少し冷たい。
 空から降ってきた液体がドチ含めて彼にもかかったからだ
 触れた手を鼻に近づけると、優れた嗅覚がツンとするものを捉えた。ただの水ではない……酒だろうかと推測を立てた。

「……人間さん?」

 始はそのアルコール臭と、思っていたものとは違う状況に呆けを隠せず、ついつい集中が解けて、手に集まっていた妖力は体内を循環し戻っていく。
 しばしの後、ようやく彼は気が付く。壊れた石橋の向こう側、そこから一人の顔見知りが跳んできて……飛距離が足りず、思い切り顎を石橋に強打する姿を見つけた。





「いてて……」

 人間は、大馬鹿な俺は今崩れた橋を飛び越えて……あと一歩足りなくて、上半身だけで石橋にしがみついていた。
 必死に這い上がり、じんじんと痛み顎をさする。ドチの方を見れば、ひっくり返って身動きが取れないでいる。そしてその横に、カラになったアルコールボトルが転がっていた。
 勿論、始の無事はそれよりも先に確認している。

「間に合ってよかった……」

 そう、心の底の安堵の息をもらした。
 あの後、いてもたってもいられなくなった俺は、疲れた足も気にせず走った。杞憂なら、とんだ勘違いだったら別にいい。それでもと、向かえばドチがいるという恐怖を抱えながらも走った。

 案の定、戻ってきてみれば、今にも食われてしまいそうな始がいた。
 そこから慌てて何かないかとリュックから、アルコールを取り出した頃にはもうドチが跳びかかろうとしていて……何も考えず、蓋だけ開けて全力で投げつけた。

「──ッ!!」
「うるさ!?」

 さしもの巨体も、アルコールを突然ぶっかけられたら流石に、それなりに効くようだ。ドチは、耳が痛くなるほどの呻き声を出しながら何度も大きく体を揺らす。
 その揺れで、壊れた石橋が崩落しそうだ。

 こっちもこれ以上乗っているのは危険だと思って、慌てて始の方に走り寄った。

「大丈夫……じゃないよな、始」
「……」

 見ればこれまた案の定、左の足首が酷く腫れており、思わず口を手で覆いたくなった。少なくとも、これではまともに歩くのも難しいだろう。
 リュックの中に湿布はない。早く町へ行って医者に診せないといけない。

 始は、いまだに俺を信じられないような目で見てきていた。そんなに人が戻ってくると思わなかったのか……それが少し尺に触る。つい、両手で彼の両頬をつねった。
 状況に合わぬ行為に彼は素っ頓狂な声をあげる。

「ふぉっ! わ、わにするんですか」
「うるさい、嘘ついた罰だ」

 まだ理解が追い付いてないのか、彼はあまり顔色は変わらず抗議の声を発した。
 その姿は、いたずらや隠し事をした弟達を叱った後、気まずくなり茶化した時の反応を思い出させ、思わず笑顔になれた。
 一応、立ち上がれるかどうか確認するが、力なく首を振られる。そうか、とつぶやいて顔から手を離す。離したところがほんのり赤くなっていた。
 
 ここで怪我の手当てなんてしている暇はなく、肩を貸し、なんとか無事なほうの脚で立ち上がってもらう。
 その際に、始が焦ったようにこちらに訪ねてくる。考えがまとまっていないのか、何度か言葉に詰まりながら、

「な、なんで……僕は大丈夫だって、人間さんが、ここに来たら意味がないし、そもそも、下手したら全滅——」

 それを軽いゲンコツをして止めた、ああやはり「弟たち」を思い出させる言動だ。
 自分の中だけで考えを完結させて、結果だけの最善を信じて、周りがその後どう思うかも無視して……もしかしたら今さっきまでの自分もそうかもだったかもしれない。
 けど、今は違う。勝手かもしれないが、もう結果だけの最善は嫌なんだ。二人の内どっちかが生き残るルートを投げ捨てて、自分の命さえも危うくしたとしても。

第一、

「弟みたいな奴を見捨てらんなくなった、それに妹にも怒られそうだしな」
「──」

 話をした、少しだが事情も知った、ご飯も一緒に取った。嘘までついて俺を安心させようとした奴を見捨てて生きるなんて、受け入れることはできなかった。
 だから、もう始のことを弟だと思うようにした。不思議と、弟だと思えばドチの方へと走る足も軽やかになった。目の前の怪物を前にしても、笑顔の一つ出来る程度には強くなれた。
 
 妹は優しい子だ。きっと、始を見捨てた事を知れば酷く悲しむだろう。そう言い切ると、始はやはりまた呆けた顔をし、しばらくの後に笑った。
 憑き物が落ちたような、今までの笑いよりもずっと楽しそうで、輝いている表情だった。そんな彼を見て心の中に積もっていた罪悪感が薄れていく、それだけでも、価値はあったというものだ。

「っ、ははは……なんですかそれ」
「さて、とりあえずここから逃げなきゃ。ドチもそろそろ起き上がってきそうだ、どこか当てはないか、始?」

 とにかく、他に向こう側に渡れるポイントがないかどうかと尋ねてみる。
 帰ってきた答えは、あることにはあるがここから少し離れており、このままでは川を渡る時にもう一度ドチに襲われて終わりだ、と言う言葉だった。
 その間もドチはひっくり返った体を何とか起こそうと、左に右に巨大な体を揺らし勢いをつけようとしている。起き上がってくるのも時間の問題だろう。

 一先ず山を登って呼吸を整えるのもあるか、と山の方を見ても、傾斜がきつく始に肩を貸したままでは登れそうもない。川沿いの道を上がっていくなんてドチの格好の餌食だ。
 何か手はないものか、と頭を悩ましていると始は明るい顔で一つ提案があるのですが、とつけて口を開く。

「僕の妖術、といいますか妖怪の基本的なものとして……憑依というものがあるんです」
「憑依? それって、要は乗り移るってことか」
「はい、体を妖力、魂だけの存ざ——まぁ人間さんの体に入って僕が操縦することで、僅かではありますが身体能力の向上、そして僕の体も一旦なくなるので、機動力においては断然違うと思います」
「そりゃいいな、早速やろうか」

 聞いた限りだといいことづくめなので、すぐに了承の意を返すと、始には微妙を顔をされた。
 なんだというんだ、とこちらも困惑の表情で返す。

「いや、入ってしまえば体の主導権とか諸々、握ろうとすれば握れる術なのでそう簡単に了解されると、その他にも——」
「散々お人好しなことしておいて何言ってんだ、時間がないんだからさっさとしてくれ」

 妖怪的常識では、憑依はそんな簡単にしていいものではないらしい。
 だが、ここまで来て信用しないわけないのだから、こんな無駄なやり取りはしないでほしいと伝える。
 それを受けてしぶしぶ、納得がいかない表情で始は懐から札を一枚、読めない字で埋め尽くされているそれは、よくお寺などで見るお札にも似ていた。

 札をぺたりとこちらの額に張り付ける。気分はキョンシー、なんて冗談を抜かす気はない。

「後で気分を悪くしても知りませんよ……? 一、二、三——四、妖術・憑依!」

 気が遠くなるのを感じた。頭に付いた札から、何かが脳を刺激して来るのを感じ取る。
 瞬間、始の姿が青白い霧のように変化しそのままこちらに向かってきて……俺は少し、自分の浅慮さを恥じた。

 平衡感覚が揺らぐ。棒に縛り付けられ、そのまま縦にも横にも斜めにも不規則にぐるぐると、回され吐き気を催す。
 体の中で何かが、血管を這いまわる感覚がした。

 確かに途中で話しを遮ったのは自分だったが、憑依されるときの感覚がこんなに気持ち悪いものとは思わなかった。 
 そう弱音を吐きそうになりつつも、それを俺は受け入れることになった。




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