複雑・ファジー小説

第一音目【一から始める妖道】 ( No.2 )
日時: 2019/03/08 21:17
名前: 塩糖 (ID: zxPj.ZqW)

第一音目【一から始める妖道】
壱【目を瞑った】


 視界がぼやけていた。黒とも白とも見分けがつかない。だが決して混ざり合わない。
 ふわふわといまだ夢心地。体は宙に浮いてるような感覚で力もうまく入らない。
 心なしか顎が痛い気もする。どこかで打ったのだろうか。

──ぅう

 おや、何やら右手が柔らかいナニカをつかんだようだ。モサモサとしていて、そこからじんわりと熱が伝わってくる。
 徐々に、体の感覚が戻ってくる。視覚は瞼の裏をしかと捉え、体全体が少しあったかい物体に覆いかぶさるようにして、うつぶせで寝ているようだ。

 聴覚も戻り、なにやらあまり聞きなれない鳥の声が聞こえた。

 背中から日光の暖かさを感じる。今日はいい朝のようだ。
 こんな日にはみんなで空き地にでも向かいサッカーでもしようか。そうだそろそろ虫取りの季節でもあった、少し早く起きて近くの林に砂糖水でも塗っておこうか。きっと弟たちは喜ぶだろう。

 ああでも、虫が嫌いだから嫌がるかもしれないな妹は——

 そうだ、妹はどこに行った。

「——っ!」

 寝ている場合じゃない。
 覚醒した意識は体を引きずり起こし、俺に辺りを見回させるよう要求する。だがそうして見えた景色は一面林。そこに妹の姿はない。
 では足元ははどうだろうか、案外もう掴んでいて、そこで一緒に眠りこけたのかもしれない。そんな希望のもと、顔を下ろした。

「……誰だ?」

 そこには男の子が倒れていた。彼は俺と同じ程度の身長で、少し奇妙な格好をしている。
 いわゆる和服、というやつであろうか。何分、服の知識がない俺ではそれがなんという服であるかの判別がつかない。振袖に近い形状だなと言う感想が出た。

 上は白を基調として赤が少し入っていて、下はよく神社の人が履いているような赤いスカートのようなもの。多少短いが、それ以外の肌は黒いタイツとインナーのようなもので隠されているなあ、といったぐらいで名称が分かったのは足に履いていた草鞋程度。

「こんな山の中に……コスプレ?」

 まぁそれはともかくとして、自分はこの子の上に覆いかぶさっていた。という事実に気が付くと急に申し訳なくなり、どこか異常がないか知りたくなった。
 直ぐにしゃがみ込んで、彼の頭の方に近づく。
 多少の獣臭さが鼻に来る。

「(よかった、息はしてるみたいだ)」
 
 うつぶせになっていた彼を仰向けに直すと、ゆっくりとお腹が上下するさまが見れた。どうやら呼吸はしているようだと一安心する。同時に、少年の幼くも端正な顔立ちが見える。土が付いており多少汚れてはいるが、それが取れればかなりのものだろうと予想もついた。
 こちらも息を整え、もう一回彼の様子を確かめて、仰天する。

「み、耳が……頭の上に?」

 クリーム色とでも言えばよいのか、そんな彼の髪が生える頭の頂上には獣のような耳が2つ、ちょこんと乗っていた。
 どうみても、偽物には見えない。現に、恐る恐る触ってみれば少しだけピクンと反応し、体温も感じた。これは確かに頭から生えているもののようで、突然の事態にこちらは震える。

「(そ、そういえばさっき尻尾も生えてたような……)」

 今にして思えば体をひっくり返すとき、尻尾のようなものも生えていた気がしてきたが……流石に確かめる気にはなれない。
 思わず一歩、距離を取る。

「え、えっと……警察? いや、なんだどうすればいいんだこれ……?」

 どうしようと完全に人外のものであろう彼の前で、あわあわと時間を消費していると……最悪のパターンがやってくる。
 彼がどうやら意識を取り戻してしまったようで、鼻をひくひくとさせると目を見開き、そして上半身を急に起した。

 そして、その金色の瞳は確かにこちらを捉えた。

「食べ物のにおい……! はっ、エモノ!?」
「ひぃっ!?」

 突然の行動に怯え尻もちをついた俺に対し、二本の足でよろよろと立ち上がる彼。そして両腕をこちらに向けると今にも襲い掛かりそうな構えをし、少しずつ歩み寄ってきた。
 俺は腰を抜かしてしまい立つことができず、体全身を使って無理やり後ろへ下がる。

「に、逃げないで……一口だけ、ちょっとだけ、痛くしませんから!」
「くっ、来んな!」
 
 手を何度も振って追い払おうとするが効果はない。
 不意に、背中のリュックサックが嫌に重たくなったのを感じた。一瞬だけ、視界そちらにやればどうやらリュックサックが木にぶつかったらしく、もう逃げ道がない事を知り青ざめる。

 彼は口を大きく開き、鋭くとがった犬歯をのぞかせている。あれに噛まれたらひとたまりもないだろうという事だけはわかる。

 ああ駄目だ、自分はどうやら訳の分からぬ化け物に食い殺されるのだ。
 痛みに備えて腕を眼前で交差させて、眼をつむる。
 走馬燈は、見えなかった。

「(ほんと、運がなかったなぁ)」

……

…………、

 …………いつまでたっても、痛みも衝撃もない。

 不審に思い、片目だけ開けて前の状況を確認し、唖然とした。

「……?」

 彼は俺の目の前でうつぶせで倒れていた。
 それこそ、最初に見つけたときと同じように。罠か、とすら勘繰りたくなるほどの無様を晒していた。
 いったい何なのだと驚いていると、大きな腹の鳴りが聞こえた。
 もちろん自分ではない、グギュルルルと何度も大きな声で鳴っているのは……目の前の彼のお腹のようだ。

「……」
「……」

 十秒ほどして腹の鳴りがおさまり、ポツリと彼の声が漏れ出る。

「おなか、すいた……」

 肩の力がぐっと抜けるのを感じる。
 どっちも間抜けだな、そんな言葉が聞こえた気がする。

 人外も空腹には勝てない、そんな当たり前の事を目の前にして思わず笑いもこぼれ出た。
 案外、悪運はあるのかもなと、誰に言うわけでもなく呟いた。



*****
前話 >>1
次話 >>4